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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
6章「魔法と萌芽と不思議の少女」
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69話「交錯する夜の、その中で」

◆◇◆


 ノクティアの部屋を辞し、重厚な扉を閉めた瞬間、ギエナは足を止めた。


 扉のすぐ脇、夜の帳が落ちた廊下の影に、一人の少女が背中を預けて立っていたからだ。


「……おっと。驚かせてくれるじゃねえか……シャウル」


 ギエナはわざとらしく肩をすくめ、懐から煙草を取り出そうとして、ここが特使の宿舎であることを思い出し、苦笑いして手を止めた。


 対するシャウルは、いつもの気の抜けたような表情ではなく、獲物を値踏みする狼のような鋭い眼光を向けてくる。


「白々しい嘘はやめるっす、ギエナ様、あたしがいること、気付いてたくせに」


「睨むなよ、おじさんに何か話でもあるのかい? それとも、お夜食の相談か?」


「とぼけないでほしいっす。あたしに話があるのは、あんたの方でしょ」


 シャウルの声は低く、そして冷徹に核心を突いていた。

 ギエナは視線を泳がせ、数刻前――ノクティアたちがアケルナルと密会していた間に、自分がシャウルに持ちかけた"話"を反芻(はんすう)した。


 それは、王国の命運を握る軍師としての要請であり、一人の男としての、勝手な願いでもあった。


「……見極めは、もういいってことかい?」


 ギエナが問い返すと、廊下の空気が一段と冷え込む。


 ギエナは、このサミット期間中に、ノクティアという“姫”の本質を見極めるよう、シャウルに命じていた。もし彼女が、力に溺れず、人々を救うための"善性"を持ち合わせている存在だと確信できたなら――。


「『お嬢様が良い奴だとわかったら、全霊で協力してほしい』……あんた、あたしにそう言ったっすよね」


「ああ。お前さんは鼻が利く。おじさんが言葉で言うより、野生の直感を頼りにした方がアテになるだろ」


「答えは、まだ保留っす。……でも、聞きたいのはそこじゃないっす」


 シャウルが半歩、詰め寄る。その瞳には、ギエナの胸の奥にある"不穏な影"が見えているようだった。


「どうしてこのタイミングで、そんな話をあたしにしたんすか。見極めなんて、王国に帰ってからでもいいはずっす」


 シャウルは気づいていた。この数日、ギエナが自分たちに向ける視線が、まるで"いつかはいなくなる者"が遺される者を案ずるような、妙に湿っぽい色を帯びていることに。


 ギエナはふっと視線を窓の外、暗い運河へと逃がした。


「この先、何が起こるかわからない世界だ。帝国の急進派が動き出し、プレアデスの化け物が微笑んでやがる。……おじさんがずっと、あの子の傍にいられる保証なんてどこにもない」


 ギエナの声は静かだったが、そこには拒絶できないほど重い覚悟が宿っていた。


「だから、味方を増やしてあげようと思っただけだよ。お前さんのような、一度食らいついたら離さない、頑丈な味方をね」


「……どうして、そこまで力を貸すんすか。あんた、お嬢様にそんな義理もないはずっすよね。死ぬかもしれない戦いに、自分から首を突っ込んでまで……」


 シャウルの問いに、ギエナは少しだけ黙り込んだ後、いつもの、食えない悪党のような笑みを浮かべた。


「いつだって全身全霊、それがおじさんのモットーでね。まあ、安月給の割に仕事が多すぎるが……」


 彼はそう言い捨てると、シャウルの返事を待たずに歩き出した。


 コツ、コツと響くその足音は、迷いがないようでいて、どこか寂しげに響く。


 シャウルはその背中を見送りながら、彼に聞こえるか聞こえないかほどの小さな声で、ぽつりと呟いた。


「……うそつき」



◆◇◆


◆◇◆


 一方、アルトは宿舎を飛び出し、夜のフォーマルハウトの往来を彷徨っていた。


 頬を打つ夜風は冷たいはずなのに、胸の奥には泥のように重く、熱い焦燥が渦巻いている。


「……何も、できなかった」


 運河の欄干を拳で叩く。


 サダルスウドという名の少年の、底知れない狂気と、"姫"にも等しい圧倒的な魔法。それに対し、自分はただ、ノクティアの腕の中で震えることしかできなかった。


 シャウルはともかくとして、ギエナは知略で、ノクティアの役に立っている。だが、自分はどうか。


 かつての父、オレオーンであれば、あの絶望的な状況ですら、剣一本で活路を切り拓いたはずだ。


「……あの時、見えたものは……」


 アルトは右目の眼帯に手を触れた。


 サダルスウドの攻撃を回避した、あの刹那。


 眼帯の奥、失ったはずの眼球が、焼けるような熱を帯びて輝いた。白銀の光が視界を埋め尽くしたかと思うと、世界が静止したように感じられ、無数の斥力の"卵"の軌道が、光の筋となって見えたのだ。


 あれがもし、意図的に使える力なのだとしたら。


 アルトは必死に右目に意識を集中させ、夜の景色を透かそうと目を凝らす。だが、そこにあるのは冷たい暗闇と、時折疼くような神経の痛みだけだった。



「ほっほっほ。これはこれは、珍しい。お若い騎士よ、夜遊びですかな?」



 不意に背後からかけられた声に、アルトは跳ねるように振り返った。


 石畳を静かに踏んで歩み寄ってきたのは、帝国の特使、ミラクに仕える老紳士――バナビーだった。


「……バナビー殿。夜の散歩ですか」


「ええ。この都の夜風は、年寄りの骨身には少々沁みますが、月を愛でるには格好の舞台でしてな」


 バナビーは温和な笑みを浮かべ、アルトの横に並んで運河を見つめた。


 敵である。けれど、昼間の戦闘で自分たちを救った、謎多き実力者。アルトは迷った末、その横顔に問いかけた。


「……どうすれば、魔法の力を使うことができるのでしょうか。あなたの盾のように。あの少年のように」


 あまりに直球な、子供のような問い。


 バナビーは驚いたように眉を上げ、それから優しく目を細めた。


「おやおや。私が他国の特使の益になるようなことを教えると、本気でお思いですかな?」


 バナビーはとぼけるように首を振ったが、アルトの、必死にすがるような眼差しを見て、言葉を継いだ。


「……冗談ですよ。魔法の力は、既にあなたの中に根付いているようです。あとは、目覚めるだけでいい」


「根付いている? ですが、僕は……」


「きっかけが必要なのです。魔法が形を手にするための、強い意志。そして、絶対に揺るがない動機が。……魔法とは、単なる技術ではなく、その者の"生き様"そのものですから」


 バナビーはアルトの眼帯へと視線を移し、意味深に微笑んだ。


「そうすればきっと、あなたの中の魔法は、あなたの望む形になってくれますよ。……ただ、代償のない力などこの世にはありませんがな」


 ヒントを残し、バナビーは「では、良い夜を」と一礼して闇の中に消えていった。


 一人残されたアルトは、眼帯に触れた。


 そこには確かに、先ほどまでとは違う、確かな胎動のような疼きがあった。


 守りたい。


 その強い意志が、冷たい硝子の奥底で、静かに、だが確実に芽吹こうとしていた。



◆◇◆

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