プロローグ 「0時の鐘で燃え尽きて」-後
最初に聞こえてきたのは、サイレンの音。ああ、クリスマスだっていうのに、とぼんやり考えていたのも束の間。
それが聞こえてきていたのは――私の家の方角からだった。
「……え?」
素っ頓狂な声。黒い煙が立ち上るのが、遠く見えている。腕に提げていたコンビニ袋が落ちるのにも構わず、私は駆け出していた。
硬い地面を蹴って、風を切って、見慣れた道を疾走する。冬の冷たさが頬を打ったけれど、足が止まることはない。
そうして、辿り着いた先で目に入ったのは――嫌になるくらいに鮮やかな赤色だった。
赤。
真っ赤に燃えている。
何が?
私の家だ。
今朝起きて、玄関を出て、振り返りもしなかった。
そんな居場所が――轟々と音をたてて燃えていた。
「こはる、こはるっ!」
不意に名前を呼ばれて、私はそちらに振り返る。
「……お母さん! これって……!?」
そこにいたのは、お母さんだった。消防の人に支えられるようにして立っている。しかし、その顔には普段の、優しそうな面影は一つもない。
「ああ、こはる、こはる……なんで、なんで早く、帰ってきてくれなかったの……」
「ちょっと、ちょっとお母さん! 何言ってるかわかんないよ、ゆっくり話して」
明らかに、お母さんはパニックになっているようだった。それも仕方ないだろうけど、とにかく今は、落ち着いてもらわないと。
私だって、パニクりたいのは山々なのだ。でも、そんな状況じゃない……!
深呼吸を挟んで、ゆっくりと、お母さんは口を開く。
「あの子……ちはるが、あなたが帰ってくるの遅いからって、自分でクリスマスのお料理を作るって……」
「……っ! もしかして、火、使ったの!?」
馬鹿、ちはるの馬鹿!
普段から、コンロに近付いちゃダメって言ってあるのに……!
「わからないわ、でも、私もパートから帰ってきたばっかりだったから、疲れて、目を離しちゃって……」
「……っ、ちはる、ちはるはどこ!?」
辺りを見回してみるが、ちはるの姿はない。
きっと、怖がってるはずなのだ。すぐに抱き締めてあげなければ。怒るのは、その後でもいい――。
「――まだ、あそこにいるわ」
お母さんが、震える指で指し示したのは、今も炎を吐き出し続ける、我が家だった。
「……な、なんで、お母さんは、助かったんでしょ!?」
「私は火元から遠かったから、すぐに消防の人が助けてくれたけど、あの子は、コンロのすぐそばにいたから……」
そこまで聞いたら、もう、黙っていられなかった。
妹が、まだ、あの中にいる。
足が自然に動いた。後ろから、お母さんが呼び止める声が聞こえたけど、もう、それも遠くて。
私は、近付くだけで焼けるような、炎の中に飛び込んでいった。
「……っ、げほっ、げほっ!」
家の中は既に、煙と炎で満たされていた。
ジリジリと、皮膚が焦げていく感触がある。日焼けをずっとずっと強くしたように痛い。
防災訓練で習った。煙は上に上がるから、身を屈めていけば、吸わずに済むのだ。なんて、奇妙なくらいに冷静に考えながら、私は廊下を進んでいく。
そして、半ば崩れかけていた扉をこじ開けて、私は、キッチンへと進んでいく――。
「――ちはるっ!」
妹は、そこにいた。
炎と煙で閉ざされたキッチンの向こう。倒れ込み、弱々しく息をしているのが見えた。
熱い。
痛い。
苦しい。
でも、あの子のほうがもっと。
「……待ってて、すぐに行くから!」
そのまま、立ち上る火柱の隙間に体をねじ込んでいく。あちこちが炙られ、焼かれ、耐え難いほどに痛んだ。
ダッシュボードの上で、家族写真を入れていた写真立てが、ドロリと溶けているのが見えた。
妹が好きだった、おままごとのセットも、床に放置されたまま、熱で溶けて貼り付いている。
それでも、この子だけは。
妹だけは、どうにか。
焦りと痛みの中で、私は手を伸ばす。祈る、たぶん、叫んでもいたと思う。
それが届いたのか、ゆっくりと、ちはるが顔を上げた。
「……お、ねえちゃん?」
「ちはる、手を、こっちに――!」
そうして、私の指が、彼女に触れようとしたその瞬間。
――崩れてきた天井が、私たちを押し潰した。
目の前で、妹の頭蓋が潰れる。
痛いとか、熱いとか、そんなことを考える暇もなく、私の視界も、真っ黒に塗り潰された。
ああ、私は死ぬ。
死んでいく。
遠のいていく意識の中で、私はひたすらに後悔していた。
――私が今日、あんな小銭を欲しがらなければ。
ドライなフリをして、現実的な選択をしたつもりだった。
でも、違った。私はただの馬鹿だ。一番大切なものを見誤って、秤に掛けるものすら間違えて。
「……ごめん、ごめんね、ちはる」
その声はどこにも届かないまま。
私の体は、灰になっていった。
どこか遠く、午前0時の鐘の音が、幻聴のように響いていた。




