154話「暗殺計画」
◆◇◆
――時は、あたしがお嬢様を撒いたところまで遡る。
(――お嬢様、ごめんなさいっす)
あたしだって、別に毎日毎日、"姫"だの帝国だのって難しい顔をして歩きたいわけじゃない。
むしろ、生来、そういうのは苦手な方だ。
"銀髪祭"の夜。王都ヴァルゴを包む熱気と、どこからともなく漂ってくる肉の焼ける香ばしい匂い。これに抗えるほど、あたしの意志は鋼鉄製じゃない。
人混みを縫うようにしてノクティアお嬢様の視界から消えるのは、あたしにとって造作もないことだった。お嬢様は考え事に没頭すると周りが見えなくなるし、あのザラって女騎士もお嬢様の護衛に手一杯で、あたしの影を追う余裕なんてなかったはずだ。
「ふふふ……悪いっすけど、羽根を伸ばさせてもらうっすよ。今夜のあたしの胃袋は、連邦の岩塩焼きと公国のクリームパイを受け入れる準備が万端っす!」
鼻歌まじりに屋台を物色し、どの獲物から食い散らかしてやろうかと算段を立てていた――。
――その時だった。
「……っ!」
祭りの喧騒を、冷たいナイフで切り裂くような視線が背中に突き刺さる。
振り向けば、そこには見覚えのある、鼻持ちならない顔が立っていた。
高級な絹の服に身を包み、脂ぎった顔に卑屈な笑みを浮かべた男。
それは、以前、あたしに銀貨を握らせて、お嬢様のスパイをさせていた反"姫"派の貴族の一人だった。
「……なんすか、あんた。まだあたしに、何か頼みたい仕事でもあるんすか?」
あたしは露骨に嫌な顔をして、手に持とうとしていた串焼きを諦め、彼に促されるままに路地裏の影へと足を踏み入れた。
表通りの喧騒が遠のき、湿った石畳の匂いが鼻をつく。
男は周囲を気にしながら、下卑た笑みを深くしてあたしに語りかけてきた。
「……賢い君なら分かっているはずだ。もはや、この王国に未来は無い。"人魚姫"を奪われた連邦や、蹂躙されたガーランドの惨状を見ただろう?」
「……何が言いたいんすか?」
「次に滅ぼされるのはここ、ヴァルゴだ。我々に残された道は、どれだけ傷をつけずに、王国を帝国に引き渡せるか……それだけなのだよ」
(……こいつら、本当に腐ってるっすね)
あたしは内心、吐き気を催すような軽蔑を覚えた。
そんなことをしても、帝国の連中がこいつらの食い扶持を残してくれるはずもないのに。自分の首を差し出して、代わりに鎖を緩めてもらおうなんて、おめでたいにも程がある。
「あたしはあんたの思想には興味ないっすよ。で、結論は何なんすか」
「変わらんよ、君に要求することはな。グラスベルの"姫"の動向を知らせ、我々の都合がいいように誘導しろ、それだけだ」
「……そうっすか、話は、それで終わりっすか? なら――」
あたしが適当にあしらおうとすると、男は勝ち誇ったように、聞き捨てならない一言を口にした。
「――すべては、あの忌々しき"姫"を消すことから始まる。星の塔に籠もる髪長姫を殺す……。これが王国の幕引きの合図だ」
「……っ! アルフェッカ様を、殺す……?」
心臓がドクンと跳ねた。
アルフェッカ様。ガーランドの時に、私たちに力を貸してくれた、お嬢様と同じ王国の"姫"。
「ああ、そうさ。難攻不落のあの塔から決して出てこない彼女が、唯一、無防備に大衆の前に姿を現すのが、この祭りの最奥に行われる儀式なのだ。そこを狙う」
「……アルフェッカ様は、"姫"っすよ。そう簡単に殺せる相手じゃ――」
そこまで言いかけて、あたしは全身の毛が逆立つのを感じた。
(――っ、なに、これ)
あたしの背後。光の届かない路地の暗がりに、いつの間にか"それ"が立っていた。
――バチッ。
乾燥した冬の空気の中で弾ける、静電気のような音。けれどそれは、ただの不快な電気の音じゃなかった。
あたしのすぐ後ろで、真夏の夕立が降る直前のような、重苦しく、ひりつくような臭いが立ち込めた。
恐る恐る、首だけを動かして振り返ったあたしの視界に入ってきたのは、人間の範疇を完全に逸脱した巨躯だった。
岩のように硬く隆起した筋肉。
見上げるほどの背丈。
そして何より、その男の肩から手首までを覆い尽くしている、鈍い光を放つ頑強な小手。そこから、青白い雷のようなオーラが、不気味な放電音と共に漏れ出していた。
(――気付かなかった、あたしが!?)
「もちろん、こっちも用意しているさ。……色々とね」
男の言葉が、遠い。そんなことを聞いている余裕もなく、あたしの本能は絶叫していた。
――こいつは、ヤバい。
長いこと、裏路地のゴミ溜めで死肉を漁るように生きてきたあたしだから、わかる。
こいつが纏っている気配は、お嬢様が戦ってきたあの化け物じみた"姫"たちや、あの恐ろしい"人類到達点"の騎士と、同じ種類のものだった。
圧倒的な、抗いようのない武の質量。
ガントレットの隙間から溢れる青い光が、路地裏の壁を青白く照らし出す。
その光に照らされた大男は、表情ひとつ変えず、あたしのことなんて羽虫か何かのように見下ろしていた。
「……ぁ」
声が出なかった。
一刻も早く、ここを離れなきゃいけない。
お嬢様に伝えなきゃいけない。
アルフェッカが殺されるとか、政治がどうとか、そんなことよりも先に。
――この、雷を纏った死神が、命を、あたしたちの物語を、跡形もなく踏み潰しに来るっていう事実を。
あたしは、震える足を必死に叩き、隙を見て路地裏から飛び出した。
背後で貴族の笑い声が聞こえたような気がしたけれど、振り返る余裕なんて一秒もなかった。
人混みの中を、肩をぶつけ、転びそうになりながら、あたしは叫びたい衝動を必死に抑えて走り続けた。
祭りの賑わいが、今は不気味な悲鳴の予行演習にしか聞こえない。
(――お嬢様、お嬢様、お嬢様!)
一刻も早く、これを伝えなければ。
あたしは、心臓が破裂しそうなほどの恐怖を抱えながら、夜の王都を、ノクティアお嬢様の姿を求めて駆け抜けていった。
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