72話「"英雄"になれぬ男」-後
俺には、"人類到達点"みてえな、とんでもねえ剣の腕はない。"不落の獅子"みてえな、愚直なまでの剛健さもない。
俺が磨いた、ハイエナの戦い方の本質は、華やかなで鮮やかな一撃必殺じゃなくて――どこまでも泥臭い、小手先の技術にある。
相手を苛つかせ、揺さぶり、泥沼に引きずり込んで、一瞬の隙にその喉元を食いちぎることだ。
「えいっ」
サダルスウドが手を振ると、弾き飛ばした破片が空中で静止し、粉々に粉砕された。
同時に、俺の足元に新たな卵が生成される。
「――っ、見えてるぜ!」
俺は反射的に跳躍し、空中で身を捻った。
炸裂する衝撃。
浮遊感、身体は木の葉のように舞い、だが着地と同時に再び加速する。
(――いける!)
だんだんと、わかってきた。
直撃さえ避ければ、この"卵"はそこまでの脅威じゃない。
恐らくは、"姫"から分け与えられた魔法の"種"。分化する前の魔法よりも、力は劣るのだろう。
お嬢様の"硝子"なんかと比べれば、随分と小規模な――それこそ、破壊力だけなら帝国の薬塩爆弾の方が幾分マシだ。
「へっ、背を押してくれてありがとよ、これで――」
飛び上がったまま、剣を振りかぶり、渾身の一刀を構えた所で。
「――痛っ!?」
筋肉が、悲鳴を上げた。
それもそうか、俺ももう若くねえ。四十を過ぎた体は、全盛ほど思うように動かない。
大戦の時ですら、この速度感の正面戦闘をしたことはない。一瞬の判断ミスが死に直結し、一秒の遅れがお嬢様の命を奪う。
「どうしたのぉ、止まってるよぉ!?」
狂気の声、ほんの僅かな遅れでさえ見逃さず、放たれた"卵"を、どうにか剣で払いのける。
着地すると同時に、全身が痛む。思わず膝をついてしまいそうな激痛の中でも、不思議と意識は冴え渡っていた。
サダルスウドの指の動き。魔力の流動。
戦場を這いずり回って身につけた、この薄汚い"死線の勘"が、少年の攻撃を先読みして俺を突き動かしている。
(参ったね、こりゃ。今さらそんなことが――誇らしいと思うなんてさ)
「あはは、おじさん面白いね! 本当にただの人間なの? 人魚よりもすばしっこいや」
「……褒め言葉として受け取っておくよ。おかげで腰がガタガタだ」
俺は太刀を振り下ろすが、刃が届く直前で、見えない壁に阻まれる。
斥力の防御。
それでも――届かない。
あと一歩。
俺がどれだけ命を削って動き、的確に攻撃を避けても、この少年の懐に食らいつくことができない。
人間の限界。
英雄になれなかった男が、どんなに足掻いても超えられない"壁"。
「ギエナ! 無理をしないで、一旦下がって……!」
背後でお嬢様の切迫した声が聞こえる。
彼女は、自分が魔法を使えないことに、歯噛みしているのだろう。
優しい人だ。俺みたいな薄汚い男の命を、本気で案じてくれている。
――だがな。
「悪いね、お嬢様――」
俺は立ち上がる。
いつか憧れた、袂を分かっても目を離せなかった、大きな背中が思い浮かぶ。
「――今、いいとこなんですわ」
おじさんはね、ここで退くわけにはいかねえんですよ。
「おじさん、剣しかないのぉ?」
サダルスウドの声から、遊びの風味が消えた。
それは、獲物に飽きた捕食者の、冷酷なトーン。
「そろそろ飽きたから、ぐちゃぐちゃにするね」
少年の背後。
鏡の迷宮の光をすべて飲み込むようにして、黒い揺らぎを持った巨大な魔力が膨れ上がった。
一つ、二つじゃない。
広間を埋め尽くさんばかりの、数百――いや、数千の"卵"の兆し。
それらは全方位から、一点の逃げ場も残さずに俺たちを包囲していく。
「……おいおい、そいつはいくら何でも、サービスが過ぎるんじゃねえか?」
俺は苦笑し、剣を握り直した。
逃げ場はない。
俺一人なら、あるいは運に賭けて突破できるかもしれない。だが、俺の後ろには守るべき主がいる。
(オレオーン。お前なら、どうした)
問いかける。答えは分かっている。
あいつなら、その輝かしい剣を掲げ、不落の盾となって、お嬢様を無傷で守り抜いただろう。
あいつなら、この絶望を"勇気"という名で一蹴しただろう。
(……だが、あいにくだな。今、ここにいるのは俺だ)
俺は、お嬢様の前に立ちはだかる。
両足をしっかりと地に付け、この細い太刀一本で、世界を包囲する死を迎え撃つ準備を整える。
俺は獅子にはなれなかった。
砂に塗れたハイエナだ。
だがな――ハイエナにだって、意地はある。
自分の命というチップを全部吐き出してでも、守りたいものを守り抜くという、最高に身勝手な意地が。
「ノクティアお嬢様。……目を、閉じてなせえ」
「ギエナ、何をするつもりなの!?」
「いいから、早く!!」
俺は吠えた。
人生で初めて、獅子のように、気高く、力強く。
サダルスウドの指が、ゆっくりと、死の合図を奏でる。
「バイバイ、おじさん」
瞬間。
全方位から、空間そのものを噛み砕くような斥力が殺到した。
俺の視界は、真っ白な、あまりに純粋な破壊の閃光に塗り潰される。
耳を打つのは、放たれた斥力が、辺りの壁を、鏡を、調度品を、何もかもを根こそぎにする音。
熱。痛み。
そして、意識が遠のく間際に俺が感じたのは――。
(ああ……ようやく、俺もあいつに、近づけたのかねえ……)
という、ひどく場違いで、穏やかな諦念だった。
◆◇◆




