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47 話「悪意の壮行会」

 そして、数日が経ち、王都を発つ前夜。セファス王の計らいにより、王城の広間で壮行会という名の祝宴が催された。


 天井からはいくつものシャンデリアが吊り下げられ、磨き抜かれた大理石の床には、着飾った貴族たちが色とりどりの花のように溢れている。


 本当ならそれらを楽しみたい、楽しみたいのだが……。


「……えーと、グラスはこうして、料理を取るときは……」


 私は、現代社会では一度も経験したことのない、重苦しいほどに厳格なパーティの作法に四苦八苦していた。


 歩き方、視線の配り方、グラスの持ち方……。一つ一つの所作に神経を削り、失礼のないようにと気を張れば張るほど、私の表情は険しくなっていく。


 だが、周囲の反応は、私の内心とは裏腹なものだった。


「……見ろ、あのグラスベルの令嬢を。一分の隙もない」

「陛下が直々に指名されたのも頷ける。あの若さで、なんと冷徹で厳しい視線だ」


 彼らは、私がマナーを思い出すために必死で眉を寄せている顔を、格下の者を寄せ付けない高潔な威圧感だと勝手に解釈し、畏怖の眼差しを向けていた。


 そんな中、一人の初老の貴族が、ゆらりと私の前に立ちふさがった。


 私は避けようとしたが、ふらつく男の手が傾き、すれ違いざま、グラスの中身が私のドレスを赤く汚した。


「おや……これは失礼。あまりの威光に、つい手が震えてしまいましてな、お嬢様」


 謝罪の言葉とは裏腹に、その瞳にはどろりとした悪意が張り付いている。


 偶然ではない――それを、一目で理解させる表情だった。


「え、ええ。大丈夫ですわ、気にしないで……」


「ははははは! 流石、グラスベルのご令嬢は心が広い。心遣い、感謝いたします」


 私は反射的に許そうとしたが、男はそれを遮るように、周囲に聞こえるほどの声で話し続ける。


 その声色には――(あざけ)るような色が混じっていた。


「しかし、陛下も人使いが荒い。こんな善良なお嬢様を、生きては戻れぬ全権特使に任じるとはな」


「いえ、そんな……それに、生きて帰れぬと決まったわけではありませんし、名誉なお仕事です」


「……名誉ね、ふん。何と言おうと、危険無事に変わりはありませんぞ。特に、今のグラスベルには、"灰刃"もいないのでしょう?」


 "灰刃"。

 不意に出てきたその言葉に、思わず私は反応してしまう。


 けれど構わずに、目の前の男は続けた。


「せめて、彼女が側にいれば心強かったのでしょうが。連れてきたのは、枯れた"砂の鬣"と、作法も(つたな)い侍女が一人、ですからな」


「……もう、そのあたりで」


 私は、腹の底から湧いてくる熱を抑えながら言う。


「まあ、肝心な時に主人を守れず、野垂れ死ぬようでは、"灰刃"も、所詮はその程度の女騎士だったということでしょうな」


 ――頭蓋の中身が、沸騰するような感触があった。


「……今、なんて言ったの?」


 スピカを――自分を盾にして散っていった、あの真っ直ぐな少女を"その程度"と断じられた瞬間、頭に熱い血が上る。ドレスのポケットの中で、無意識に拳が震えた。


「私を嘲るのはいいけれど、あの子を馬鹿にするのは違うでしょ、あの子は……!」


 私が一歩踏み出し、床が硝子に変わりかけた、その時だった。


「おやおや。ノクティア様はお疲れのようだ。……よろしければこのギエナめが、続きをお伺いしましょうか?」 


 不意に背後から現れたギエナが、私の肩を優しく、けれど強く抑えた。


「……! ぎ、ギエナ、アルファルド……!」


「はい、ギエナでございます。もっとも――"枯れた"私ではお嫌かもしれませんが」


「……い、いや、失礼する。暇ではないのでな」


 私のような、未熟な小娘ならともかく、"砂の鬣"を前にして、口を動かせるほど勇敢ではなかった。


 男は顔を青くして、逃げるように去っていく。


「……ごめんなさい、ギエナ。つい、頭に血が上ってしまったわ」


「いいんですぜ。ただ、覚えといてください。……お嬢様、この国にはね、あんたみたいな"姫"という存在そのものを疎む連中が、一定数いるんですよ」


「"姫"を疎む……それは、やっぱり恐ろしいから?」 


 ギエナは周囲を警戒しながら、静かに、けれど重い言葉を継いだ。


「それもあります。が、そもそも人間ってのは、デカすぎる力を恐れるもんだ。王が"姫"の力を頼りにしている以上、あいつらは大っぴらには反対できねぇみてえですが」


「……そんなことをして、帝国の"姫"が攻めてきたらどうするの?」


 私の脳裏には、赤い溶解の悪夢がこびりついている。


 "姫"に対抗するには、"姫"の力が必要ではないのだろうか。それを失くしてしまえば、後は――。


「恐らく、あいつらは自分の懐にいくら入るかしか考えてねえですよ。最悪、王国を帝国に売ったって構わねえとも」


「……呆れた。それで、この国から"姫"を排除しよう、なんて突飛な発想に辿り着いたのね」


 その後のことなど、考えていないのだろう。


 かつての大戦の覇者、というだけで平和ボケした連中が、いかに多いのかというのが、よくわかる気がした。


「ま、とにかく連中は、あんたが"人間"じゃなくなるのを待ってる。怒りに身を任せて力を振るう、"怪物"になるのをね」


「なら、関わらないのが一番ね、相手にしても、ロクなことにならなさそうだわ」


 反"姫"派とでもいうべきか、王国内にも、厄介な連中がいるものだ。


 内にも外にも敵がいる――これも、アルフェッカは把握しているのだろう。それでも排除するわけにはいかない。


 怪物を恐れる気持ちが、私にも、わからないわけではないからだ――。


「……加えて、弱みも見せねえ方がいいですね。シャウルの嬢ちゃんはどこです?」


「そうね、あの子が一番心配だわ。ちょっと、気分転換がてら探しに行ってくる」


 ひらひらと手を振るギエナから離れ、私はシャウルを探す。王城の広間はそれなりに広い上、今日は来賓の数も多いため、一苦労だ。


 そうしているうち――部屋の隅にぽつりと佇む、彼女の姿を発見する。


「シャウル、ここにいたのね。何か粗相(そそう)を――」


 と、そこで気が付く。私が見つけるまで、彼女は、いつもよりもずっと大人しく、壁際で落ち着かない様子で視線を泳がせていたようだった。


「……どうしたの、人混みにでも酔ったの?」


「……っ! お、お嬢様。……なんでもないっす。ただ、ちょっと胸がザワザワするだけっすよ」


 彼女は珍しく視線を合わせようとしない。


 もしかすると、疲れてしまったのかもしれない。グラスベルの辺境から王都まで長距離の移動、そして、慣れないパーティ。


 シャウルの境遇から察するに、こういった場に立つ機会は、そうそうないだろう。疲れを感じて当然だ。


「そう、ねえ、シャウル。私ちょっと着替えたいの。一度、部屋に戻らない?」


 私の申し出に、シャウルは驚いたように目を開いた。

 そうして、少しだけ考えた後、小さく頷く。


「……そうっすね、こんなところにいるより、ずっとマシっすから」 


 言葉の意味はわからなかったが、ともかく、私たちは二人で会場を抜け出した。


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