6話「消えた子供と七匹の子山羊」
私の問いかけに、女性は弾かれたように顔を上げた。
近くで見ると、その顔色は土気色で、唇は小刻みに震えているのがわかった。
「あ、あの……息子が、レオが……! ほんの少し、目を離した隙にいなくなってしまって……!」
「迷子、ですか?」
追いついてきたスピカが、心配そうに覗き込む。しかし、女性は首を横に振った。
「違うんです、あの子は私の手を離したりしない……! 急に引っ張られて、いなくなったんです」
引っ張られて?
私は胸の中に、ざわつくものを覚えた。
「……そ、それって」
「ええ、それに、見たんです、さっき向こうで誰かの悲鳴が聞こえて、黒い服の男が子供を抱えて走っていくのを……!」
「……っ、人攫いってこと!?」
私は思わず、そう口にする。誘拐、それもこんな白昼堂々なんて、と思ったが、よく考えてみればあり得ない話でもない。
当然、この世界に監視カメラなどあるわけがない。これだけの人々がいれば、衛兵たちが全てを監視するのも難しいだろう。
となれば、不埒な事を考える輩がいたって、何らおかしくはない。
「ど、どどど、どうしましょう、お嬢様! 私たちも、一緒に探しましょうか!?」
「……いえ、闇雲に探し回っても、駄目でしょうね」
そもそも、私たちはレオと呼ばれたその少年の容貌も知らないのだ。
ならば、下手に動き回るのは得策ではないだろう。
「スピカ、誰か人を呼んでこられる? 何か、警察みたいな人とか……」
「けー、さつ? 衛兵さんなら、すぐそこの広場にいると思いますが……」
「なら、すぐに呼んできて頂戴。私たちだけでは、手が足りないわ」
静かに頷いて、彼女は人混みを駆けていく。
しばらくすれば、スピカのあとを衛兵らしき、鎧姿の男たちが数人、血相を変えてついてくるのが見えた。
「人攫いと聞きました、犯人はどっちへ逃げましたか!」
ヘルムの下から、怒声に近い声が響く。
しかし、すぐには答えられなかった。何せ、私は攫われた瞬間を見ていないのだ。
母親に話してもらおうにも、彼女もまた錯乱状態にあり、まともに状況を話せる状態じゃなかった。
困った、と私は眉間を押さえた。こうしている間にも、犯人は逃げていっているかもしれないというのに――。
「――おうい、あっし、見ましたぜ!」
その声が聞こえてきたのは、私が焦燥に頭を抱えようとした、正にその瞬間だった。
見れば、声を上げていたのは、荷車を引いた男だった。一杯の酒樽を積み、額に汗を浮かべた彼に、衛兵が詰め寄っていく。
「ほ、本当か! 犯人は、どちらへ!」
「へえ、あの裏路地です! 小脇に抱えていたでっけえ荷物、あれが、子どもなんでしょう!」
指差した先は、入り組んだ裏路地の方角だった。衛兵たちは笛を吹き鳴らし、一斉にそちらへ雪崩れ込んでいく。
「お嬢様、私たちも! 衛兵さんを手伝いましょう!」
スピカが正義感に燃えた瞳で言う。
けれど。
私は動かなかった。いや、動けなかったのだ。
冷ややかな違和感が、足元に接着剤のようにへばりついていたから。
「……変よ」
小さく呟く。
「え? 何がですか?」
「目撃証言が具体的すぎる。それに、子供一人を抱えて、そんなに早く逃げられる?」
私は、頭の中の検索窓にワードを打ち込む。
――子供。誘拐。逃走。
そこから、答えが導き出されるまでに、そう時間はかからなかった。
「――『狼と七匹の子山羊』」
「……え? お嬢様、今、なんと?」
「古い童話よ。でも、ただの昔話じゃない。童話は警句、子どもたちに、本当に怖いものを教えるためにあるの――」
話しながら、私は思考を続ける。
狼は子山羊たちを丸呑みにした後、どうしたか?
遠くへ逃げたりしなかった。腹が重くて走れなかったから、すぐ近くの木陰で寝ていたのだ。
犯人がプロなら、目立つ全力疾走なんてしない。
衛兵の注意を逸らすために"囮"を走らせて、本命はまだ、この近くにいるはずだ。
それも、重たい"石"を腹に詰めて、涼しい顔をしている狼が。
私は騒然とする広場を見渡す。
悲鳴を上げる人々。走り回る衛兵。
その混乱の死角を縫うように、ゆっくりと、しかし確実に広場から抜け出そうとしている"何か"を探す。
子どもを隠すことができる場所など、そう多くはない。
時間的なことを考えれば、入り組んだ屋台の中に隠すのも難しいだろう。そう考えれば、候補を見つけるのは、そう難しくない――。
「――あれだ」
私の目に留まったのは、つい先ほど、衛兵たちに道を示した、目撃者の男だった。
彼は衛兵たちを見送ると、帽子を目深に被り、荷車を押して歩き出したところだった。
後は衛兵たちに任せて、自分は仕事に戻ろうとしている――そう見えたし、実際にそうしようとしている可能性もある。
けれど、私の目は誤魔化せない。
あの荷車の車輪。石畳に食い込む沈み方が、不自然だ。
中身が酒――液体ならば、歩く振動に合わせてタプンタプンと重心が揺れるはず。
けれど、あの荷車の沈み込みは"固形物"のそれだ。
「……見つけたわ、スピカ」
私は、ドレスの裾を翻して歩き出した。
震えそうになる足を、必死に叱咤する。
怖い。でも、あの女性の――あの日のお母さんみたいな顔を見て、何もしないわけにはいかない。
「え? お嬢様、どこへ行くんですか!?」
「狼狩りよ。……石を詰め込まれた、鈍重な狼を捕まえに行くの」
私は雑踏をかき分け、男の前に立ちはだかる。
男が鬱陶しそうに顔を上げ、その目がギロリと私を射抜いた。
「……なんだい、嬢ちゃん。あっしは急いでるんですがね」
「奇遇ね。私も急いでるの」
心臓が早鐘を打つ。喉が渇く。
それでも私は、精一杯の虚勢を張って、その太った狼――積荷の樽を指差した。
「そこの樽、中身を改めさせてもらうわよ」




