49話「硝子の戒めと不殺の姫」
月光が差し込む回廊に、硝子の装甲が放つ冷たい輝きが満ちる。
私の手には、鋭利な硝子の剣。対するは、見たこともない灰色の装甲を纏った五人の刺客。
(……魔力が、ひどく濁る)
彼らが近づくにつれ、私の内側にある魔力の源が、まるで泥を混ぜられたようにザラつき、不快なノイズを立て始める。
連中の装備する、無骨な装甲が発する、不気味な"ざわつき"が、私の集中を物理的に掻き乱してくるのだ。
「――お嬢様! 一つだけ言っておきやすぜ」
装飾用の古剣を構え、一人で二人の刺客を食い止めているギエナが、鋭い声を張り上げた。
「城内で殺しなんてやらかしたら、連中の思うツボですぜ! 『姫は人の法に縛られぬ怪物だ』と触れ回る格好の材料になっちまう。……不本意でしょうが、不殺で通しなせえ!」
「殺さずに、無力化……っ!?」
無茶を言わないで、と叫びそうになった。
この不気味な装甲のせいで、ただでさえ魔力を練るのが困難なのだ。出力を絞って精密な制御をする余裕なんて、今の私にはない。
だが、ギエナの言葉の裏にある"意図"を察し、私は奥歯を噛み締めた。
おそらく、"星の塔"にいるアルフェッカはこの奇襲に気づいている。これは、試練なのだ。
感情に任せて力を振るう"怪物"になるのか、それとも理性を保ち、理不尽を御す"姫"になれるのか。私は今、あの方に試されている。
私は濁る感覚を無理やり捩じ切り、硝子の剣を地面に突き刺した。
「――なら、これよ! "嬰児の檻"!」
敵の足元から巨大な硝子の塊を発生させ、一気に封じ込める。
しかし、床から伸びた硝子の柱は、刺客の装甲に触れた瞬間、パリンと力なく砕け散った。
「なっ……魔法が、霧散した……!?」
まるで、本物の硝子のようにパラパラと舞い落ちる破片の中、突っ込んでくる刺客の一撃を、どうにか回避する。
「へっ、その硝子の力を剣や槍と同じだと思って使ってちゃ、そいつにゃ通用しやせんぜ!」
ギエナが嘲笑うように言いながら、敵の死角に回り込み、古剣の"柄"で刺客の首筋を強打した。
彼の戦い方は、騎士とは程遠い。床の花瓶を蹴り飛ばして視界を塞ぎ、絨毯の端を引いて足元を崩す。目潰し、不意打ち、なんでもありの戦術だ。
流麗で洗練された、"灰刃"の戦いとはまた違う強さ。それを、"砂の鬣"は持っていた。
「いいですかお嬢様! そいつは"奇跡"じゃねぇ、ただの"道具"だ! 正面から斬って通じねぇなら、砂をかけるなり足を引っかけるなり、やりようはいくらでもある! 綺麗にやろうなんて思っちゃいけねぇ、もっと狡く、もっと泥臭く、そいつを使いこなしなせえ!」
「ただの、道具……?」
狡く、泥臭く。
ギエナは、魔法のことなど何も知らないはずだ――しかし、その言葉は、すとんと胸に落ちた。
(シンデレラ……灰被りの少女。その物語は、灰の苦難と硝子の二面性を持っている)
刺客の件を、硝子の盾で受ける。しかし、やはり強度は脆い。これ以上硬くしようとすれば、恐らく魔法は制御を失ってしまうだろう。そんな、特有の"ブレ"のようなものを感じていた。
つまり、真っ向から立ち向かうのは得策ではない。
(なら、魔法の使用は最低限。現実に残る"物質"の理屈を利用すればいい!)
私は掌を正面に突き出して、叫ぶ。
「――舞いなさい。"残り火の灰"!」
今度は巨大な塊ではない。目に見えないほど微細な、しかし鋭利な硝子の粉塵を大量に生成し、回廊の空気を満たした。
刺客たちが動揺し、装甲の隙間から入り込む微細な破片に、咳き込みながら動きを止める。
そこへ、私は次の"仕掛け"を放った。
「足元を掬われても、文句は言わないで。――霧氷の鏡床!」
相手の足下を、一切の摩擦を排除した、極限まで滑らかな硝子の鏡面へと変質させる。
重厚な装甲を纏い、力任せに踏み込もうとした刺客たちは、その自重ゆえに制御を失った。
「……っ!?」「ぬわあっ!」
無様に転倒し、氷の上を滑るように壁へと激突する刺客たち。
魔法の力ではなく、ただの"滑る床"という物理的現象。これならば、あの魔力を濁らせる装甲といえど、慣性の法則までは無効化できない。
私は硝子の装甲をさらに薄く、鋭い"鎖"の形に変えて、彼らの四肢を縛り上げた。
「これで終わりよ。……"硝子の戒め"」
三人の刺客は、そうして完全に縛り上げられる。謎の装甲には触れぬよう、鎧の隙間を通した鎖は、指一本すらも、動かすことを許さないだろう。
「……やった、のね」
私は、肩で息をしつつ、少しずつ呼吸を落ち着ける。
殺すだけなら、きっと簡単だった。制御不能な力を、制御不能なまま振るえばいい。
けれど、そうでなく、"殺す""殺さない"を使い分ける手加減というのは、ひどく難しいものだった。
(……けれど、この技術はきっと、これからの戦いで必須になる)
そう、私が思考した、次の瞬間。
――ガチャリ。
静寂を取り戻した回廊に、不穏な音が響いた。
見れば、物陰にもう一人、人影が潜んでいるのが見えた。例の装甲を纏っていないあたり、完全に不意打ちを狙った伏兵なのだろう。
(――しまった)
無慈悲に引かれようとする引き金。
至近距離。疲弊した私の反応は、一瞬遅れた。この距離からなら、いくら"姫"とはいえ、無傷では済まない――。
「――させないっす!」
――瞬間、横から影が走った。
横合いから飛び出した彼女――シャウルは、鋭い回し蹴りでボウガンの銃身を跳ね上げる。
その一瞬を、ギエナは見逃さなかった。装飾剣の峰で、強かに打ち据え、意識を刈り取った。
「う、あ……」
刺客は白目を剥き、崩れ落ちる。
最後の一人が、床に沈むのを背に、シャウルは、ふぅ、と荒い息を吐きながら、不敵に笑ってみせた。
「……お嬢様。最後くらい、ちゃんと締めるっすよ」
「シャウル……ありがとう。助かったわ」
私は膝をつき、肩で息をした。
硝子の装甲が、さらさらと音を立てて崩れていく。
――ボーン、ボーン……。
遠くで、日付が変わるのを告げる鐘の音が響き始めた。
午前0時。
私の身体を包んでいた硝子の光は完全に消え、そこには再び、汗に濡れた一人の少女の姿が残された。
「……な、何事だ!?」
騒ぎを聞きつけた近衛兵たちが、松明を掲げて回廊になだれ込んできた。
その中には、セファス王、そして壮行会に出席していた貴族たちの姿もあった。
彼らが目にしたのは、無数の硝子片が月光に煌めく中、ボロボロの刺客たちを前に、凛として立つノクティアの姿だった。
「これは……帝国の"対姫装甲"……? だが、誰一人死んでいないのか……?」
「あの恐ろしい暗殺装備を相手に、これほどの鮮やかな鎮圧を……。なんと気高く、自制心のあるお方だ」
口々に、周囲の人々は、ノクティアを称える言葉を吐く。それを聞いて、ギエナはニヤリと笑う。
「へえ、こいつはいい。どっかの誰かさんの思惑を砕いただけじゃなくて、評判まで上げちまいましたね」
「……私、上手くできたかしら」
「上々、と言ってやりてえところですが、おじさんからのヒントがなきゃ、ピンチだったでしょう? ま、及第点ですかね」
彼は、ボロボロになった装飾剣を床に捨て、満足げに鼻を鳴らしたのだった。




