45話「芽吹く塔の隠者」
玉座の間を後にした私は、近衛兵の先導で"星の塔"へと足を踏み入れた。
外から見上げた際の白亜の威容とは裏腹に、塔の内部は驚くほどに"土"と"時"の匂いが満ちていた。壁面は滑らかな石材ではなく、まるで地層をそのまま垂直に切り出したかのような、剥き出しの断層で構成されている。
様々な色の鉱石、太古の熱を閉じ込めた琥珀、そして見たこともない生物の化石。それらが壁の至る所に埋め込まれ、塔自体が一個の巨大な生命体の記録を読み上げているかのような、圧倒的な情報量が私に迫ってきた。
「……何、これ」
階段を上るたび、壁に埋まった水晶が微かに発光し、私の足元を照らす。螺旋階段はどこまでも続き、心臓の鼓動が耳の奥でうるさく響き始めた頃、ようやく最上階の重厚な木の扉へと辿り着いた。
兵が扉を開け、一礼して退く。
部屋に入った瞬間、私の思考は真っ白に塗り潰された。
そこは、空中に浮かぶ庭園だった。
天井はなく、王都を一望できる開放的な空間の中央に、一人の女性が座っていた。
彼女の周りには、もはや"髪"と呼んでいいのか分からないほどの、凄まじい質量の白銀が渦巻いている。その髪は滑らかな絹のようでありながら、ところどころに植物の蔓のような節があり、そこには淡い光を放つ星型の小花が無数に咲き乱れていた。
その髪は塔の壁を伝い、床を這い、血管のように建物全体と、そしてその下の"大地"へと深く根を張っている。
「よくここまで来たわね。初めまして、ノクティア」
穏やかで、けれど風のように実体の掴めない声。
彼女がゆっくりと振り返り、私を見て微かに微笑んだ。
「ねえ、ノクティア。一つ聞いてもいいかしら。……私の元となった物語、あなたには何に見える?」
彼女の姿、そしてこの塔の有様。私は迷わず、その名を口にした。
「……高い塔に囚われ、その長い髪を解いた王女。――『髪長姫』でしょう?」
「ふふ、流石、童話には詳しいわね。その通りよ」
彼女は満足げに目を細め、静かに立ち上がった。足元を埋め尽くす銀の髪が、彼女の動きに合わせてさらさらと波打つ。
「私はアルフェッカ・フルール=ゴルドシア。……この国では"芽吹いてしまった髪長姫"なんて呼ばれているわ」
「……じゃあ、この髪が、あなたの魔法?」
私は、すぐ近くの房に触れる。まるで、上質な楽器の弦に触れているような、そんな感触だ。
「ええ、そうよ。私の髪はね、この世界の龍脈――自然エネルギーの根幹に深く根付いているの。このネットワークは国内全土、隅々まで行き渡っている。私はこの髪を通じて、王国の呼吸を、そして新しく目覚め"姫"の鼓動をずっと感じていたのよ」
彼女の指先が、床を這う一本の髪を優しく撫でる。その瞬間、足元から微かな振動が伝わってきた。彼女はこの塔に幽閉されているのではない。この塔を核として、王国そのものと一体化しているのだ。
ならば――セファス王があそこまで、全てを知っていたことも頷ける。彼女が観測した内容を、伝えていたのだろう。
そんな全識の"姫"は、私に問うてくる。
「では、教えて、ノクティア。髪を通じてあなたの歩みを見てきた私には分からない、あなたの"瞳"に映る真実を。……この国は、今のあなたにどう見えているかしら?」
私は、窓の外に広がる王都の、あの虚飾に満ちた白銀の街並みを思い出した。一見すれば豪華絢爛。けれど一歩路地裏へ入れば、そこには剥ぎ取られた傷跡が残っている。
「……そうね。私にはこの国は、『幸福な王子』に見えるわ」
「幸福な王子?」
「ええ。街の人々のために自分の体から金箔を剥ぎ取り、サファイアの瞳を差し出し、最後にはボロボロになって打ち捨てられた王子の物語」
けれど、今の王国がそれを捧げているのは、愛する民ではなく、エリダヌスという名の欲深い魔女だ。豪華な外装は、内側の富が削り取られていることを隠すための死化粧に過ぎない。
「自分を飾る宝石をすべて奪われ、最後にはゴミとして燃やされるのを待つだけの――哀れな像に見えるわ」
私の例え話を聞いて、アルフェッカは一瞬の静寂の後、鈴を転がすような声で可笑しそうに笑った。
「ふふ、あはは! やっぱり、聡い子ね。それに、とても優しい子。……自分を異物だと断じながら、その瞳には王国の痩せ細る土壌への怒りが宿っている」
アルフェッカは、浮遊する髪を操り、私の目の前まで顔を近づけた。彼女の瞳には、私がレグルス砦で目覚めた、あの夜の殺意も、自分という存在を使い捨ての刃として定義した贖罪の意識も、すべて見透かされているような深淵があった。
「あなたなら、本当にやり遂げるかもしれないわね。……ねえ、セファス。この子に、私たちの運命を賭けてみない?」
彼女の背後の影から、一人の男が静かに姿を現した。
セファス・ヴァルゴ六世。王は苦々しげな表情で、玉座の間で見せた威厳を今は脇に置き、一人の疲弊した男としてそこに立っていた。
「……馬鹿なことを言うな、アルフェッカ。彼女は先日覚醒したばかりの"姫"だ。この世界の理も、"大星潮条約"の恐ろしさも、何も分かっておらんのだぞ」
「もう、心配性ね、セファスったら。この子以上に適任なんている? 既存の常識に縛られず、理不尽を理不尽として正しく怒れる……そんな"物語の可能性"を持った子が」
二人の会話が飲み込めず、私は眉を寄せて問いかけた。
「……何の話をしているの?」
アルフェッカは、星の花が咲き誇る自らの髪を、私の肩に優しく触れさせた。その温もりは、どこか懐かしい花の香りがした。
「来月、エリダヌス連邦で行われる"大星潮条約首脳会議"。……ノクティア、あなたに、王国の全権大使として出席してほしいの」
「全権大使……? 私に、エリダヌスと交渉をしろというの?」
「そう。王国という『幸福な王子』が、これ以上剥ぎ取られないために。首輪を緩めるのか、それとも引きちぎるのか。……あなたのその童話の知恵で、王国の、いいえ、私たちの"明日"を勝ち取ってきてほしいのよ」
アルフェッカの微笑みは、慈愛に満ちていながら、同時に退路を断つような強固な意志を孕んでいた。




