48話「月下の刺客」
静まり返った城の回廊。窓からは青白い月光が差し込み、私たちの影を長く伸ばしている。
かつ、かつ、と足音だけが響く中、不意にシャウルが立ち止まった。
「……お嬢様。一つ、聞いていいっすか」
「何、どうしたの急に、改まって」
彼女の声色は、聞いたことがないくらいに静かなものだった。
「お嬢様はその、呪われた"姫"の力を……何のために使うんすか。……さっきだって、あんな酷いことを言われてたじゃないっすか。暴れて、みんな殺しちゃえばよかったのに」
その問いには、彼女自身の"姫"に対する複雑な感情が混ざっていた。私は月を見上げたまま、穏やかに笑った。
「怒りたかったわよ。っていうか、ギエナがいなかったら、たぶんビンタの一発くらいはお見舞いしていたわ」
それは、事実だ。私は、冷徹な令嬢を完璧に演じきることすらできていない。
殺しきれない心は、簡単に熱を帯びてしまう。
「でもね、あそこで暴れたら、私を救うために命を落とした彼女の……スピカの名を汚すことになると思ったの」
「……スピカに、ですか?」
「そう、あの子は私を、命懸けで守ってくれた。だから、それに恥じない生き方をしたいのよ」
意外そうに、シャウルが私を見つめてくる。
この際だ。彼女には、本当のことを伝えておいたほうがいいかもしれない。そう考え、私は少しだけ屈み、彼女と視線を合わせた。
「……シャウル。"姫"が、この世界の人間の体を依代に降りてくる、というのは知ってるわね?」
静かに頷く。もしかすると、彼女もまた、私になる前のノクティアを知っていたのかもしれない。
だとしたら、なおさら。これだけは伝えておくべきだろう。
「私はね、いつかこの身体を、元のノクティアに返したいと思っているの」
「――っ! な……」
なんで、という言葉を、彼女は紡げなかった。
シャウルには理解できないのだろう。身体を返すということは、私という魂が行き場を失うということだ。
元の世界に戻れるのか。果たして、戻ったところで、焼死した私はただ、死ぬだけではないだろうか?
考えたことはあるが――今は、そこに答えを出すべきではない。
「私は、いつか来るその日までに、誰もが理不尽に泣かなくていい世界を作りたいだけ。そのためなら、多少のヒビは我慢するわよ」
私の言葉を聞いたシャウルは目を見開き、何かを言いかけて飲み込んだ。その瞳に、ほんの少しだけ今までにはなかった光が宿った。
彼女との間に、僅かに、今までとは違う何かが芽生えたように思えた――。
――その瞬間だった。
ガシャン、と。重厚な鎧が擦れ合う、暴力的な音が回廊に響き渡った。
目の前に現れたのは、五体の全身鎧。彼らが纏っているのは、見たこともない重厚な灰色の装甲だった。
「……何? あなたたち、近衛の兵士じゃなさそうだけど」
私の言葉をよそに、彼らはジリジリと距離を詰めてくる。
そして、その威容が近づくにつれ、私の身体が異変を察知する。
(……何、これ。魔力が……上手く練れない?)
身体の内側にある魔法の源が、まるで泥を流し込まれたように重く、濁る感覚。彼らの装甲が放つ、不気味なざわつきが、私の意識を掻き乱してくる。
「……っ、何、あなたたちは――」
不意に、私は魔法を発動しようとしたが、上手くいかない。絶えず掻き回される水面のように、集中が続かないのだ。
それに加え、視界の端に映った柱時計の針が、私の動きを凍りつかせた。
午後11時50分。
あと10分で、私の魔法は解ける。
もし、この不気味な装備を纏った連中に時間を取られれば、能力の制約が白日の下に晒されることになる。
その一瞬の躊躇を、彼らは逃さなかった。先頭の一人が、魔力を切り裂くような大剣を振り上げ、私へと肉薄する。
「――おっと。ネズミは集まったみたいだねぇ」
物陰から飛び出してきたギエナが、回廊の壁に飾られていた装飾用の古剣で、その一撃を受け止めた。
「お嬢様、下がってなせえ! こいつらは、ただの暗殺者じゃねぇ!」
「でも、ギエナ! 魔法が、上手く……!」
「いいから! ここは、おじさん一人で十分でさぁ!」
そう口にするギエナは、ボロボロの古剣一本で、異様な装甲を纏った刺客の一撃を受け止めた。
しかし、装備の差は歴然。加えて、人数差もある。いくらギエナが強かろうと、武器ですらない飾りの剣では、流石に分が悪い。
私は足元を見た。ここでまた、誰かを失うのか。自分の秘密を守るために、私を支えてくれる人たちを見殺しにするのか。
脳裏に、赤く染まった夜の景色が浮かぶ――。
(……いいえ。そんなの、もう真っ平よ!)
私は濁った感覚を無理やり捩じ切り、掌を虚空へと掲げた。残り時間は10分というところか。ならば――。
「――私に、二度目の奇跡を」
――この10分で、すべてを終わらせればいい。
刹那、私のドレスが激しい光を放ち、無数の硝子片へと分解されていく。舞い散る硝子が月光を反射し、回廊を眩いばかりの戦場へと変えた。
光の渦が収まった時、そこに立っていたのは煌びやかな夜会着の令嬢ではない。
全身を硬質の硝子の装甲で包み、手には美しくも残酷な硝子の剣を握った、"シンデレラ"の姿だった。




