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43話「王都、ヴァルゴ」

 馬車が巨大な白銀の城門をくぐり抜けた瞬間、私の視界は眩いばかりの光に塗りつぶされた。


「……綺麗」


 思わず零れた独白は、偽らざる本心だった。


 王都ヴァルゴ。王国の心臓部であるその街並みは、秩序正しく並ぶ白い石造りの建物と、美しく舗装された大通りが網の目のように広がっている。


 交易都市シルマのような爆発的な活気や雑多な熱量とは違う。ここはすべてが整えられ、洗練された、まるで童話の絵本から飛び出してきたかのような完成された美しさを湛えていた。


 だが、その感嘆は、隣で頬杖をついていた少女の冷ややかな一言で遮られた。


「……お嬢様、あんまり上ばっかり見てると、足元の汚物に(つまづ)くっすよ」


 シャウルは面白くなさそうに鼻を鳴らし、窓の外の"陰"を指差した。


 彼女に促されるままに目を凝らせば、煌びやかな大通りのすぐ裏手、入り組んだ路地裏の光景が嫌でも視界に入る。


 そこには、汚れきった布を(まと)ってうずくまる人々や、手足を欠損し、虚ろな目で道行く人々を眺める浮浪者たちがいた。その多くが、軍服の残骸らしきものを身に付けている。帝国の侵攻からこの国を守り、そして打ち捨てられた傷痍(しょうい)軍人たちだろうか。


 活気があるように見えた市場も、よく見れば並んでいる品々はどこか古ぼけ、質が悪い。街全体が、美しく装飾された"抜け殻"のように、少しずつ内側から痩せ細っているような――そんな奇妙な違和感が、私の胸をざわつかせた。


「……気づきやしたか、お嬢様」


 対面に座るギエナが、酒臭い息と共に低く笑った。


「一見、豪華絢爛。だがその実、エリダヌスの"枷"によって血の一滴まで搾り取られているのが、今のこの国の姿ですよ」


「……"枷"? それに、エリダヌスって」


 私は記憶を辿る。確か、以前この世界の情勢を聞いた時に名前が挙がった、海洋国家のことだったか。


 それが王国に"枷"を……? どういうことだろうか。


 彼はそれ以上を語らなかった。曖昧に誤魔化すように、首を振る。


「ま、詳しいことは、嫌でもこの後にわかりまさぁ。今んとこ、空を突き刺してる"アレ"のおかげで、まだしばらくは延命できそうですしね」


 ギエナが指差した先。王都の中心部、王城の背後にそびえ立つ、異様なまでの高さを誇る塔。


 それは雲を突き抜け、天に届かんばかりの威容を誇っていた。


「"星の塔(スターゲイザー)"っすね。王国を支える最重要施設、だとか」


「へえ、シャウル、詳しいじゃない」


「拾われる前に耳にしただけっす。中身がどうなってるかは、お偉いさん以外誰も知らないらしいっすけど」


 ギエナも詳しくはないようだが、その塔が王国の防衛と存続に不可欠なものであることだけは知っていた。見上げるほどに高いその塔は、美しくも禍々しい、王国の"鎖"そのもののように見えた。



 そうしているうち、馬車は王城の正門へと滑り込む。


 そびえ立つ尖塔、歴史の重みを感じさせる白亜(はくあ)の外壁。レグルス砦の武骨さとは対照的な、威圧的なまでの"権威"の象徴。


 私は馬車を降り、ギエナの教えを頭の中で反芻した。


(背筋を伸ばして。顎を少し上げて。感情を殺す。私は、最強の姫――)


 城内へ一歩足を踏み入れれば、そこには戦場とは別の意味で"殺気"に近い視線が充満していた。


 回廊に控える近衛騎士たち、煌びやかな衣装を纏った貴族、政治を司る文官。彼らは皆、新しく覚醒し、帝国の強襲部隊を退けたという"グラスベルの異端児"を、値踏みし、疑うような目で見ていた。


「……あれが、例の。新しく覚醒したという"姫"か」


「見てみろ、あの冷たい目を。まるですべてを凍てつかせてしまいそうな……」


 さざめきのような囁きが聞こえてくる。だが、彼らの視線が私以上に釘付けになっているのは、私の斜め後ろに控える"おじさん"だった。


「待て……後ろに控えているのは、"砂の鬣"か? ギエナ・アルファルドじゃないか!」


「なぜあの狂犬が、グラスベルの令嬢に従っているんだ?」


「あの若さで、どうやってあのハイエナを手懐けた……? やはり、底知れない力を持っているのか」


 ギエナ・アルファルド。


 かつて最強の"姫"たちと並び称され、戦場を恐怖に陥れた伝説の軍人。彼が私の後ろに控えているという事実そのものが、私のハッタリに、これ以上ないほどの重みを与えていた。


 当のギエナは、周囲の驚愕をどこ吹く風とばかりに、不敵な笑みを浮かべて歩いている。


(……助かるわ、ギエナ。あなたがついてきてくれた意味が、ようやくわかったわ)


 だが、そんな緊張感溢れる空気を、一瞬で台無しにする音が響いた。



 ――ムシャムシャ、クチャ。



「……ねえ、何食べてるの?」


 私が振り向くと、そこにはどこから取り出したのか、大きな黒パンを両手で持って頬張るシャウルの姿があった。


「んむ……? グラスベルを出る時に隠し持ってた食糧っす。お腹空いたっすよ」


「見ろ、グラスベルの令嬢は侍女の教育すらなってないぞ……。王城の中で食べ歩きとは」


 周囲の冷笑が聞こえてくる。私は眉間に青筋を立て、無言でシャウルの後頭部に拳骨を落とした。


「あだっ! 何するんすかお嬢様、暴力反対っす!」


「……黙って歩きなさい。パンは後で没収よ」


 私は、奪われまいとパンを詰め込むシャウルを無理やり前へ向かせ、再び冷徹な"姫"の仮面を被り直した。


 そのまま、長い廊下を抜け、巨大な黄金の扉の前に辿り着いた。


 扉を守る騎士たちが、重々しい槍を交差させて道を塞ぐ。


「これより先は、ノクティア・サイレンス=グラスベル様お一人のみ。付き添いの者は、ここで控えていただく」


 ギエナが肩をすくめ、シャウルがようやく口いっぱいに詰め込んだパンを飲み込んだ。


「さて、お嬢様。舞台の幕は上がりやしたぜ。……せいぜい、最高の演技を見せてくだせえや」


 ギエナが、普段の軽薄さを微かに潜めた、真剣な眼差しで私を見た。その瞳の奥には、彼自身の矜持と、何か――秘めた思いが見え隠れしていた。


「わかっているわ。……シャウル、あなたはそこで大人しくしていなさい」


「了解っす。お嬢様が首になってもいいように、逃げ道の確認をしておくっすね」


 お前を首にしてやろうかと思った。


 と、危うく、口に出すところだったが、いけない、いけない。平常心と言い聞かせる。


 そして、私は深く息を吸い込み、自らの胸を叩いて、ようやく鼓動を落ち着かせた。


 そうして、扉が開かれる。




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