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40話「鬣(たてがみ)無き後継者」

 ガタゴトと、規則的な馬車の揺れが身体に伝わる。


 窓の外に流れるのは、かつて死を覚悟して駆け抜けた、見覚えのある荒野だ。だが、今の私の心境はあの時とは決定的に違っていた。恐怖ではなく、これから始まる長い戦いへの、冷たく硬い覚悟。


「……ふわぁ、よく寝たっす。お嬢様、まだ着かないんすか?」


 向かいの席で、盛大に欠伸をしながら目を擦っているのはシャウルだ。

 

 彼女は馬車に乗るなり「振動が心地いいっす」などと言って即座に居眠りを始め、今の今まで白河夜船(しらかわよぶね)だった。


「……さっきからもう、砦の敷地内よ。少しはシャキっとして」


 呆れを通り越して溜息が出る。彼女に期待するだけ無駄だと分かってはいても、これから王都へ行くというのにこの緊張感のなさはどうだろう。


 窓の外を見れば、そこには復旧作業が進むレグルス砦の威容があった。崩落した外壁には足場が組まれ、石材を運ぶ人夫たちの活気が溢れている。


 先日の戦いで、この壁は真っ赤な血に染まった。スピカが散り、オレオーンが吠えた場所。新しく積み上げられていく真っ白な石材を見るたび、胸の奥にチリチリと燻るものがあった。


(……見ていてね、みんな。私はきっと、成し遂げてみせるから)




 馬車が止まり、私はシャウルを促して外へ出た。


 埃っぽい風が頬を撫でる。辺りを見渡すが、目的の人物――アルトの姿は見当たらない。


「おーい、誰かいないっすかー?」


 シャウルが緊張感のない声で叫ぶ。


 すると、門の脇の僅かな日陰に、一人の男が(もた)れているのが見えた。


 くたびれた軍服に、オールバック気味に撫でつけた、どこか野性味のある髪。手元には湯気の立つカップがあり、一服している最中のようだ。


 鋭い眼光。だが、その佇まいは不遜(ふそん)で軽薄。どこか飢えたハイエナを思わせる、独特の気配を纏っている。


「失礼。アルト小隊長はどこにいるか、知っているかしら?」


 私が尋ねると、男はカップを持ったまま、面倒そうに視線だけをこちらに向けた。


「アルト小隊長? さあ、いるとすりゃ、司令室か展望台じゃねえですかね」


 酒にでも酔っているのかと思うほど、間延びし、灼けた声だった。


 彼はカップを一度傾けると、値踏みするような目を、こちらに向ける。


「……あんた、どっかの貴族様か? ここは戦場跡だぜ。お嬢様が遊びに来るような場所じゃない」


「……言葉に気をつけなさい。私はノクティア・サイレンス=グラスベル、一応このあたりの、お嬢様なんだけど?」


 私の名を聞いても、男は「へえ」と鼻を鳴らしただけだった。


「こりゃ失礼。……まあ、坊ちゃんなら司令室で唸ってるはずですよ。行ってみな」


 ぶっきらぼうに指し示された方向へ、私は不快感を覚えながらも足を向けた。


 なんとなく気に入らない。元の世界にいた時からたまに感じていた、子供や未熟者を軽視するような、あの感覚だ。


 しかし、"唸っている"とはどういうことだろう? 首を傾げた私だったが、すぐに答え合わせはできた。




 司令室の重い扉を開けた瞬間、異様な気配が漂ってくる。


 山積みになった書類、転がったペン、そして――。 


「……あ、アルト!?」


 部屋の中央。机から滑り落ちたのか、床に大の字になって倒れているアルトの姿があった。


 顔は土色で、目の下には深い(くま)。唇をピクピクと震わせ、虚空を掴むように指を動かしている。


「み、水……水……承認……印鑑……資材が……足りない……」


「大変っす! アルト様が干からびてるっす!」


「そんなこと言ってる場合じゃないわ! シャウル、早く水を持ってきて!」


「任せてくださいっす! すぐにそのへん、掘ってくるっすね!」


「ミミズ持ってきたらはっ倒すわよ!」


 どこからか取り出したスコップは取り上げ、舌打ちしながら部屋を飛び出していくシャウルを見送ると、私は手近な布を水で濡らして、アルトの額に当てた。


 数分後。シャウルが(幸いにも)普通の水を持って戻った。


 それを少しずつ飲ませると、アルトは「はっ!」と、魚が跳ねるように意識を取り戻した。


「……お、お嬢様!? な、なぜここに!? 私は……あ、そうだ、資材の発注書の確認が……」


「落ち着きなさい、アルト。資材より先に、あなたの命がなくなるわよ」


 ようやく上体を起こしたアルトを椅子に座らせ、私は彼に、王都からの召喚――謁見の件を話し始めた。


「……なるほど、王都へ。お嬢様の護衛、本来であれば私が真っ先に名乗りを上げたいところなのですが……」


 話を聞いたアルトは、情けなさそうに肩を落とし、積み上がった書類の山を恨めしそうに見つめた。


「見ての通り、砦の仕事が山積みなのです。父上を亡くしてから、決裁権を持つ者がいなくなり……」


「でも、アルト。あなた、まだ若手の小隊長でしょう? どうして、そこまで一人で抱え込んでいるの? 新しい隊長が任命されたと聞いたけれど」


 私の問いに、アルトの顔がさらに歪んだ。彼は声を潜め、愚痴るようにこっそりと告げた。


「……ここだけの話、父上の後釜として来た隊長が、ロクに仕事をしないんですよ。書類を見せれば『おじさんにゃ難しすぎる』と言って丸投げ、指揮権も『坊ちゃんの方が人望あるだろ』と私に押し付けてしまって」


「……人選、ミスってない? それ」


「まあ、腕は確かな人ですから。普段はサボってばっかりですけど……」


 私が憤った、その時だった。


「――サボってばかりの隊長で悪かったね、坊ちゃん」


 扉の隙間から、ひょい、と軽薄な顔が覗いた。


 見れば、先ほど門のところでカップを片手に座り込んでいた、あの男だ。


 男はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら部屋に入ってくると、私の隣にいるシャウルの頭を、親戚の子供でも扱うようにポンと叩いた。


「誰に断って部屋に入っているの。今、私たちは大事な話を――」


 私が言いかけた言葉は、アルトの慌てた声に遮られた。


「あ……お嬢様! ご紹介します。……こちらが、父の跡を継ぎ、新たに国境警備隊の連隊長に就任された御方――」


 アルトは酷く疲れた顔で、溜息混じりにその名を呼んだ。


「――ギエナ・アルファルド隊長です」


 男――ギエナは、持っていた空のカップを指先で回しながら、私を面白そうに眺めたのだった。


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