44話「天網の檻と星の声」
黄金の重厚な扉が、重々しい音を立てて開かれた。
一歩踏み出した先に広がる玉座の間は、王都の煌びやかさの中でも一際、異質なほどの豪奢さと厳粛さに満ちていた。
高い天井には神話を模した緻密な装飾が施され、窓から差し込む陽光が、床に敷かれた深い真紅の絨毯を鮮やかに照らし出している。
だが、その美しさはどこか不自然だった。外の路地裏で見た困窮を思えば、この空間はあまりに過剰で、まるで滅びゆく国が最期に纏う死装束のような、虚飾の冷たさを湛えている。
その最奥。幾段もの階段の上に据えられた玉座に、ヴァルゴ王国の統治者――セファス・ヴァルゴ六世が座していた。
深く刻まれた眉間の皺と、すべてを見透かすような鋭い灰色の瞳。彼は、ギエナの教え通りに感情を殺し、気高き"姫"を演じる私を、じっと無言で見つめていた。
「――グラスベルの令嬢、ノクティア。よくぞ参った」
低く、地を這うような重厚な声が広い空間に響き渡る。
「まずは、先日の帝国による侵攻を、其方の力によって食い止めた件、見事であった。不落の獅子を失いながらも、其方が目覚めたことは王国にとっての僥倖と言えよう」
「恐悦至極に存じます、陛下」
私は、鏡で練習した通りの完璧な礼をとった。
セファス王は、肘掛けに置いた指先をトントンと規則的に叩き、表情を崩さずに問いかけてきた。
「して、ノクティアよ。望みの褒美を申してみよ。土地か、金貨か。あるいは、王都での華やかな地位か?」
試すようなその問いに、私は迷わず顔を上げた。
「……陛下。私が求めたいのは、私個人への褒美ではございません。先日の戦いで犠牲になった兵たち、そして民への厚い弔いと、遺された家族への終身にわたる補償……それだけを、切に願います」
玉座の間が、しんと静まり返った。
周囲に控える文官たちが、驚きに顔を見合わせる。欲にまみれた貴族たちを見慣れている王にとって、私の答えは予想外だったのだろう。
セファス王は、ふっと口元を微かに歪めた。
「……なるほど。無欲だな。もしかしてお前は、"ニホンジン"というやつか?」
「……っ!?」
不意に投げかけられたその単語に、私はあやうく仮面を剥がされそうになった。
鼓動が早まる。なぜ、この世界の王がその名を知っているのか。
「驚くことはない。この国の"姫"から、異界の話は多く聞いている。お前たちの世界の者は、時として理解しがたい倫理観と、奇妙な無欲さを持っているとな」
王は事もなげに話し、視線を窓の外にそびえ立つ"星の塔"へと向けた。
"姫"の話が出た。私はこの機を逃さず、一歩踏み出して告げた。
「陛下。……もし許されるのであれば、その王国の"姫"に拝謁したく存じます。同じ王国の姫として、交流の機会を頂ければと」
「……ならぬな」
拒絶は、氷のように冷たく速かった。
「なぜ、でしょうか。私はただ――」
「其方も、都の様子は見たであろう。この国は今、エリダヌス連邦との"大星潮条約"によって、生殺しにされている。食料自給は死に体となり、民は明日のパンにも事欠く有様だ」
「……グラスベル領では、そんな様子は見受けられませんでしたが」
少なくとも飢えている領民は見たことがなかったし、シルマの市はいつも賑わっていた。
それを聞けば、王は目を伏せ、首を振る。
「……アトラスの奴は、有能だからな。しかし、国内の全ての領主に、奴と同じ采配を望むのは酷というものだ」
「そ、そうなのですか……? 私……」
「気にせずともよい。……続けるぞ。この王国の崩壊を、ギリギリのところで留めているのは、唯一の希望である"姫"その人だ。彼女こそが王国の最重要人物……いや、国の根幹を成す機関と言ってもいい。そのような存在を、素性も定かでない覚醒者に会わせるわけにはいかん」
セファス王の瞳に、暗い影が差す。
自らの無力を呪うような、それでいてすべてを諦観したような瞳。私は食い下がった。
「交流できれば、より強固な守りとなるはずです。私は戦いたいのです、この理不尽な――」
「――余を謀るのは、まだあと十年ほど早いようだな。ノクティア」
王の言葉が、私の思考を凍りつかせた。
「知っているぞ。其方の真の目的が、世界に蔓延るすべての"姫"を打ち倒すことだということをな」
背筋を、氷のような指がなぞった。
誰にも言っていないはずだ。あの夜、レグルス砦でアルトにだけ打ち明けた、私の孤独な誓い。なぜ、この王がそれを知っている?
「……なぜ、それを」
「余は何もかもお見通しよ。"天網恢恢、疎にして漏らさず"……。これも、貴様の国の言葉だな?」
彼の視線が鋭くなる。マズい、という空気を感じ取ったが、既に遅し。
「全く、恐ろしい姫だ、貴様は。救国の英雄を招き入れたつもりが、その実、牙を隠した狼を呼び寄せてしまったか」
セファス王は深く溜息を吐き、忌々しそうに手を振った。
「下がれ、ノクティア・グラスベル。其方にこれ以上の沙汰はない。……余の気が変わらぬうちに、王都を去るがいい」
「陛下、お待ちください!」
私が叫ぶのと同時に、周囲に控えていた重装の近衛兵たちが、ガチャリと音を立てて槍を交差させた。
力ずくで引き立てられ、玉座の間から追い出されそうになる。
ハッタリも、交渉も、すべてが通じない。王の"全知"の前に、私の仮面は無力だった。
(……ここまでなの? まだ、何も成し遂げていないのに!)
絶望が胸をよぎった、その瞬間だった。
――『…………大丈、夫…………』――
耳元で、硝子が擦れ合うような、繊細でどこか儚い旋律が聞こえてきた。
それは言葉というよりも、直接脳を撫でるような囁き。
――『その子は大丈夫。……少し、お話したいことがあります。彼女を、"星の塔"まで連れてきてください』――
近衛兵たちの動きが、ピタリと止まった。
王座に座るセファス王もまた、目を見開き、虚空を見つめている。
その声は、この豪奢で冷酷な王城を包み込む、あまりに切ない慈愛に満ちていた。
「今の声は……」
王は呻くように呟くと、苦々しげに私を睨み、そして力なく命じた。
「……兵、道を空けよ。……ノクティア、其方を"星の塔"へ案内させる。あの方がお望みだ。……我らには、それを拒む権利などない」
「……あの方? それって……」
私は動悸を抑えながら、城の背後にそびえ立つ白亜の塔を見上げた。
まさか、あの場所に。その答え合わせをするように、王は頷いた。
「先ほど、会いたいと言っていた"姫"だ。彼女が、貴様をお呼びのようでな」
そこには、王国を縛る"糸"の主がいる。
私は促されるままに、運命の声が響く、星の塔へと足を踏み出した。




