表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
163/174

152話「"便利屋"」


 威勢のいい掛け声と、煮込み料理の脂っこい匂いが立ち込める店内。


 私は、扉を開けた勢いのまま数秒間立ち尽くし、そしてゆっくりと肩を落とした。


 視界のどこを探しても、山盛りの肉皿を前に目を輝かせているはずの、あの食いしん坊は見当たらない。


「……なんだ。アテが外れたようですね、お嬢様」


 背後で、ザラが吐き捨てるように呟いた。


 彼女は馬車の中から続く仏頂面を崩さないまま、私の失策を愉しむかのような皮肉を重ねる。


「……そうね。自信があったんだけど、おかしいわね。あの子の食い意地なら、真っ先にここを選ぶと思ったのだけれど」


「過信は禁物だということですよ。さあ、いないのならさっさと出ましょう。祭りの夜は物騒です、いつまでもこんな油臭い所に留まるべきではありません」


 ザラに促され、私は気まずい思いで踵を返そうとした。


 だが、店内の喧騒を切り裂くような、ひどく切羽詰まった、それでいてどこか間の抜けた声が私の足を止めた。


「ええ〜、大将、そこをなんとか勘弁してよ〜っ! ツケ、今度こそ、今度こそちゃーんと払うからさぁ! ね!? この通り!」


「馬鹿言え! お前さん、いつかもそう言って、受け取ったばかりの稼ぎを全部カード遊びに注ぎ込んじまったじゃねえか! うちの店は慈善事業じゃねえんだよ!」


 奥のテーブル席で、一人の女が店主に必死に縋り付いていた。


 女は、かなりの長身だった。座っていても分かる、全身を覆うしなやかで引き締まった筋肉。


 後ろで無造作に縛った長い黒髪が、彼女の野性味を強調している。一見すれば、凄腕の傭兵か何かのようにも見えるのだが……。


「カードは……あれは不可抗力っていうかさあ、運がちょっとだけ里帰りしてただけで……次は絶対に勝てる流れだったんだってば!」


「その"次は勝てる"を何度聞いたと思ってる! 払えねえなら、もう一歩も中に入れないからな!」


 ……どうやら、ただの深刻なギャンブル狂のようだった。


 祭りの時期には、羽目を外して路頭に迷う手合いも増えるものだ。ザラが「見苦しい」とでも言いたげに鼻を鳴らし、私も関わるべきではないとその場を去ろうとした、その時。


 ふと、その女と目が合った。


 鋭い眼光を放ちそうな切れ長の瞳。それが、今はこれ以上ないほど情けなく潤み、助けを求める捨てられた子犬のように私を見つめていた。


 一度、目を逸らす。しかし、感じた無言の圧を無視することは、できそうにもなかった。


『そこのあんた、頼むから助けてくれ』とでも言いたげな、その瞳。気にせず立ち去ることも、できたはずなのに。


(……ああ、もう! なんでこっち見るのよ)


 その視線から逃げるように扉へ手をかけたが、私の良心が、あるいは、私の何処かに今も眠る、お節介焼きの性分が、それを許さなかった。


 ここで見捨てたら、私が何だか酷い悪者になったような、得も言われぬ罪悪感に襲われそうだったのだ。


「……大将、その人の分、私が払うわ」


「はぁ!?」


 背後でザラが、今日一番の大きな声を上げた。



 支払いを済ませ、釈然としない顔の店主を下がらせた後。



 私は、女の座るテーブルへと戻った。女は信じられないものを見るような目で私を見つめていたが、やがて拝むように両手を合わせた。


「いやあ〜! 神様仏様だよぉ! ありがとう、本当に助かったぁ! もうここまで来たら、体でも売るしかないかと思ってたんだぁ!」


「……もっと自分を大切にしなさいよ。まあ、困っている時はお互い様って言うしね。せっかくの祭りなんだから、あまり惨めな思いはしたくないでしょう?」


 私の呆れ顔を気にする風もなく、女は豪快に笑いながら、目の前に並んだ(もちろん私が支払った)料理に食らいついた。


「本ッ当、さんきゅーね! 仕事のお金はそれなりに入ったんだけどさ、みーんなカードでスっちゃって。あはは、笑えるよね!」


(――助けない方が良かったかしら?)


 そんな後悔が、頭をよぎる。


 ザラは文字通り開いた口が塞がらないといった様子で、壁際で天を仰いでいた。彼女の視線が「こんな女に付き合うくらいなら、一刻も早く帰らせろ」と語っているようで痛い。


 ひとしきり食べ終えた女は、満足げに腹をさすると、私に向かって大きな右手を差し出してきた。


「あたしはカノン。仕事は……まあ、ちょっとした便利屋、みたいな? 荒事から猫探しまで、なんでもござれってね」


「……ノクティアよ。便利屋なら、次にお金が入ったら、ちゃんとお金返してね。利子は取らないから」


「あはは、あんたはしっかりしてるねぇ。了解了解、出世払いで期待しててよ!」


 そう言って笑うカノンの手を、私は渋々取ることにした。



 ――瞬間。



(……この人、結構できるわね)


 その掌には武人の硬いタコがあり、彼女がただのだらしない博徒ではないことを物語っていた。


 その大きな手から伝わる握力も、十分に強い。どうやら、"便利屋"稼業というのも、楽なものではないらしい。


「お嬢様、そんな素性の知れない者と……」


 ザラが小声で毒を吐くが、私は不思議と、このカノンという女性に、どこか憎めない親しみやすさを感じていた。


 あるいは、人懐っこく笑う彼女に――誰かを重ねたからかもしれないが。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ