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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
6章「魔法と萌芽と不思議の少女」
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71話「"マッチ売りの少女"と鏡の迷宮」-前

 エリダヌス連邦議長が、宣告のために木槌を振り下ろそうとした、その刹那。


 木槌が台を叩く乾いた音は、ついに響かなかった。


 代わりに聞こえたのは、肉が裂け、重い液体が卓上にぶちまけられる、生々しく不快な音だった。


「……ぁ、え……?」


 議長の喉から、声にならない空気が漏れる。


 彼の背後の影から、音もなく、数人の"兵士"がせり上がっていた。


 それは人間ではなかった。厚みのない、紙のように平坦な身体。不気味な赤と黒の紋様を纏った、"トランプの兵士"――。彼らが手にした槍の穂先が、議長の頸動脈を深く、正確に断ち切っていた。


 真っ白な円卓が、一瞬でどす黒い赤に染まる。


 議長が力なく崩れ落ちると同時に、静寂は悲鳴と怒号へと塗り替えられた。


「議長!!」


「曲者だ! 衛兵、衛兵は何をしている!!」


 混乱、悲鳴、怒号。


 混迷を極める議場で、それぞれの国の特使たちだけが、円卓から目を離さずにいた。


 "人類到達点"ヴェルギウスは、リゲルを庇うように前に出て。


 ギエナとアルトは、腰に差したサーベルに手をかけて。

 そして、リラはその底知れぬ瞳で、影の中を覗き込んでいた。


 そんな中――帝国、フォルナクスのミラクだけが、ただ、固まって震えていた。


「……うそ、なんで、なんで、あいつが……!」


 それは、困惑とも、驚愕とも違う。私が知る感情の中で、一番近いものを挙げるとするのなら――あれは、恐怖だ。


 "姫"である彼女が、一体何に怯えるのか。その正体は、数秒も経たずに判明した。




「――静かになさい、耳障りですよ」




 混乱を切り裂くように、壇上の真っ赤な血溜まりの中から、一人の少女が姿を現した。


 粗末な衣服に身を包み、腕に、小さなバスケットを下げている。その顔立ちは、同じくボロボロの頭巾に隠されてしまっているが、一目で、それが何なのかはわかった。


「っ、『マッチ売りの少女』……!?」


 私は思わず、その名を口にしていた。


 童話の『マッチ売りの少女』は、幻想の中、一本のマッチに縋り死んでいく、脆くも儚い存在だ。


 しかし、目の前の少女は、童話を思わせる風貌ではあるものの――その立ち振る舞いには、憐憫を誘う脆弱さなど微塵もなかった。



「――そう、私は、"()()()()()()()()()()()()()()()()"。帝国を統べる、"姫"の一人です」



 少女は凛とした、そして底冷えのする口調で言い放った。その瞳には、かつてマッチの灯火に夢を見た面影はなく、すべてを焼き尽くそうとする意志の炎だけが宿っている。


「私は、そこの軟弱者とは違う。本物の特使です。フォルナクス帝国評議会の総意を、皆様にお伝えしに参りました」


「……本物の、特使……!?」


 視線が、ミラクに向けられる。

 それと、彼女が立ち上がるのは同時だった。


「う、嘘よ! だって、特使のお仕事は、私がお祖父様から受け継いで――」


 援護するように、並んだバナビーが、懐から何やら、紙のようなものを取り出し、突きつける。


「皇帝陛下の書状もここに。あなたは、いかなる根拠で、正統な立場を主張するのですかな?」


 "マッチ売りの少女"は、それに一瞥すらもくれなかった。まるで、そこにいる"白雪姫"たちには、何の興味もないかのように。


 まるで、書き割りの背景を見つめるかのように、冷めている。


「見下げた馬鹿どもよ、その女が正統な特使など、どうでもいいわ。問題は、この狼藉だろう……!」


 リゲルの言葉に、ベールの下から拍手が聞こえた。まるで、子供でもあやすかのように、芝居がかった拍手だ。


「……ガーランドのお坊ちゃま。どうやら、あなたはこの中で、比較的聡いようですね」


 "お坊ちゃま"か、それとも"比較的"か。いずれかのワードが彼の何かを刺激したようで、その殺気が、鋭さを増す。


 しかし――"少女"はそれ以上、リゲルを構おうとはしなかった。


 まるで、舞台に上がっているかのように軽やかに、歌唱会(コンサート)のように朗々と、彼女は声を張った。


「エリダヌス連邦、ならびに列強諸国の皆さんに通告します。今この瞬間から、我が主君に百年の服従を誓いなさい。さもなくば、この都――フォーマルハウトを、跡形もなく殲滅します」


 殲滅。


 その言葉の意味するところは、一つしかない。そして、この場で発する意味もまた。


「……道化め。分不相応な要求を、よくもヌケヌケと。貴様の目的は何だ?」


 黄金の椅子に深く腰掛けたまま、リゲル皇太子が冷ややかに問いかけた。背後のヴェルギウスが、いつでも剣を抜けるよう、殺気を研ぎ澄ませている。


 そんな、敵意と殺意の奔流の中で、"マッチ売りの少女"は、淡い笑みを浮かべて答えた。


「目的? そんなもの、決まっています。――この世のすべてを、焼き尽くすこと。そのために、私は最後の一本を擦ったのですから」


 その言葉と同時に、彼女の手から火花が散った。"魔法"の行使。得体の知れない、理不尽の力――。



「――興が醒める。消えろ」



 ――その火花が弾けるよりも速く、"到達点"が動いた。


 その異名は伊達ではない。皇太子の言葉すらも追い越し、ヴェルギウスの刃は目にも留まらぬ速さで鞘を走り、少女の首を、そして身体を、一文字に両断した。


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