1話「目覚めた私は伯爵令嬢」
どこかで、誰かが呼んでいるような気がした。
くらい、くらいトンネルの向こう。
反響するようにして響いてくる声が、何だかこそばゆくて、私は――。
「――っ!」
熱い。痛い。苦しい。
まだ、皮膚が焼ける音が耳にこびりついている。
「……はっ、ぁ……!」
弾かれたように、私は上体を起こした。
荒い呼吸。心臓が早鐘を打っている。私は反射的に自分の両腕を抱きしめ――そして、動きを止めた。
「……いたく、ない?」
焦げ付いた皮膚も、熱で爛れた指先もない。
そこにあるのは、透き通るように白い肌と、滑らかな感触だけ。
眩しい陽光が、眼球を突き刺す。消毒液の匂いも、焦げ臭い煙の匂いもしない。
ここは、どこだろう。
病院? ううん、それにしては……。
少しずつ目が慣れてくると、辺りの景色がはっきりしてくる。
知らない場所だった。まず目に入ったのは、恐らくベッドの天蓋だった。滑らかなベルベット地で覆われたそこから降りた薄手のカーテンが、私と外界を隔てている。
カーテン越しに見える景色にも、見覚えがない。壁は、よく磨かれた石材だろうか? そこにかけられた深紅のタペストリーは、触れがたい威厳めいたものを放っているし、壁際に置かれた長机には精緻な彫刻が施されている。
どう見ても、日本には見えない。
それこそ、ファンタジーの中のお城か何か、といった風情だろうか。
「私、あの時に焼け死んだんじゃ……」
夢、ではない。体が焼ける感覚も、目の前で潰された妹の最期も、全身に嫌というほど焼き付いている。
しかし、自分の体に目を落としてみても、特に火傷の痕のようなものは見当たらない。それに、あの状況では、助かりようもなかったはずだ。
「……それじゃ、ここが天国?」
あるいは、妹との約束を守れなかった、不甲斐ない姉は地獄に落ちたのか。それにしては綺麗すぎるな、なんて、どこか的外れな考えを浮かべた――。
――その瞬間だった。
不意に、部屋の扉が明け放たれる。唐突な出来事に、思わず私は身構える。
「おはようございます、お嬢様、入りますよ」
そんな風に、穏やかな挨拶を口にしながら入ってきたのは、一人の少女だった。
顔立ちは、日本人のようには見えなかった。大きな目に、2つにくくった灰色の髪。ロングのエプロンドレスは、いわゆる"メイド服"に近いものだが、装飾が少なく、より実用的な服装のように思えた。
彼女はベッドの私が起きていることに気づかず、水桶を床に置くと、独り言のように呟いた。
「……お嬢様。今日はいいお天気ですよ。そろそろ起きてくれないと、スピカ、退屈で死んじゃいますからね」
窓を開けようとして、彼女が振り返る。
そして、ベッドの上に座り込む私と目が合い――その大きな瞳が、限界まで見開かれた。
「……え? お、お嬢、様……?」
ポロリ、と。彼女の手から雑巾が落ちる。
「う、うそ! 起きて、起きてらっしゃったんですか!?」
次の瞬間、彼女は弾かれたように駆け寄ってきた。
「目が覚めたんですね、良かった、スピカは、スピカはとても心配していたんです、このまま目を覚まさなかったら……!」
スピカと名乗る少女は、ポロポロと涙を零しつつ、嗚咽に声を詰まらせながら言う。
「ち、ちょっと待ってください。何が何だか、あなたは……?」
私はとりあえず、彼女のことをなだめようとした。
わけがわからない。どうしてこんなところにいるのか、ここがどこなのか、何故、怪我一つないのか、聞きたいことが色々ある。
だから、話ができればと思ったのだが――少女は、私の話をまったく聞いていないようだった。
「わわ、そ、そうだ。すぐに旦那様と、ポーラ様を呼んできます!」
「いや、その前に、何が起こってるのか説明を――」
思わず手を伸ばしたが、少女は制止も聞かずに、部屋を飛び出していく。
反射的に、体が起き上がろうとしていた。瞬間、全身に広がる脱力感。寝起きの立ちくらみのようなものか。構わず、転がるようにベッドから降りて、立ち上がる。
そのままふらつく足で、少女を追いかけようとして――私は、それに気が付く。
――部屋の端に置かれた姿身。
ちょうど、扉の近くの壁に立てかけられていたそれが、目に入る。当然、映るのはその前に立つ、私の姿であるはずだ。
しかし、そこに映っていたのは、私ではなかった。
綺麗な髪。まるで、灰の中から拾い上げた宝石みたいな、肩ほどまである、艷やかなシルバーブロンドの髪。北欧系のモデルさんのような、はっきりとした目鼻立ち。特に、目元には人を引きつける力強さのようなものを感じる。
頭身や身長も、記憶している自分よりも、頭一つ以上高いような気がする。
――まるで、絵本の中のお姫様のような、そんな存在が、そこにはいた。
「……は!? なんで、これ、私……?」
それが信じられず、鏡に詰め寄る。戸惑う私を嘲笑うかのように、鏡の中の女性は、私の行動を、表情を、口の動きをなぞる。
意味がわからない。私は焼け死んだはずで、ここは天国か地獄か……どうあれ、死後の世界というのであれば、また話はわかる。
しかし、何をどうしたら、こんな美少女の姿を取ることがあるのだろうか――?
「それは、きみがこちらの世界にやってきたからさ」
戸惑う私に、振り注いでくる、落ち着いたアルトの美声。
顔を上げてみれば、そこ立っていたのは、一人の女性だった。
先ほどの、メイド服の少女とはまた違う。歳の頃は30代に近いだろうか? 真っ黒な髪と瞳が印象的な、大人の女性。
全身に纏った黒いローブと、頭の上に載せた、大きなエナン帽が、まるで童話の中の魔法使いを思わせる。
彼女は、その底の見えない瞳を私に合わせながら、薄い唇をゆっくりと開いた。
「私は、魔法使いのポーラ。お初にお目にかかるよ、異世界の姫君」
異世界の、姫君?
私がその問いを口にするよりも早く、彼女はニヤリと微笑んだ。
こうして、私の第二の人生が――異世界での生活が、幕を開けるのだった。




