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57話「水都に迫る影」

◆◇◆


 水都フォーマルハウトの血管とも言える運河の底は、地上よりも遥かに雄弁だ。


 人魚兵のラーナは、真珠色の鱗を月光に鈍く光らせながら、議場近くの水路を緩やかに巡回していた。


 明日はいよいよ、各国の特使が揃う"大星潮首脳会議"だ。この、フォーマルハウトの心臓部に、それぞれの国の"顔"が揃うことになる。


 故に、警備も平時の比ではないほどに厚くなる。このエリダヌス連邦が国際会議の会場に選ばれている理由は、"大星潮条約"の存在以上に、その警備の厳しさによるものでもあった。


 水の密度、微かな温度の変化、そして運河を伝う振動。人魚にしか感知し得ない繊細な感覚。それらは、今夜の都が、いつになく"濁っている"ことをラーナに告げていた。


 都は表面的には華やかな静寂を保っている。しかし、水中に混じる無数の吐息や船のスクリュー音、そして地上の喧騒が、複雑に絡み合い、ラーナの鰓を不快に震わせていた。


(……嫌な予感がするわね)


 ラーナは槍を握り直し、水面に顔を出して周囲を伺った。


 議場の建物は、人魚たちの王たる"姫"アケルナルの魔力によって守護されている。万が一の事態が起きようとも、この海域最強の守護者がいる限り、都が揺らぐことはない。連邦の衛兵たちは誰もがそう信じていたし、それはこれまでの歴史に裏打ちされた事実でもある。


 ラーナもまた、その矜持を糧に職務を全うしてきた。きっと、今回の会議も何事もなく、平穏無事に終わるのだろうと――。


「……ん? あれは……」


 だが、ふと視線を落とした先。


 議場の土台を支える石組みの隙間に、何かが挟まっているのが見えた。


 それは、夜の暗い水底で、不気味なまでに透き通った光を放っている。


「これは……鏡の破片?」


 そう。まるで、手鏡の割れた一欠片のようなそれは、何故か明かりも差し込まぬはずの水底で煌めいている。


 人魚兵――その全てが"姫"たるアケルナルから力を受けた存在だ。故に、彼女は気が付いた。それが、何らかの魔法の力を帯びたものだと。


(どうして、こんなものがここに――?)


 屈み込み、その光る物体に手を伸ばそうとした、その時だった。


 コツン、と。


 硬いものが石畳を叩く、乾いた音が響いた。


 ラーナが反射的に顔を上げると、彼女の足元に、一つの小さな塊が転がってきていた。


 それは、掌に収まるほどの大きさの、真っ白な卵だった。


(卵……!? 一体、どこから……!)


 一瞬の戸惑いが、彼女の動きを鈍らせた。



 突如、その白い卵が、内側から膨れ上がるような不気味な脈動を刻み――次の瞬間、目も眩むような閃光と共に、激しく弾けた。



「――っ!?」


 爆風がラーナの視界を奪い、鋭い破片が彼女の真珠色の鱗を切り裂く。


 体勢を崩し、苦悶の声すら上げられない彼女の背後に、影が一つ、音もなく"落ちてきた"。


 冷たい腕が、彼女の首を後ろから羽交い締めにし、自由を奪う。


「――何を、貴様、離せ……っ!」


 抵抗するが、体に力が入らない。先ほどの爆発が、相応のダメージを残しているのだろう。振り払うことが、できない。


 激痛に霞む視界の中で、ラーナは己の口の中に、無理やり"何か"を押し込まれるのを感じた。



「あーあ、見ーちゃった。見ーちゃった。見ちゃいけないもの、見ーちゃった」



 耳元で囁かれたのは、無邪気な子供が遊びに興じているような、あまりに場違いな声だった。


 それでも、ラーナは必死に抗おうとしたが、口の中にねじ込まれた"卵"が、異様な熱を発し始める。


 それは喉の奥で、粘り気のある魔力を撒き散らしながら、急速に肥大化していく。逃げ場のない爆発的な圧力が、彼女の喉を、胸を、そして内臓を内側から破壊し、膨張させていった。


「あ……がっ、ぁ……」


 人魚の美しい喉から漏れたのは、言葉にならない断末魔の気泡だった。


 爆裂。


 内側から肉体を食い破る非道な暴力が、ラーナの意識を闇へと引き摺り込む。


 崩れ落ちる彼女の瞳に、最期に焼き付いたのは、月の光を背負って立つ四つの人影だった。



 一人は、重厚な漆黒の外套を纏い、山のような巨躯を揺らす大男。


 一人は、指先に銀色の糸を絡ませ、獲物を値踏みするように見つめる細身の男。


 一人は、先ほどラーナを仕留めた、塀の上で不安定に揺れる不気味な少年。



 そして、その中央。



 その異形の怪物たちを従えるように立っていたのは、フリルとレースで飾られた、血のような赤と黒のロリータ服を纏う、一人の可憐な少女だった。



 彼女の胸元には、黒く塗り潰された帝国の徽章が冷たく光っている。


 少女は死にゆく衛兵を見下ろし、まるで退屈な劇の終わりを告げるように、小さな唇を歪めて微笑んだ。


「……お掃除完了。さあ、始めましょう」


 少女の細い指が、議場を指し示す。


 フォーマルハウトの美しい夜景の裏側で、暗い(よどみ)が、今、都を完全に呑み込もうとしていた。


 人魚兵の絶命した運河には、ただ、粉々に砕けた卵の殻だけが、雪のように白く浮いていた――。



◆◇◆

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