31話「間に合わなかったシンデレラ」
静寂が、音を立てて壊れた。
「……あは、あはははは!」
私の喉から溢れ出したのは、場違いな哄笑だった。
抱きかかえていたスピカの残骸をそっと床に横たえ、私はふらふらと立ち上がる。視界は涙で滲んでいたけれど、その奥にある"核"のようなものは、これまでにないほど冷たく、鋭く研ぎ澄まされていた。
「あはは、あはははははっ!!」
お腹の底から突き上げてくる笑いが止まらない。
可笑しくてたまらなかった。
私の知る童話は、どれにも納得のいく結末があった。救われるお話、救われないお話。主人公が救われても、誰かが傷つくお話。
それでも、信じていたのだ。最後には奇跡が起きて、みんなで笑い合えるハッピーエンドが待っているのだと。
(――そんなもの、どこにもなかった)
現実はいつだって、残酷で、苛烈で、救いようがない。
私はいつだって――間に合わない。
「……何がおかしいのさ。狂っちゃった? あんたの脳みそまで溶かした覚えはないんだけどぉ?」
アンタレスが不機嫌そうに唇を尖らせ、指先からドロリとした溶解液を滴らせる。
私は芝居がかった、流麗な足取りで一歩、彼女の方へ踏み出した。
「ええ、狂ったのかもしれないわね」
言い放つ声も、踊るように。
朗々と、崩れかけの砦に満ちていく。
「でもね、そのおかげで分かったの。私は、十二時までの魔法を待つだけの、お利口な女の子じゃいられないって」
「……は? お前、何を言って――」
アンタレスの疑問符を、強く踏み込んだ足音でかき消す。
そう、ここはもう、舞台の上。余計な台詞は要らないのだ。
そう確信して、天を仰ぎ、喉を震わせて叫んだ。
「いつだって私は一歩遅れる! 舞踏会に間に合わず、救いたい手にも届かず、運命を変えることもできなかった!」
叫びと同時に、全身から溢れ出した冷たい光が、私の纏っていた煤まみれの軽装鎧を粉々に砕いた。
破片が舞い、夜の闇を吸い込んで、それは透き通るような、けれど夜の煌めきを凝縮したような"ドレス"へと変貌していく。
硝子の鱗が幾重にも重なり、裾が動くたびに星を砕いたような火花が散る。
「そう、私は――"間に合わなかったシンデレラ"!」
私の背後、崩落した砦の空間に、巨大な時計の文字盤のような光の円陣が出現した。
現在時刻を示す針は、まるで剣のように研ぎ澄まされ、カチ、カチと不規則な音を立てて空間を震わせる。
それを見た"赤ずきん"の顔が、驚愕に歪む。
圧倒的捕食者だったはずの彼女が、気圧されている。その事実が受け入れがたいのか、強く歯を食い縛る音が響いた。
「……ッ、何その格好! どうでもいい演出なんて、溶けちゃばいいし!!」
アンタレスが恐怖を塗りつぶすように叫び、最大級の溶解の波を放つ。
すべてをドロドロの泥に変えてきた、あの理不尽な溶解液。
けれど、それは私の目の前に展開された、一枚の透明な"硝子の壁"に接触した瞬間、空しく霧散した。
「……な、に……? 溶けない……!? なんで、アタシの"溶解"が、効かないの!?」
アンタレスの顔が驚愕に歪む。
私は硝子の壁を指先でなぞりながら、冷徹な笑みを浮かべた。
「アンタレス。……あなたも現代人、この世界にやってきた"姫"なら、『王水』という薬品のことは知っているわよね?」
「おうすい……? 何それ、知らないわよ!」
「金すらも溶かし、プラチナさえも蝕む、規格外の腐食性を持つ最強の酸よ。……でもね、その最強の薬液を、人類がどうやって保存しているか知っているかしら?」
私は一歩、また一歩と、アンタレスへ歩み寄る。
足が着地するたび、泥と化した床がカチリと音を立てて、美しく、硬質な硝子の結晶へと変わっていく。
――世界のカタチが、塗り替わっていく。
「至極簡単な道理よ。――硝子は、酸じゃ溶けないの」
「……っ、そんな、理屈……!!」
「理不尽には理屈を。絶望には絶望を。……物語のルールを無視して暴れたいなら、私もそうさせてもらうわ、だってそれが"姫"だもの」
アンタレスの顔から、さっきまでの余裕が完全に消え去った。
次々と溶解液を放つが、それらが私を守る透明の盾――硝子の障壁を越えることはない。
毒々しい赤色を、私の放つ冷徹な硝子の輝きが圧倒していく。
「くっ、こんな、馬鹿な……っ!」
「あなたにはわからないでしょうね、アンタレス。たぶん、"姫"との戦闘経験は薄いんじゃない? 」
私は右手をゆっくりと掲げた。
背後の時計の針が、重厚な金属音を立てて一刻を刻む。
「さあ、始めましょう。主役のいない舞踏会は退屈だったものね?」
私の声が、凍てついた砦に響き渡る。
硝子のドレスが、月光を反射して真っ白に輝いた。
苦々しげに、赤ずきんが構える。それを見据えて、私は言い放った。
「ここからの脚本は、私のものよ。……"めでたし"までに、絶望させてあげる」
引きつったアンタレスの表情を、私は硝子の瞳で睨みつける。
何もかもに間に合わなかった私も――ようやく、反撃開始だ。




