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39話「喧騒、混乱、侍女パニック」

 私の日常は、彼女(シャウル)がやってきたその日から、音を立てて崩れ去った。


 ――例えば、朝の身支度。目を覚ました私に、彼女は近寄ってくると、髪を整えてくれた。


「はい、お嬢様。こんなもんでどうっすかね?」


 言って差し出されたのは、左右の高さが絶望的にズレたツインテール。


 ご丁寧に、盛大な寝癖までそのままだ。

 

「……良いって言うと思った?」



 ――例えば、ティータイム。各国の資料に目を通していた私の下に、シャウルがティーカップを運んでくる。


「お嬢様、そろそろ一息入れるっす」


「あら、ありがとう。気が利くわ――」


 供されたのは、泥水のような液体だった。

 アメンボなんかが浮かんでいるのが、よく似合うかも知れない。


「……シャウル、あなたこれ、どこで汲んできたの?」


「……? 普通に厨房っすよ?」



 ――例えば、掃除。廊下を歩いていると、ガシャンと、私の部屋から何かが割れるような音が聞こえてきた。


「ちょっと、大丈夫!?」


 慌てて駆けつけた私の目に入ったのは、埃を払うはずのハタキで、窓際の高価な花瓶を豪快に叩き割ったシャウルの姿だった。


「あー……。まあ、形あるものはいつか壊れるっす。掃除の手間が省けたっすね!」


 と、彼女は悪びれもせず、爽やかに笑う。



「……シャウル。いい加減にして。そのシーツ、裏表が逆よ」


「細かいっすねお嬢様。寝ちゃえばどっちも同じっすよ。あたしの仕事に、何か文句でもあるんすか?」


 腰に手を当て、悪びれもせずに言い放つ彼女に、私は言葉を失った。


 そんなことがもう、何日も続いている。


 侍女としての教育を一切受けていないのではないかとも思ったが、彼女は仕事ができないわけではない、他の仕事は、しっかりとこなしている時もあるのだ。


 早い話が、"気が向かなければ"真剣にやらない性質(タチ)――それ以前に彼女はこの仕事に対して、これっぽっちの敬意もやる気も持ち合わせていないということなのだろう


 グラスベル伯は、いったい何を思って、彼女を私お付きの侍女にしたのだろうか?



「……きみ、今日は随分と殺気が荒れているね。魔法の制御に響くよ」



 その日の深夜。いつもの訓練を行う中庭で私と対峙しながら、ポーラは口元を厳しく引き結びつつ、そう言った。


 シャウルによる破壊工作めいた奉仕に一日中振り回され、精神的な疲弊はピークに達していた。そのせいか、今日は硝子の制御が、どうにも上手くいかない。


 ポーラが指先を弾くと、仕掛けが作動し、弩が飛来する。私は反射的に硝子の破片でそれを撃ち落とそうとしたが、叶わず、どうにか、首だけで回避した。


 いつもよりもはるかに短い時間しか動いていないのに、息が上がっているのが自分でもわかった。 


「……シャウルよ。あの子、侍女としての仕事を何だと思っているのかしら。お茶は泥水、部屋の隅には埃が溜まっている。スピカなら……」


「スピカと比較するのは酷だよ、お嬢様」


 ポーラは訓練の手を止め、懐から煙管のようなパイプを取り出した。


 慣れた手つきで葉を詰め、火をつけると、花壇の縁に腰掛け、煙をくゆらせる。


「きみは知らないだろうけどね、シャウルもスピカも、根っこは同じさ。あの子はグラスベル伯が戦場から拾ってきた子でね、"姫"による戦災で親を亡くした孤児の一人なんだ」


「……戦災孤児?」


「ああ。きみは知らないだろうけど、スピカだってそうだったんだよ。彼女たちが共通して持っているのは、"姫"という理不尽に対する消えない傷跡さ。ただ、スピカはそれを"守るための力"に変え、シャウルは――まあ、上手く昇華しないこともあるさ」


 そういえば、前にスピカも言っていた気がする。親は戦争で亡くしたと。


 彼女が私に見せてくれたあの献身的な笑顔の裏に、そんな凄惨な過去があったなんて。


 そしてシャウル。彼女の不真面目な態度は、一体何を秘めているのか。そこには一考の余地がある気がした。


「……シャウルは、何を考えているのかしら?」


「さあね、あの子はグラスベル伯への恩義だけでここにいる。ただ、もしかするときみが気に入らないのかもね」


「私が? どうして……」


「家族を奪った、"姫"と同質の存在だからさ。もしかすると、変な恨みの買い方をしているのかもしれないね」


 理屈は、わかる。


 アンタレスのような"姫"もいるのだ。イコールで、悪しきものだと思われるのも仕方がない。


 とはいえ、このまま適当な仕事をされ続けるのも癪だ。どうにかできないかと、私は眉を寄せる。


「……まあ、仲良くしなよ。きみには味方が必要だ」


 そう言われても、シャウルとの溝が埋まる方法は思いつかない。


 むしろ、彼女の過去を知ったことで、私はどう接すればいいのか分からなくなってしまった。


 そんな私の戸惑いを見透かしたように、ポーラが不意に話題を変えた。


「そういえば、きみは近いうちに王都に行くんだろ? 護衛はどうするつもりだい?」


「護衛? そんなの……」


 私は反射的にスピカの顔を思い浮かべ、すぐに首を振った。


「シャウルは連れて行くつもりだけど、彼女に守ってもらうのは……少し不安だわ」


「賢明だね。侍女が全員、スピカみたいにべらぼうな強さを身につけてるわけないだろう。あの子は家事も戦闘もそこそこに訓練されているはずだけど、流石に"灰刃"には及ばない」


 それに、今の彼女が私をどれだけ真剣に守ってくれるかは、かなり怪しいものだ。


 ポーラは月の光を浴びながら、真剣な表情で私を見据えた。


「王都までの道中、何が起こるか分からない。"姫"の力を欲する――あるいは疎ましく思う奴はいくらでもいるし、王都の貴族たちがきみを試そうとするかもしれない」


「……そうね、何か、手を打たなきゃ」


 とはいえ、私はこの世界に来て日が浅い。打てる手など、そう多くはないのだ。


 それを見越したように、ポーラが口を開く。


「……アテが無いなら、国境警備隊辺りに相談して、何人か手練れを回してもらうのがいいんじゃないかな」


 国境警備隊。


 オレオーン亡き今、私が信頼を置ける人物など、たった一人しか思い浮かばない。


「……アルト」


 かつて私を"普通の女の子"として守ろうとしてくれた、あの実直な青年。


 王都への登城。それは、私が"全ての姫を打倒する"という誓いを果たし、いつかこの体を持ち主に返すための、最初の大きな一歩になる。


 彼になら、その護衛を任せられるだろう。


「……わかったわ。明日、レグルス砦に向かうわ。アルトに、護衛を依頼するために」


 再建中の砦。


 苦い思い出を飲み込むようにして、私はそこに、足を運ぶことにした。


 

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