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13話「獅子星の砦にて」

 馬を飛ばし続けて数時間。


 肺に吸い込む空気が、朝の冷たさから、次第に焦げた油と(すす)の混じった不快な熱気へと変わっていった。


 視界が開けた丘の上に辿り着いた瞬間、私の目に飛び込んできたのは、想像を絶する光景だった。


「――っ、なにこれ、ひどいわね……」


 思わず馬車の窓から身を乗り出す。


 眼下に広がる平原の先、そびえ立つレグルス砦の正門前は、文字通り地獄と化していた。


 そこにいたのは、騎士たちの誇る華やかな軍装ではない。


 黒煙を吐き出し、鈍い銀光を放つ巨大な鉄の塊が、いくつも大地を這っていた。


「"鉄の陸亀(アイアン・トータス)"。帝国が開発した、自走式重装甲車です。真っ向から立ち向かえば、剣も槍もまともには通りません」


 並走する馬上から、アルトが冷徹な声で解説を添える。


 かと思えば、シュンッ、シュンッという高圧蒸気の排気音と共に、巨大な杭が砦の城壁を打ち据える。その度に、物理的には最強を誇るはずの石壁が、まるで菓子細工のように削り取られていった。


「あちらは帝国の最新兵器、蒸気破城槌(パイルバンカー)です。ご覧の通り、従来の攻城兵器とは比較にならない。まともに食らえば、どんな堅牢な門も数時間は持ちません」


「……こんなの、本当に大丈夫なの?」


 オレオーン隊長の策は、そもそもレグルス砦が相手の攻撃を受け止められるのが前提だ。


 けれど、あれだけの破壊力。いつまでもは保たないのではないかと、不安になってしまう。


 それでも、アルトは平然と。


「ええ、ご安心を。あれをご覧ください――」


 言葉と同時に、城壁の上から何かが振り注ぐ降り注ぐのは、雨ではなく、高度に訓練された兵士たちによる、精密な(いしゆみ)の嵐。


 それが、行軍を押し留めたかと思えば、やがて、前線で猛威を振るっていた鉄の怪物たちの動きが、目に見えて鈍くなった。黒煙が白く変わり、駆動音が弱まっていく。


「……燃料切れ、かしら」


「ええ。奴らの欠点は、あの巨体を動かすための石炭と水の消費量だ。父上の狙い通り、帝国軍は砦を落とし切る前に限界を迎えたようですね」


 退却を始めた鉄の塊たちに、砦から溢れ出した王国の騎兵隊が襲いかかる。背後から槍を突き立てられ、爆発四散する機械の残骸。


 それは、彼――オレオーン隊長の戦術が、現状では正しく機能していることを証明する残酷な勝利の光景だった。


「……一時的に戦火が途切れましたね。今のうちに砦に入ってしまいましょう」


 アルトの合図で、私たちの馬車は再び走り出した。


 遠く、戦場に周囲に転がる鉄の残骸を見ながら、私は胸の奥で渦巻く不安を抑えきれなかった。


(……これは、本当に良くないわね)


 それを言葉にできない私の代わりに、馬車の中、それまでずっと私の手を握っていたスピカが、不安げに口を開いた。


「お嬢様……オレオーン隊長、私たちの話を聞いてくれるでしょうか。あんなに鮮やかに勝っているのを見ちゃったら、ますます頑固になっちゃいそうで……」


「そうね。普通に頼んだんじゃ、また『子供は帰れ』で終わりでしょうね」


 この勝利は、彼が正しいことの、何よりの証左だ。


 だからこそ、非常にマズい。オレオーン隊長はこれを"正解"だと思い込んでしまう。勝利の快感は、視界を狭めてしまうだろう。


 そして何より、進言に耳を貸すことも、なくなってしまう。


 だからこそ――私には"あれ"が必要だった。


「……大丈夫よ。私には、とっておきの"秘策"があるから」


「秘策……ですか?」


「ええ。……ちょっとだけ、悪い子のやり方を使うことになるけどね」


 私は、鎧の胸元に忍ばせた、昨夜見つけた"あれ"にそっと触れた。


 これが、私の切り札。驕り高ぶった獅子を、交渉の座につかせるための、唯一のカードだ。


 そんな話をしているうちに、馬車はやがて、正門を避けて裏手の通用門へと滑り込んだ。


 ここを抜ければ、そこはオレオーン隊長が指揮を執る砦の中枢だ。


 けれど、私たちの前に立ちはだかった門兵の反応は、予想通り冷ややかなものだった。


「アルト小隊長、貴公の帰還は認めましょうう。ですが――」


 兵士は、馬車の窓から顔を出す私とスピカを一瞥し、眉をひそめた。


「非戦闘員であるノクティア様と、その侍女を通すわけにはいきません。ここは戦場だ、お二人にケガでもあれば、大ごとです。小隊長、速やかにお引き取り願えますかな」


「あまり、悠長なことはやってられんのだ。せめて、隊長にお目通りを」


「オレオーン隊長は、全体の指揮を執ってらっしゃいます、いくらご子息とはいえ、それは」


 アルトが食い下がるが、門兵は頑として動かない。背後の兵士たちも、冷ややかな目で私たちを見ている。


 スピカが困惑し、私の袖をギュッと掴んだ。

 けれど、私の心は驚くほど冷静だった。


 私は馬車の扉を開け、ゆっくりと地面に降り立つ。


 そして、呆気にとられる門兵へと迷いのない足取りで歩み寄り、その耳元で、私だけにしか聞こえないほどの低い、けれど凍りつくような声で囁いた。


「の、ノクティア様……?」


「――オレオーン隊長に伝えなさい。『冬の空、翡翠(ひすい)の指輪が綺麗に輝いております』と」


「……はあ?」


「いいから、早く。そう言えば、わかりますので」


 兵士は怪訝そうに眉を上げつつ、隣に立っていた同僚にそれを伝える。そうして、砦の中に消えていくのを見届けてから、スピカが首を傾げた。


「……? お嬢様、なんですか、その、翡翠の指輪って」


 私はそれに、笑みが溢れるのを隠せずに。


「ええ、スピカ。これはね、私と彼の秘密の暗号よ。きっと、きっと伝わるわ」


 ――そして、その答え合わせは、すぐに行われる。


 伝言に向かった兵士は、慌てた様子で扉から飛び出してくると、私たちの前に直立し、敬礼のポーズを取った。


「の、ノクティア様! オレオーン隊長がお会いになるとのことです、司令室までご案内いたします!」


「あら、そう、悪いわね。ほら、気が変わらないうちに早く行きましょ」


 ああ、と気のない返事をしたアルトが、馬車を前進させていく。


 その目には、「どんな魔法を使ったのだ」と言いたげな、そんな気配が満ち満ちているのだった。


 

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― 新着の感想 ―
戦車があるという事は、技術レベルは少なくとも第一次世界大戦くらいはありそう……
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