157話「萎れた銀髪」
螺旋階段を登り切った先、厚い石扉が音もなく左右に分かれる。
そこは、王都ヴァルゴの守護神アルフェッカが鎮座する聖域であり、この国の魔力の心臓部だ。前回訪れたときは、壁一面を埋め尽くすほどの、瑞々しく輝く銀色の髪が部屋全体を柔らかな光で満たしていた。
だが、今の光景はあまりに異質だった。
「……アルフェッカ?」
思わず声が漏れた。
部屋を埋め尽くしていた銀色の髪は、かつての豊かな生命力を失い、どこか煤けたようにくすんでいた。艶は失われ、乾燥した枯れ草のように、床に力なく横たわっている。
その髪の海の中央、玉座に身を預けるようにして佇むアルフェッカ本人もまた、一目で分かるほどの衰弱を見せていた。
白磁のようだった肌は青白く、目の下には深い隈がある。かつての泰然自若とした雰囲気は鳴りを潜め、彼女はただ、自身の存在を維持するだけで精一杯であるかのように、浅い呼吸を繰り返していた。
「……あら、ノクティア。久しぶりね。……ごめんなさい、こんな格好で迎えることになってしまって」
アルフェッカは弱々しく微笑もうとしたが、その唇には赤みがなく、痛々しいほどだった。
「……どこか悪いの? 地脈の乱れか、それとも帝国からの干渉が……」
私が駆け寄ろうとすると、アルフェッカは細い指を振って私を制した。
「いいえ。……単なる、魔力の極端な不足よ。……公国に残してきた、私の分体に力を注ぎすぎてね。私自身は少しだけ……そう、あちらの世界の言葉を借りるなら、"省エネモード"中なの」
アルフェッカの言葉に、私は息を呑んだ。
"いばら姫"の呪い――これもまた、途方もない魔力不足を補うための、龍脈との結合作業。それを進めるために、アルフェッカの分体はガーランドに留まっている。
あちらに繋ぎ止めた分体を維持し、龍脈の安定を遠隔で支え続けるために、本体である彼女の魔力は絶え間なく削り取られていたのだ。
「"大星潮条約"の正常化もあって、王国内の龍脈はようやく落ち着き始めたわ。だから、今は少しだけ安心してもいいかと思って……王国内に張り巡らせていた髪の情報網を、少し緩めているの」
「情報網を……緩めている?」
私は、昨日シャウルから聞いた話を思い出し、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「ええ。全方位に感覚を広げるのは、今の私には酷な作業なのよ。だから、本当に深刻な異変が起きない限りは、寝かせておこうと思ったのだけれど……。私の顔色を見て、何か言いたいことがありそうね?」
「……ええ。アルフェッカ、驚かないで聞いて。あなたへの、暗殺計画があるわ。反"姫"派の貴族たちが、この銀髪祭の最中に、あなたを消そうと動いている」
私の言葉を聞いたアルフェッカは、驚きに目を見開くかと思いきや、意外にも「あちゃー」とでも言いたげな、困ったような顔をして溜息をついた。
「……実はね、私を消そうと反"姫"派が動いたことは、一度や二度じゃないのよ、ノクティア」
「そうなの?」
「ええ。でも、今まではその度に、計画が牙を剥く前に潰すことができていたわ。私の"髪"が掴む国内の情報を用いて、不穏な動きを見せる首謀者に釘を差したり、あるいは計画に必要な人員の移動や物資の調達を、地脈の操作で密かに滞らせたりね」
私は、ようやく合点がいった。
暗殺計画が実行寸前まで進んでしまったのは、敵が巧妙になったからではない。
アルフェッカが自らの身を削って公国を救い、その結果として、彼女の最大の防御機構である"全識の監視網"に空白が生まれてしまったからなのだ。
彼女が弱っているから狙われたのではない。
彼女が弱ったことで、抑え込んでいた悪意が溢れ出してしまったのだ。
私は拳を握りしめ、アルフェッカを見つめた。
彼女をこのままにしておけない。暗殺者たちの自由にはさせない。
そう決意を新たにした私は、シャウルが路地裏で遭遇した"脅威"について話し始めた。
「実行犯の中には、ただの人間ではない者が混じっているわ。シャウルが見たのは、雷のような青白いオーラを纏い、肩まである頑強なガントレットを装備した、見上げるほどの巨躯を持つ大男……。生物としての格が、他の騎士とは明らかに違っていたそうよ」
その特徴を口にした瞬間。
さっきまで力なく身を横たえていたアルフェッカの瞳が、凍りついたように見開かれた。
くすんでいた銀色の髪が、彼女の動揺に呼応するように、ザワリ、と嫌な音を立てて波打つ
。
「……ガントレット……雷のような、オーラ……」
彼女の声は、今まで聞いたこともないほど微かに震えていた。
アルフェッカは、震える手で自身の胸元を強く押さえ、まるで亡霊の影をそこに見ているかのように、虚空の一点を見つめた。
「そんな……まさか、ありえないわ。彼は……あの戦いの中で、死んだはずでしょう?」
「アルフェッカ? その男に心当たりがあるの?」
私の問いかけに、彼女は応えない。
ただ、その瞳に宿ったのは、"姫"としての矜持を塗りつぶすほどの、純粋な、そして根源的な"恐怖"の色だった。
「――生きていたの、"雷帝"グリス・トール=レオンテス」
そう、震える声で呟いたのだった。




