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38話「新たな靴音、動き出して」

 深夜。グラスベル邸の中庭は、凍てつくような夜の空気と、硝子の擦れる鋭い音に支配されていた。


 夜の帳が下りる中、私は舞い散る火矢を睨み据える。放ったのは、物陰に陣取った魔法使いのポーラだ。彼女が仕掛けた連発弩(クロスボウ)から、尾を引く熱線が次々と私を襲う。


「――っ!」


 私が右手を振るうと、虚空から無数の結晶が立ち昇り、厚い硝子の壁を形成した。火矢が激突し、激しい火花と爆鳴が轟く。だが、私の作り出した盾は、その熱量に屈することなく無機質な輝きを保ち続けていた。


 熱い。身体の内側から溢れる魔力(ちから)が、血管を焼き切らんばかりに脈打っている。


 日没を過ぎてから、私はこの体(ノクティア)という器に宿るこの異常な力と向き合い続けていた。一度コツを掴めば、硝子を成形するのは呼吸よりも容易かった。盾を作り、剣を鍛え、不可視の壁を張る。そのすべてが、思いのままに。


 だが、その全能感は、唐突に訪れた"音"によって切り裂かれた。



 ――ボォォォォン……。



 邸のエントランスに据えられた巨大な柱時計が、重厚な鐘の音を響かせる。


 日付の境界、深夜12時。


 その第一撃が空気を震わせたと同時に、眼前で火矢を防いでいた強靭な硝子の盾に、蜘蛛の巣のような亀裂が走った。


「っ……!」


 パリン、と。


 あまりに頼りない音を立てて、私の魔法は瓦解した。支えを失った魔力の残滓が、光の粒子となって夜風に溶けていく。弩から放たれた最後の火矢が私の頬を掠め、背後の植え込みに突き刺さって炎を上げた。


「そこまで。――死にたくなかったら、引き際を覚えなよ、お嬢様」


 植え込みの影から、ポーラが悠々と姿を現した。彼女は肩をすくめつつ、私の足元に広がる硝子の破片――今やただの石ころ同然になったガラクタを、つま先で転がした。


「……やっぱり、ダメね。12時を告げる鐘が鳴り終わるのを待たずに、魔法が解ける」


「正確には、鐘が鳴り始めがトリガーだね。きみの魔法は面白いよ。使えるのは日没から12時まで。……おまけに、レグルス砦で見せたっていう"死者を兵隊として起こす"能力は、ここでは一度も発現しない。触媒として本物の死体が必要なのか、それともあの戦場という"舞台"が特別だったのか……」


 ポーラは私の隣まで歩み寄ると、私の顔を覗き込んだ。その瞳には、学術的な好奇心と、どこか冷めた観察者の色が混ざっている。


「どっちにしても、今のきみは"門限付きの理不尽"だ。12時を過ぎれば、ただのひ弱な貴族令嬢に戻る。……この制約は、大きな枷になるよ」


「……わかっているわ」


 私は荒い呼吸を整え、自分の掌を見つめた。


 魔法が使えない時間帯に攻め込まれれば、私はアンタレスのような化け物に抗う術を持たない。この弱点が露見することは、死を意味する。


 ならば、濫用は危険だ。この力はここぞという勝負所にのみ使い、それ以外は"無力なノクティア"を演じ続けなければならない。


「……もっと、鍛えなきゃ。ポーラ。明日も同じ時間からお願いするわ。いいわよね?」


 踵を返そうとした私に、ポーラが低く、呆れたような声を投げかけた。


「……あんまり根を詰めすぎないことだね。きみの目は、今にも自分を焼き切りそうなほどギラついてる。復讐に燃えるのは勝手だけど、身体が持たなきゃ本末転倒だよ」


 無理をしている。自分でもそれは自覚していた。


 けれど、私には立ち止まれない理由があった。




 ――それは、アルトに"全ての姫を打倒する"という決意を伝えた、翌日のことだった。


 私は父、グラスベル伯に呼び出され、彼の執務室を訪れていた。重厚なマホガニーのデスクの上には、見慣れない派手な装飾が施された封筒が置かれていた。


「王都からの手紙だ」


 伯爵の声は重く、緊張に満ちていた。


「王、セファス・ヴァルゴ六世からの直々の勅令だ。レグルス砦を救った新しき"姫"の覚醒……それを祝し、王都にて謁見(えっけん)(たまわ)る、とな」


 それは、私の存在が地方の一貴族の手に負えない領域に達したことを意味していた。


 いずれは王都へ向かう必要があると考えていたが、あまりに早い召喚だった。グラスベル伯は、不安げな表情を浮かべる私に、重大な事実を付け加えた。


「……ノクティア。王都へ行くのは、悪いことばかりではない。あそこには、この国の"心臓"がある」


「……心臓、ですか」


「ああ、お前と同じだ。王都を守護する――"姫"だよ」


 我々、地方領主には謁見も許されんがね、と言い添えて。


「"姫"……!? 王都にも、いるのですか?」


「ああ。詳しいことは分からぬが、代々の王を支える"塔の巫女"とも呼ばれる存在だ。……もしお前が、この先"姫"として戦い抜くつもりならば、彼女の存在を避けては通れぬだろう」


 父の言葉に、私の心臓は嫌な音を立てて跳ねた。


 王都にいる、もう一人の姫。


 その人物は、私の味方なのだろうか。それとも、アンタレスのように"物語"を歪め、誰かの犠牲の上に君臨する悪しき者なのだろうか。


 もし、その姫が私の敵であったなら。

 もし、王都そのものが、私の力を利用しようとする罠であったなら。


 今の私では、到底足りない。

 一分でも長く、一秒でも鋭く。


 硝子を研ぎ澄まさなければ、私は王都という名の魔窟(まくつ)に飲み込まれてしまうだろう。




 中庭の冷気が、私の意識を現在へと引き戻す。


「……生き残るために、必要なの。とにかく、明日もお願いするわね」


 ポーラにそう言い捨て、私は汗に濡れた身体を休めるべく、邸内へと戻ろうとした。


 その時だった。


「――おっと」


 ふわり、と。


 暗闇の中から白い何かが飛んできて、私の視界を塞いだ。慌てて手で掴むと、それは清潔に洗濯された柔らかなタオルだった。


「寝る前に、汗くらいは流すっすよ、お嬢様」


 凛とした、けれどどこか奔放な響きを持った声。

 振り返ると、そこには見覚えのない少女が立っていた。

 

 月光を浴びて、彼女の褐色の肌が艶やかに光る。肩のあたりで切り揃えられた黒髪に、勝気そうな光を宿した瞳。侍女の制服を着てはいるものの、その立ち居振る舞いからは、屋敷の他の使用人たちが持つような堅苦しさが一切感じられなかった。


「……誰?」


 思わず問いかけた私に、少女は不敵な笑みを浮かべ、堂々と胸を張った。


「今日からアンタの身の回りの世話をすることになった、新しいお付きの侍女っす。……名前はシャウル」


 彼女は一歩歩み寄ると、私の目をまっすぐに見据えて続けた。


「スピカって子が担当してた仕事、全部あたしが引き継ぐことになったんで。……よろしく頼むっす、ノクティア様」


 そう、私に告げるのだった。



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