155話「疑問の間隙」
食堂の喧騒を離れ、宿へと戻ってきた私たちは、シャウルの言葉に耳を傾けることにした。
蒼白な顔で震えるシャウルを落ち着かせ、一口、冷たい水を飲ませる。それから、彼女が途切れ途切れに吐き出した言葉は、私の予想を遥かに超える、最悪のシナリオだった。
「――なるほど。そんなことが、裏路地であったのね」
私は深く、重い溜息と共に頷いた。
シャウルがかつて反"姫"派の貴族から銀貨を受け取り、私を監視していたこと。そして今、その繋がりが図らずも、王国の守護神たるアルフェッカの暗殺計画を露呈させたこと。
「……ごめんなさいっす、お嬢様。あたし、やっぱり最低っす。お嬢様を裏切って、自分の私利私欲に走って……。私のせいで、危ない目に遭ったこともあったはずっす」
シャウルが膝の上で拳を握りしめ、消え入りそうな声で謝罪を口にする。
私はそんな彼女の頭に、そっと手を置いた。
「いいわよ、もう。済んだことだもの。それに、今回はあなたのおかげで、最悪の事態が起きる前に気が付くことができた。……感謝しているわ、シャウル」
「お、お嬢様……っ」
嘘ではない。
エリダヌス連邦との通商がようやく正常化の兆しを見せているとはいえ、この王国ヴァルゴは今、薄氷の上を歩くような脆い均衡の中にいる。
その均衡を辛うじて支えているのは、アルフェッカがその"髪"の魔法を王国中に張り巡らせ、物資や情報の流通を円滑に導いているからだ。
もし、彼女という基石が失われれば。
王国の物流は麻痺し、民の心は恐怖に染まり、対帝国への準備期間として残された半年という貴重な時間は、灰となって消えるだろう。
「……止めなきゃいけないわね。何をおいてでも、必ず」
「そうっすね、勿論っす! あたし、今度こそお嬢様とアルフェッカ様のために、粉骨砕身頑張るっす!」
ようやく顔を上げたシャウルが鼻息荒く宣言する。
だが、その熱気に水を差すように、背後から氷のような声が響いた。
「……お二人とも、随分と威勢がよろしいですね。私の負担も、少しは考えていただけると嬉しいのですが」
ザラだった。
彼女は腕を組み、壁に寄りかかったまま、仏頂面をさらに険しくして私たちを見下ろしていた。
「それは、そうだけど……でもザラ、これは王国の危機なのよ? 見過ごせるはずがないわ」
「王国の危機、ですか。……いいですか、お嬢様。私は騎士として、あなたの身を護るためにここにいます。王国の"姫"を巡る諍いや、どこかの貴族の陰謀まで相手にするなど、グラスベル伯からの依頼には含まれていません」
ザラは忌々しげに舌打ちし、窓の外、暗闇にそびえる"星の塔"へと視線を向けた。
「それに、お話を伺った限りでは……そのアルフェッカ様とやらは、既に暗殺計画に気が付いていそうなものですが」
「え……? どういうこと?」
ザラの問いに、私は一瞬言葉を詰まらせた。
「魔法の理屈だなんだは、私には分かりません。ですが、お嬢様は仰いましたよね。アルフェッカ様は王国中に"髪"を伸ばし、あらゆる状況を把握しているのだと。……ならば、路地裏で貴族が不穏な談合をしている程度のこと、彼女が看破していないはずがない。違いますか?」
鋭い指摘だった。
魔法を直接扱えないザラにとって、それは極めて合理的で冷徹な推論だ。
もしアルフェッカが全知全能に近い観測能力を持っているのなら、そもそも暗殺計画など、実行される前に彼女自身が排除しているはずなのだ。
「それは……確かにそうかもしれないわね。彼女は常に"傍観者"だったけれど、大事な時には力を貸してくれたわ。だとすると、計画が野放しになっているのは何故……?」
「……あるいはお嬢様、そのアルフェッカ様とやらは、あなたが思っているほど全識ではないのでは?」
その可能性は、ゼロではない。
そもそもの話、彼女の魔法について私は詳しいことを知らないのだ。"髪長姫"がルーツであるということ、領土内で起こったことを把握し、国家の運営に力を貸しているということくらいだ。
どこまで詳細な情報を手にしているのかは、本人に聞かなければわからない。
「ここで話していても、答えは出ないわね……」
私は窓辺に歩み寄り、王都の天を突く銀色の尖塔を見上げた。
"銀髪祭"の夜、人々が祝杯を挙げているその裏で、暗殺者たちの刃は研がれ、シャウルの話が正しければ、雷鳴を纏った巨軀の大男が闇を徘徊している。
「明日、朝一番で登城しましょう。王城、そして"星の塔"へ。陛下に事態を報告し、アルフェッカ本人に相談するわ。彼女が何をどこまで知っているのか、そして……あの不気味な男の正体が何なのかを」
「……わかったっす。あたしも、今度はお嬢様から一歩も離れないっす!」
「勝手なことを。……お嬢様、明日の登城、くれぐれも無茶はしないでくださいよ。私の仕事はあくまであなたの命を守ること。城が落ちようが、アルフェッカ様が死のうが、お嬢様さえ生きていれば私の任務は達成ですので」
ザラの言葉は相変わらず刺々しく、冷たい。
けれど、彼女が腰の剣を強く握り直したのを、私は見逃さなかった。彼女は彼女なりに、目の前の"敵"を想定し、戦う準備を始めているのだ。
(……大丈夫、いつもと同じ。ここを越えれば、私たちは――)
私は心の中で呟いて、懐に忍ばせたリゲルの手紙を指先でなぞった。
アルフェッカへの相談内容は、それは暗殺計画の阻止だけに留まらない。
この世界の歪みを正すための、決定的な"真実"に触れるための第一歩。それを踏み出すためにも、彼女を殺させるわけにはいかない。
「今日はもう、休みましょう。明日は、長い一日になるわ」
私は二人に告げ、ランプの灯を消した。




