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59話「開口一番、棘無しの否定」

 壇上に据えられた巨大な水時計が、重厚な音を立てて一刻を刻んだ。


 晶潮館の静寂を破ったのは、エリダヌス連邦議長の、事務的で冷淡な宣告だった。


「これより、第十二回"大星潮首脳会議"の第一議案に入る。――ヴァルゴ王国特使、ノクティア・グラスベル。条約緩和の要求について、主旨を述べよ」


 会場のすべての視線が、私に突き刺さる。


 私はゆっくりと立ち上がった。背後でアルトが、椅子を引く微かな音を立てて支えてくれる。その確かな気配を糧に、私は声を張り上げた。


「……現在、ヴァルゴ王国は他国の侵攻、ならびに、農作物の不作により、国民の生存権が著しく脅かされています。現行の"大星潮条約"による過度な貿易制限は、もはや防衛の域を超え、一つの国家を緩やかに絞め殺す絞首刑に他なりません。私たちは、食料ならびに最低限の防衛資材に関わる項目の緩和を、強く、切実に要求します」


 理路整然と、かつ情熱を込めて。ギエナと何度も練習したはずの言葉が、晶潮館の硝子の壁に跳ね返る。


 しかし、その言葉が消えぬうちに、冷笑の混じった鼻鳴らしが会場に響いた。


「――笑わせるな。これが歴史ある会議の場か、あるいは慈善活動の炊き出し会場か。聞き間違えたかと思ったぞ」


 声の主は、ガーランド大公国皇太子、リゲル・ヴァント。


 彼は黄金の椅子に深く腰掛けたまま、こちらを見ることさえせず、手元の書類を退屈そうに弄んでいる。


「……ガーランド代表。発言には慎みを持たれたい」


「慎みだと? 議長、それこそ冗談が過ぎる」


 リゲルは不意に顔を上げ、氷のように冷たい碧眼で私を射抜いた。


 その瞬間、彼の背後に立つヴェルギウスの圧が増した。空気が物理的に重くなり、肌がチリチリと焼けるような殺気が会場を覆う。


「条約とは、世界の均衡を保つための"重石"だ。力なき者がその重みに耐えられぬというのなら、それはその国がもはや、この円卓に座る資格を失ったことを意味するに過ぎない」


「それは……、あまりに暴論です。国力の衰退は一時的なものであり――」


「一時的? グラスベル特使、君は"時間"を無限の資源だと勘違いしているのか?」


 リゲルは遮るように、言葉の刃を叩きつけた。


「王国が立ち直るのを待つ間、この条約の枷を外せばどうなる? 王国の防衛力が無秩序に膨らみ、再び帝国との間に軍拡競争が起きる。その火の粉を被るのは、隣接する我らガーランドや、中立を保つ連邦だ。君の要求は、自国民の腹を満たすために、世界中の平穏を質に入れろと言っているも同義だ」


 完璧な正論。あるいは、正論の皮を被った"強者の論理"。


 彼は現代日本で言うところの、最も質の悪い、それでいて法と理屈を完璧に武器にするエリートクレーマーに似ていた。


「王国を切り捨てる。それこそが、今この瞬間、世界が選ぶべき最短の正解だ」


 リゲルはテーブルの上に手を広げ、周囲の各国首脳を見渡した。


「諸君、考えてもみたまえ。死に体の王国に物資を流し込む資源があるなら、それを我が大公国、あるいは連邦の"防衛力の強化"に充てるべきだ。弱者に施すパンを、強者の剣に。それこそが、他国侵略を企てる巨悪を抑え込むための最も合理的な投資だと思わないか?」


 会場に、不穏なざわめきが広がる。


 ジロリと、視線は私だけでなく、帝国のミラクにも向いていた。一方向だけでなく、これは帝国に対する牽制でもあるのだ。


「ヴァルゴ王国を条約の保護対象から外し、その管理権を近隣諸国で分配する。条約の緩和はその後に議論すればいい。――力ある我らだけが、その"重石"を分かち合うのだ」


 それは、交渉ではなかった。


 ガーランドによる、事実上の世界再編の宣言。


 王国の息の根を止め、その残骸を餌にして他国の手綱を握ろうとする、リゲルの冷徹な野心。


「……っ」


 私は言葉を詰まらせた。


 リゲルの放つ言葉は、一分の隙もなく、今の王国の弱さを正確に抉っている。


 反論しようとする唇が震える。


 ――だが、その時。


 背後に立つギエナが、私の肩を掠めるようにして、一歩だけ前に出た。


 その瞳には、私にはない、経験という名の余裕が湛えられており、リゲルとヴェルギウスが作り出した重圧の隙間を、鋭く射抜いている。


(落ち着いてくだせえ、お嬢様)


 声には出さない、確かな意志が伝わってくる。


 私は深く呼吸をし、胸元のブローチを強く握りしめた。


 リゲル皇太子。あなたは完璧だ。

 けれど、あなたは一つだけ、致命的な見落としをしている。


 私は椅子を蹴るようにして立ち上がり、円卓の向こう側、傲慢な太陽のように輝く青年を見据えた。


「――面白い提案ですね、リゲル皇太子」


 私の声は、先ほどよりもずっと冷たく、そして鋭く、晶潮館の水を震わせた。


 リゲルが、初めて怪訝そうに眉を動かす。


「……何が面白いのだ、敗北者の末席が」


「いいえ。あなたが今口にした"合理性"。その計算式のなかに、致命的な"変数"が欠けていると言ったのよ」


 私は、ギエナから授かった、喉の奥に隠した"毒"を舌の上に乗せた。


 まだ、出す時ではない。だが、流れを止めるためのくさびは、今ここで打ち込まなければならない。


 戦いは、まだ始まったばかりだ。


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