160話「奪い続けるモノ」
塔を抜ける夜風が、くすんだ銀糸をカサリと揺らした。
アルフェッカは遠い星を見つめるような瞳のまま、語り継がれることのない記憶を手繰り寄せていく。
「……全てがおかしくなったのは、あの戦いが終わった後からだったわ」
彼女の脳裏には今も鮮明に焼き付いているのだろう。空を焼き、大地を凍らせた、あの忌まわしき冬の記憶が。
「"マッチ売りの少女"との戦いは苛烈だったわ。苛烈で、熾烈で……それでも私たちは戦い抜くことができた。世界を灰に変えようとした彼女の炎を、私たちは四人がかりで押し留めることができた」
「……"姫"は物語の終わりまで生き続ける。だから、戦い抜けたってこと?」
私の問いに、アルフェッカは寂しげな肯定を返した。
「そうよ。命の灯が消えるその瞬間まで、私たちは物語に縛られ、役割を演じ続ける。今思えばきっと、あの子は……その不滅性にこそ、絶望したのでしょうね」
アルフェッカはそこで一度言葉を切り、私を真っ直ぐに見つめた。その瞳は、私の内側にある"こはる"としての意識まで見透かそうとしているかのようだった。
「ねえ、ノクティア。人は、どうして戦い続けることができると思う?」
「何で、って……そんなの、守りたいものがあったり、譲れないものがあったりするからじゃないの?」
「答えはね、その先に"勝利"があると信じているからよ。相手を打ち倒し、退ける。自分の身を犠牲にしても、何かを守り抜く。形は違えど、それらは全て、目的を達したという意味での勝利だわ。けれど……」
アルフェッカは静かに目を伏せた。
誰かの痛みに、あるいは自分たちが背負ってしまった業に寄り添うように。
「……あの子はね、そんな勝利を積み重ねることに、疲れてしまったの。勝つことは奪うことであると――その至極単純で、あまりに残酷な真実に、ある時気付いてしまったから」
「……それは、戦いの本質ね。でも、その子は戦いを楽しんでいたんでしょう? なら、その過程すら彼女にとっては娯楽だったはずじゃ……」
「自分と周囲を乖離したものとして……すべてを別世界で見ている夢だと受け止めていられたのなら、そうして無邪気に戦えていたでしょうね」
アルフェッカの声には、友を守りきれなかった後悔が滲んでいた。
「けれど、あの子は理解してしまったの。この世界こそが今、自分が生きている場所であり、ここで流れる血も、失われる命も、すべてが代替不可能な"現実"なのだと。自分が振るう暴力が、どれほど多くのものを粉砕し、奪い、誰かの物語を強制的に終わらせているのかをね」
それは、物語の外側からやってきた"姫"たちが、この世界に馴染めば馴染むほど陥る罠なのだろう。
ゲームのキャラクターを暴れさせるなら、罪悪感はない。けれど、目の前の相手が息をし、家族を想い、痛みを感じる人間だと知ってしまえば、その力は呪いへと変わる。
「そんな世界の中で、どれだけ傷付き、心が摩耗しても、自分は死ぬことすら許されず"奪い続ける"ことを強いられる。その永劫の連鎖に絶望した彼女は……自棄になってしまったのよ」
「……自棄に? まさか、自ら命を……」
「いいえ。逆よ。彼女は、力で全てを制御しようと、クーデターを起こしたのよ。王都を占拠し、牙を剥く騎士たちをなぎ倒し、当時の大臣を二人も、その手で殺害したわ」
凄まじい告白に、私は思わずのけぞった。
この平穏な王都の歴史に、そんな血塗られた一頁があったなんて。
「……それ、どうなったの? まさか、そのまま……」
「当時の騎士団長と、私の二人がかりで鎮めたわ。……彼女を力で捻じ伏せ、その地位を剥奪し、歴史の闇へと放り出した。だけど、未だに一部の貴族たちの間では、その時の"姫"の脅威が語り継がれている。……もっとも、今ではその恐怖も代替わりして、単なる私利私欲のための、売国の口実に堕ちているでしょうけれど」
私は、アルフェッカの語った歴史の重みに、しばらく言葉を失っていた。
かつての英雄が、絶望の果てに反逆者となり、その恐怖が今の暗殺計画の土壌になっている。
歴史は、私たちが思うよりもずっと醜く、歪んだ形で繋がっている。
「……そう、だったとして。どうして今、私にそんな話を?」
私が問いかけると、アルフェッカは今までに見たことがないほど、優しく、そして寂しげに微笑んだ。
「あなたには、あの子のように疲れてほしくなかったのよ。これから先、あなたはもっと多くの不条理に直面するでしょう。その度に勝利を求められ、何かを奪うことを強いられるかもしれない」
彼女の手が、私の頬に触れようとして、力なく止まる。
「だから、知ってほしかっただけよ。こういう歴史も、あったってことをね。……あなたが、あなた自身を見失わないための、一つの標として」
「アルフェッカ……」
「さあ、話は終わり。もう夜も更けたわ。明日に備えて、ゆっくり休みなさい」
彼女の笑顔の裏にある感情を、私は読み取ることができなかった。
いや、読み取るのが怖かったのかもしれない。
自分の命が、消えゆく瀬戸際にあると悟りながら、それでも私に"正しくあってほしい"と願う彼女の祈りが、あまりに純粋で、あまりに重かったから。
私はアルフェッカに一礼し、塔を後にした。
螺旋階段を降りる足取りは、来る時よりもずっと重い。
かつての友を"反逆者"として討ったアルフェッカ。
そして、彼女を殺そうとしている、"雷帝"とその一派。
式典は、明後日。"銀髪祭"のフィナーレに、事態は動く。
そこが、かつての悲劇の再現となるのか、それとも新しい物語の始まりとなるのか。
私は、弱さに震える心を、冷たい夜風に晒しながら、暗い城路を歩き続けた。




