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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
6章「魔法と萌芽と不思議の少女」
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70話「決裂と赤い影」-中

 予想通り。しかし、やはり影響は避けられないかと、私が心中で眉を寄せたところで。



「……それだけではない」



 議長の声が、一段と低くなる。


「一昨日、晶潮館の周辺――我らが"姫"アケルナル様のおわす、この場所の付近にて、哨戒中の人魚兵が一名、惨殺死体となって発見された。その死に様は、この世のものとは思えぬほど無惨なものだったという」


「……っ!」


 人魚兵の殺害。


 それは、私たちが知らない情報だった。


 一昨日の夜。リラ・マイアに呼び出され、アケルナルに会うよりも前の出来事だ。


 隣でギエナの気配が、鋭利なカミソリのように研ぎ澄まされるのが分かった。彼はこのことを察していたのだろうか。


「エリダヌス連邦は、この水の都フォーマルハウトを、世界で最も安全な、中立の聖域であると自負してきた。だが、この二日で起こった凶行は、その自負を無惨に踏みにじるものだ。……他国の特使を招き入れた途端に、これだ」


「議長。それは、我々特使の中に、この度の狼藉を働いた犯人がいると、そう言いたいわけか?」


 ガーランドのリゲルが、冷ややかに口を挟む。


 彼は黄金の椅子に深く腰掛けたまま、退屈そうに指を弄んでいた。だが、その瞳は獲物を狙う鷹のように鋭い。


「断定は避けるが、疑わしきは排除せねばならん。ガーランド大公国が主張する王国の解体案。王国の主張する条約緩和案。そして帝国の融和案。……それらすべてを議論する土台が、もはや失われた」


「お待ちください、議長!」


 ミラクが立ち上がった。彼女の白いドレスが、焦燥に揺れる。


 マズい、と止める間もない。彼女は感情のままに、口を開いてしまう。


「昨夜の襲撃は、帝国の……いいえ、帝国を騙る不埒な輩による暴走の可能性があります! 私たちは、あくまでも対話を――」


「黙りたまえ、セプテニア特使! 君たちの国の軍艦が、この港に大砲を向けて停泊している事実は変わらん。昨日の今日で、誰が信用できるというのだ!」


 議長の怒号。


 会場の空気は、もはや"議論"を許す状態ではなかった。


(――やられた)


 考えてはいたことだ。そして、考えればわかること。


 エリダヌスだって、既得権益を手放す緩和案などは呑みたくないはずなのだ。それでも、ガーランドを手玉に取り、穏健派のフォルナクスが盤面にいれば、世間体と体面を保つために、首を縦に振る可能性は十分にあった。


 しかし、昨夜の襲撃。そして謎の人魚兵殺害事件。


 "急進派"は、二本の槍を構えていた。立て続けに起きた凶行は、商人器質なエリダヌスを不審に陥れるために十分な"舞台装置"だったのだと確信する。彼らは、私たちにまともな対話をさせる気など、最初からなかったのだ。


 昨晩想定した"最悪"が、いとも容易く目の前に現れる。それでも、私はここで、諦めるわけにいかなかった。


「……リゲル皇太子。あなたはどうお考えですか」


 私は、震える声を押し殺して、正面に掛ける青年――リゲル皇太子に問いかけた。


 ガーランドには、王国側に立つ理由があるはずだ。それが生きていれば、まだやりようはある。


「……どうするも、こうするもなかろう」


 彼は一瞬だけ私を見やり、鼻で笑う。


「決まっている。ガーランドも、信用の置けぬ相手と握手はできん」


「……そんな、"いばら姫"のことは、もうよいのですか?」


 揺さぶりをかけてみる。が、その表情は崩れない。


「……グラスベル特使。君が昨日語った"いばら姫の解呪方法"。それが実在する、具体的な証拠の一端でも、今この場で出せないのであれば、我が公国はエリダヌスの意見に全面的に賛成する」


 リゲルは、昨日の動揺を完全に払拭していた。


 彼にとって、街の混乱はむしろ好都合なのだ。窮した王国を、さらに追い詰めれば、"いばら姫"の解呪法、その真贋を問うことができる。


 もし、それがデタラメであるとわかれば、昨日の路線――王国の解体案を推し進めることができる。どう転んでも、ガーランドには得があるはずだ。


「昨日の話は、時間稼ぎの戯言(たわごと)だった。……違うか?」


「……いいえ。証拠は、あります」


 嘘だ。

 ギエナとの打ち合わせ通り、私はさらに大きな嘘を重ねる。


 心臓の鼓動が耳元でうるさく響く。


「解呪法は、現在王都にいる、とある重要人物が握っています。……ただ、その人物をここに連れてくるには、特別な手続きと輸送が必要になる。エリダヌスの混乱が収まるまで、提示を待ってほしいと言っているのです」


「待てだと? その間にも、また兵士が死に、街が焼かれていくだろうがな」


「……っ、そんなにお時間は取らせません。もうしばらく……せめて数日、王国から早馬が帰るまで、お待ちいただければ!」


 そこで、リゲルの視線が、エリダヌス側に向けられる。完全に、勝ち誇ったような瞳だった。


「と、王国特使は申しておられるが。エリダヌスの皆様は、この"大星潮首脳会議"を、あと数日引き延ばす……そんなことが、受け入れられるのか?」


 ギエナが苦々しげに、口元を歪めた。遅れて、私も理解する。


 答えは、聞くまでもなくわかっている。リゲルはこの状況が欲しかったのだ。客観的に見て、エリダヌスが会議を畳む理由が生まれる、この瞬間が。


 ――つまり、会議で築いたあらゆる不利が、ゼロになるこの瞬間が。


「……数日、それは認められん。少なくとも、王国の"大星潮条約"融和案に関しては、今日中に何らかの答えを出さねば」


 議長は厳しい様子で、そう口にする。それはすなわち、昨日ガーランド相手に作ったリードが、全て無に帰すということだった。


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