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21話「どろけてしまった赤ずきん」

◆◇◆



 狩人の目は、硝子玉でした。


 故に、腹が裂かれることはなく。哀れ、狼の胃の中で、少女は緩やかに溶かされたのです。


 無惨に、そう、原型を留めぬほど、"どろどろ"に。


 何もかもが混ざり合って、少女は息を引き取ったのでした。



◆◇◆


 ルーカスは、退屈していた。


 15の頃から従軍していた彼にとって、戰場は単なる職場でしかなかった。


 言われた通りに動き、言われた通りに殺す。上官とは単なる上司であり、戦いは単なる仕事でしかない。


 だから、彼は今日も、レグルス砦の第一防衛線、石造りの強固な外壁に背を預けつつ、欠伸(あくび)を噛み殺した。つい数刻前までの激戦が嘘のように、正門前には静寂が広がっている。


 視界の先には、帝国の誇る"陸亀"が無残な鉄屑となって転がっていた。


「……結局、これかよ。帝国の最新兵器ってのも、化けの皮を剥げばただのブリキ細工だな」


 ルーカスが鼻で笑うと、隣にいた同僚も同意するように肩をすくめた。


「まったくだ。仰々しく煙を噴き上げて来たかと思えば、ガス欠で全滅とは、拍子抜けもいいところだぜ。これじゃ、心配するべきは明日の後始末のほうかもな」


 王国軍の勝利は、もはや揺るぎないものに思えた。


 不落の砦、歴戦の将、そして無残に壊れた敵の機械。


 この時点で、ルーカスたちの心には、既に毒が回っていた。戦場には最も似つかわしくない"慢心"という名の毒が。


 そんな時だった。


 闇に沈む地平の向こう側から、一つの人影が歩いてくるのが見えた。


「おい、見ろよ。……投降者か?」


 ルーカスの言葉に、周囲の兵士たちが一斉に視線を向ける。


 現れたのは、重装甲車でも、機械化歩兵の集団でもなかった。


 それは、兵器一つ持たず、たった一人で戦場を横切ってくる小さな影。


 変わったことがあるとすると、月明かりに照らされたその影は、あろうことか鮮やかな"赤い頭巾"を被っていたことくらいか。


「なんだぁ? 迷子か、ありゃ」


「おいおい、帝国はついに子供まで動員し始めたのかよ。誰か教えてやんな、降参するときゃ、頭巾じゃなくて白旗だってよ!」


 兵士たちの間に、せせら笑いが広がる。


 野卑な罵声が飛び交う中、その赤い影は止まらない。

 ジャリ、ジャリと、鉄の残骸を踏み潰しながら、影は確実に砦へと近づいてくる。


 やがて、その小さな口が、戦場の静寂を切り裂くように動いた。



「――あーあ。ホント、使えない。アタシが来るまでに門を開けとけって言ったじゃねえか」



 響いたのは、不機嫌そうな、少女の声。


 どこかささくれ、割れ、掠れたような声だったが――戰場には酷く不釣り合いなものだ。


 違和感に、ルーカスが眉をひそめた。恐らくは、周りにいた騎士たちも、複数名がそうしたであろう。奇妙な静寂が、辺りを包み込んだ――。



 ――その、直後。



「……()っ!?」


 突然、足元から突き上げるような熱気が走った。


 いや、熱ではない。痛みとも痒みとも違う。もはやそんなものは――通り過ぎていた。


 ルーカスが履いていた軍靴の鉄板が、飴細工のようにぐにゃりと歪んでいく。大嘘のように。何かの間違いであるかのように。


「な、なんだ、これ……! 鎧が、溶けて……っ!?」


 叫び声は、砦のあちこちから同時に上がった。


 信じがたい光景だった。


 不落を誇った石造りの外壁が、ドロドロと黒い液体になって流れ落ちている。


 それだけではない。正門前に転がっていた帝国の装甲車も、王国騎士たちの重厚な全身鎧も、まるで熱したバターのように、形を失い、崩れていく。


「ぎゃあああああああッ!!」


 隣にいた同僚が悲鳴を上げた。


 見れば、彼の腕は鎧ごと溶け合い、赤黒い粘液となって地面に滴り落ちていた。


 ルーカス自身も、胸当てが胸部に癒着し、肺が焼け付くような感覚に襲われる。


 溶解。

 そこには破壊の衝撃も、火炎の爆発もない。


 ただ、この世界の"形"を保つ(ことわり)そのものが、彼女の歩みに合わせてどろどろに融解していく。


「が、は……っ、ああ……」


 ルーカスは膝をついた。地面は既に、石と鉄と肉が混ざり合った地獄のような泥濘(ぬかるみ)と化している。


 視界がぼやける中、その"泥"を軽やかな足取りで踏み潰しながら、彼女が現れた。


 赤ずきんを被り、退屈そうに指先で髪を弄る少女。

 

 その顔には、幾重にも包帯が巻かれていた。まるで、何かを覆い隠すかのように。


 醜悪(グロテスク)なそれを、必死に押し込めようとするかのように。


「……あーあ。汚ったねえ。これ、おろしたばっかのブーツなんですけど?」


 その少女の背後に、溶解の嵐が渦巻く。


 ルーカスは、消えゆく意識の端で、ようやく気が付いた。


 今、目の前で自分の命を溶かしているのが、お伽話の中の化け物などではない。


 帝国が誇る理不尽の権化。災厄そのもの。


 そんな悪夢のような存在は、鼻歌交じりに何かを取り出した。銀色の、円筒状の物体。彼女はそれを指先で弄びながら、歌うように言う。


「まあ、いいや。悪いな、遅くなってさ。主役(アタシ)のいない舞踏会(パーティ)は退屈だっただろ? いよいよ、ここからが本番さ――」


 彼女はまるで、空になった包みを放るような気安さで、それを背後に投げ捨てる。


 ルーカスは知らない。それが、帝国で開発された新型の爆薬であるということなど。それでも、自分に死をもたらす何かであるということは、痛いほどに実感していた。


「あ、あ……」


 死の恐怖が、そして、湧き上がる諦念が、彼に一つの記憶を蘇らせた。


 それは、数ヶ月前に、部隊の小隊長から聞いた話。何もかもを"どろどろ"に溶かす、不可避の災害――。


「……あ……ずきん……」


 その名を最後に、ルーカスの視界は完全にどろりと溶け、深い闇へと沈んでいった。


 同時に、起動した薬塩爆弾が辺りを吹き飛ばす。液状と化していた兵士たち、馬、装備や地面の草木まで、何もかもが衝撃波に巻き上げられ、宙を舞う。


 爆風を背に、その少女――"赤ずきん"は、不敵に笑うのだった。



「――さあ、狼狩りの始まりだ」



◆◇◆

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