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17話「破れた胃袋」

◆◇◆


 夜の闇は、帝国軍特殊工作部隊『胃袋(ストマック)』にとって、最高のご馳走だった。


 シュ……という微かな排気音と共に、最新鋭の蒸気駆動式(スチーム)フックショットが垂直の岩壁に突き刺さる。


 正門の方角からは、昼夜問わず味方の重装甲車が放つ砲声と、それに応戦する王国兵たちの怒号が響いてくる。だが、このレグルス砦の裏手にある断崖まで届くのは、冷たい風の音だけだ。


「……正門の連中、うまくやってるな。王国(ヴァルゴ)のアホどもは、今頃正面を死守するのに必死だ」 


 隣を登る同僚のクラウスが、通信用の管を通じて低く笑った。


「頭の固えオッサンは、これだから困るぜ。いつだって戦術ってのは、進化してるのによぉ」


「喋るな。集中しろ」


「だってよ、そうだろ? こんなに楽な話はねえ。やっぱ、喧嘩は卑怯な手を使うに限るってことよ」


「……潜入作戦を喧嘩と一緒にするな。ともかく、口ではなく手を動かせ」


 へいへい、と軽口を叩く同僚に、思わず溜め息が出てしまう。


 とはいえ、無駄に愚痴を重ねれば、同じ穴の(むじな)だ。俺は背負った円筒形の背嚢(はいのう)――帝国の新兵器である高濃縮薬塩爆弾(ハイ・ソルト・コア)の重みを感じながら、指先に力を込めた。


 これを砦の心臓部で爆発させるのが、俺たちの使命。それで、不落の要塞は内側から崩壊する。そうなれば、正面で泥泥(どろどろ)の消耗戦を強いられている本隊に、勝利という名の果実を差し出すことができる。


 俺たちは"王子様"だ。


 "姫"様が欲しいものがあるというのなら、そいつを取りに行くのが仕事。たとえそこが、どんな茨の道であろうとも。


「しかしよ、参謀殿もエラいこと考えるよな? こんな崖から敵が来るなんて、奴さん方も考えねえだろ、普通」


 クラウスの軽口が、再び響く。


「……クラウス、貴様はこの作戦が終わり次第、潜入部隊から抜けるか、そのよく回る口を縫い付けるか、選んだ方が良さそうだな」


「そんなこと言うなって、兄弟。仕事ってのは楽しくやらなきゃ駄目だぜ、それこそ、口笛の一つも――」



 彼の言葉は、そこまでだった。



 突如、虚空から降ってきた"何か"が、彼の頭部を音もなく叩き潰したと知ったのは、その一瞬後。


 肉が砕け、骨が散る嫌な感触が、暗闇の中でも伝わってくる。クラウスの体は、断末魔すら上げることなく、重力に従って漆黒の奈落へと消えていった。


「……ッ!? クラウス!」


 何が起きた?

 敵襲か? それとも正門からの流れ弾か?


 いや、違う。俺のすぐ上、岩肌を削って落ちていったのは――ただの、不恰好な"石"だ。


 偶然の落石――否、先頭を登っているのは俺たちだ。なら、上のやつが蹴り落としてしまった石が、なんてことはない。



 ならば、考えられるのは――。



「――敵襲だ! 上にバレているぞ!」


 俺は叫びながら、緊急上昇レバーを引いた。蒸気圧が限界まで高まり、ワイヤーが俺の体を崖上へと急加速させる。


 こうなれば隠密など関係ない。上を取り、爆弾を投げ込んで強引に道を切り拓く。


 崖の上にいるのが誰だろうと、至近距離での戦闘に持ち込めば、装備が整っているこちらが圧倒的に有利だ。


 岩の縁が見える。あと数メートル。


 俺は腰のナイフを引き抜き、殺気を殺して一気に地面へと飛び出した。



「こんばんわぁ」



 ……耳を疑うほど、間の抜けた声だった。


 戦場には不釣り合いな、鈴を転がすような少女の声。


 着地と同時に顔を上げると、そこには不気味なほど涼しげな顔をした少女が立っていた。


「……女!? 死ねッ!」


 俺がナイフを突き出した瞬間、視界から彼女が消えた。

 否、あまりにも速すぎて、追いきれなかったのだ。


 振り抜かれた剣閃が空気を切り裂く。


 その輝きは、月明かりを照り返し――闇と混ざり合って、灰色に煌めいた。


 聞いたことがある、年端もいかぬ、王国の女剣士。確かそいつは、この辺りの領主に仕えているんじゃなかったか。


「――っ、まさか、"灰刃"……っ!?」


「はい、そう呼ばれていたことも、ありましたねえ」


 穏やかな口調とは裏腹に、彼女の振るう細剣が、俺の隣で這い上がってきたばかりの戦友たちの喉を、次々と正確に、そして無慈悲に裂いていく。


「が……あ、あ……」


 喉を押さえ、崩れ落ちる仲間たち。


 逃げ場れば落石、登れば崖の縁で斬り捨てられる。敵は黙っていても決まった所に現れるため、追撃も索敵も必要ない。


 あまりにも理に適った、そしてあまりにも非道な策。


「……化け、物め……」


 血の海の中で、俺は視線を上げた。


 "灰刃"のさらに後ろ。


 一段高い岩場に、月明かりを浴びて立ち尽くす少女の姿があった。


 シルバーブロンドの長い髪を風になびかせ、彼女はただ、黙って俺たちの死を見下ろしていた。


 その瞳に、憐れみも、怒りも、高揚もない。


 ただ氷のような冷たさで、虫の死骸を確認するかのようにじっとこちらを観察している。


(……あれが、この"地獄"を描いた主か……)


 俺が最後の一息を吐き出す瞬間、彼女の瞳がわずかに揺れたように見えたが、もはや確かめる術はない。


 俺の視界は、最後に見た"冷徹な姫"の残影を刻んだまま、永遠の闇に包まれていった。



◆◇◆

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スピカ、戦場だと恐怖の象徴やんけ……
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