82話「二つの法則(ルール)」
硝子と鏡が放つ燐光が、議場の暗闇を青白く塗りつぶす。背中合わせに立つミラクの体温と、張り詰めた殺気が伝わってくる。
対峙するアルゴラは、巨大な青い芋虫の背に揺られながら、狂った時計のように首を左右に振っていた。
「……ノクティア、あなた、“姫”との実戦経験は?」
前方のトランプ兵を鏡の刃で牽制しながら、ミラクが低く、冷徹な声で問いかけてきた。
「……一度だけ。アンタレス――"赤ずきん"と。でも、あの時は撃退するのが精一杯で、トドメを刺すことまではできなかったわ」
私は、"姫"としての力に目覚めた最初の戦いを思い出す。
しかし、あの時の彼女は、心臓を貫かれていたのにも関わらず、息絶えることなく、退却していった。
殺すことが戦闘の終わりだとするのなら、私はまだ、真の意味で"姫"を倒したことがないのかもしれない。
「そう。なら教えてあげるわ、唯一の、"姫"を殺す方法を」
ミラクは鏡の中に映る自分の瞳を強く見据え、言い放つ。
「“姫”を倒すということは、その“物語”を終わらせるということよ。彼女たちが信じている理不尽なルールを、現実の論理で上書きし、完結へと引きずり戻すこと」
「……完結? それは、どういうこと……?」
「終わらせるのよ、歪んでしまった童話を。それができない限り、私たちは死なない。"姫"、永遠に生き続ける怪物なのよ」
物語を、終わらせる。アンタレスとの戦いで、アケルナルとの邂逅で感じた、"姫"という存在への違和感が、ミラクの言葉で形を成していく。
「まあ、見てなさい。この不気味な迷宮がきっと、あいつの魔法の源――鏡を砕くのは私の物語の専売特許よ」
ミラクが腕を力強く振るう。彼女の周囲に展開されていた"七人の虚人"たちが、彼女と重なり合ったかと思えば、割れた鏡は形を変え、巨大な木槌のような武器へと変わる。
「――砕けなさい、『甘言の埋葬』!」
ミラクの魔法が牙を剥く。振り下ろされた槌の先が迷宮の構造そのものに食い込み、空間を物理的に粉砕しようと鳴動した。バリバリと硝子が砕けるような轟音が響き、アルゴラの支配が揺らぐ――。
――はずだった。
「あははあああああ! 割れちゃったなら、それはお茶会のティーカップだあああああ!」
アルゴラがケラケラと笑いながら手を叩く。すると、ミラクが"砕いた"はずの空間の破片が、空中で瞬時に極彩色のティーカップや皿、そして湯気を立てるポットへと変質した。
「な……っ!? 私の魔法が、上書きされた……?」
ミラクが驚愕に目を見開く。彼女の"砕く"という攻撃的意志が、アルゴラの魔法によって、無邪気なガラクタへと書き換えられたのだ。降り注ぐのは熱湯と、鋭利な陶器の破片。
「ミラク、下がって!」
私は硝子の壁を瞬時に生成し、ミラクと共にその影に飛び込んだ。硝子の壁を叩く陶器の音が、不気味な雨のように鳴り響く。
距離を取る。ミラクの大技も、あの狂った少女には、傷一つつけられていないようだった。
「……おかしいわ。今の魔法、見てた、ノクティア?」
硝子の壁の陰で、ミラクが苦々しげに、しかし鋭い観察眼を向けてアルゴラを睨んだ。少なくとも、私よりは対“姫”戦闘に精通する彼女の目は、何かを見抜いたようだった。
「トランプ兵やあの芋虫、お茶会のガラクタ……あの支離滅裂な魔法と、私たちを閉じ込めている鏡の迷宮や、攻撃を阻んだチェスの駒。、私には、全く別の魔法に見えたわ」
「……それって、おかしなことなの?」
「あんた、本当に何も知らないのね。魔法は、私たちの元になった物語にちなんだ一系統のみが原則だわ。系統が二つある……そんなの、ありえない!」
この世界のルールにおいて、一人の人間が宿せる魔法系統は一つ。
それは“姫”が、物語に依るものだからということか。ミラクが鏡を操り、私が硝子を操るように、宿せるのは一つの特性のみ。
だというのに、アルゴラは、二つの物語を同時に行使しているように見える。
「鏡の国……チェス……」
ミラクの声が戦慄に沈む。彼女の"割れた鏡"と、アルゴラの"鏡の迷宮"。同系統でありながら、その出力と複雑さは、既に彼女の理解を越えようとしているようだった。
「遊びは終わりいいいい! 処刑だああああああ、首をはねちゃおおおおおお!」
アルゴラの叫びと共に、議場の空気が凍りついた。天井の鏡面から、無数の巨大なトランプの剣が降り注ぎ、同時に、いつの間にか展開されていた床のチェス盤が不自然に駆動し、私たちを奈落へと追い詰めていく。
「――っ、ミラク!!」
「わかってるわよ! クソッ、なんて理不尽なの!」
私たちは同時に跳躍した。だが、空中には既に、笑う猫の爪と、ナイトの駒による突撃が待ち構えている。
硝子の盾が悲鳴を上げ、ミラクの分身が次々と霧散していく。二つの物語が重なり合う中心で、私たちは成すすべもなく、絶望的な不条理の嵐に呑み込まれていった。




