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148話「意外な同行者」


 グラスベル伯に諭されたあの日から、数日が過ぎ、いよいよ、王都ヴァルゴでの"銀髪祭"の開催が間近に迫っていた。


 アークトゥルスの惨劇から持ち帰った傷は深く、結局、ギエナもアルトも出発の日までに戦列へ戻ることは叶わなかった。彼らは悔しげな表情を浮かべていたが、私が無理をさせるはずもなかった。


 帝国との決戦を見据えるなら、今は彼らを十全に回復させることが先決だ。


「二人とも、結局間に合わなかったっすねえ。あれだけボロボロだったら、仕方ないっすけど」


 私の隣を歩きながら、シャウルは肩を竦めつつ言った。


「いいのよ、今はしっかり休んでもらいましょ。今回はお父様が、他の騎士に声をかけてくださったわけだし、そこまで心配もいらないわよ」


 シャウルと私は共に、旅装を整えてグラスベル邸の広大な玄関ホールへと向かっていた。


 そろそろ、馬車が来ているはずだ。本当なら、もう少し早めに行って、余裕を持って待ちたかったのだが、シャウルの用意に付き合っていたら、ギリギリになってしまった。 


「ま、なら気兼ねなく楽しみましょ! あたし、もう胃袋の準備運動は完璧っすよ。王都の屋台でこれでもかってくらい食べ歩きがしたいっす! "銀髪祭"には、周辺各国から珍しい名物が山ほど集まるんすよ!」


 当のシャウルは、旅の荷物よりも大きな期待を背負っているかのように、弾んだ声で話し続けていた。


 彼女の食欲と明るさは、沈みがちだった邸内の空気を、強制的に日常へと引き戻してくれる。


「へえ、そうなの? でも、公国や連邦の名物だったら、あなた、つい最近本場に行ってきたばかりじゃない。今さら珍しくもないでしょう?」


「お嬢様、分かってないっすねぇ。それはそれ、っすよ! 本場の味を知った上で、祭りの屋台特有の"あ、これちょっと本物と違う"っていう"これじゃない"感を味わうのが通の楽しみ方なんすよ! その微妙な偽物感を、本物の高級ワインで流し込む……これこそ貴族の侍女の嗜みっす!」


「……贅沢なのか貧乏性なのか分からないわね、相変わらず。というか、あなたまだ未成年でしょ? ダメよ、お酒」


 そんな下らないやり取りを交わしながら歩を進めていると、玄関ホールの巨大な扉の傍らに、静かに佇む人影があった。


 "魔法使い"ポーラ。


 彼女はいつも通り、どこを見ているのか分からない虚ろで深い瞳を、じっと王都の方角へと向けていた。


「あら、ポーラ。見送りに来てくれたの?」


 私が声をかけると、ポーラはゆっくりと視線をこちらに転じ、表情を変えずに口を開いた。


「……お嬢様。残念だけど、見送りじゃなくて警告だよ。今、王都の方には不吉な星が見えてるんだ」


「不吉な星……?」


「そう。それは調和を乱し、運命を食い破る飢えた影。私が見てきたこれまでの星図の中でも、際立って禍々しい光だね。……今、あの場所へ行くのは、自ら嵐の渦中に飛び込むのと同じことさ」


 ポーラの言葉には、いつになく真剣な響きが混じっていた。


 シャウルが「縁起でもないこと言わないでほしいっすよぉ」と、私の後ろに縮こまる。


 だが、私はその忠告を、わずかな苦笑と共に受け止めた。


「ありがとう、ポーラ。でも、どうせどこへ行っても、あたしに楽な道なんて残されていないのよ。……それが不吉な星だろうが、陰謀だろうが、あたしには関係ないわ」


 ポーラの忠告を振り切るように、私は玄関の重い扉を押し開けた。


 追い抜く一瞬、呆れたように、彼女が目を伏せるのが見えた。


 そして、差し込んできた眩しい朝日。


 その光の先に、王都まで私を運ぶ立派な馬車と――その傍らで直立不動の姿勢を保つ、一人の女騎士が立っていた。


 私は思わず、その場に釘付けになった。


 隣にいたシャウルも、「げっ……」という、侍女としてはあるまじき声を漏らして絶句している。


 そこにいたのは、数日前に特務駐屯所で私を烈火の如き憎悪で拒絶したはずの少女だった。


 短く切り揃えられた灰色の髪。


 スピカと同じ顔をしていながら、冬の夜の湖のように冷え切った三白眼。


 彼女は、王都近衛騎士団の正装ではなく、実戦に特化した黒ずんだ軽装鎧を纏い、腰には、不似合いなほどに幅広で重厚な剣を下げていた。


「……ザラ? どうして、あなたがここに……」


 私が困惑の声を漏らすと、彼女は淀みのない、完璧な動作でその場に膝をつき、恭しく頭を下げた。


 あのテラスで見た、怒りに震える背中とは別人のような、徹底的に感情を殺した"騎士"の顔。



「――ごきげんよう、ノクティアお嬢様。此度の王都行、道中の警備ならびに身辺の護衛は、不肖私が担当いたします」



 ザラ・シューエの声は、低く、静かだった。


 そこに、かつての妹に向けるような情愛は欠片もなく、かといって、あの日剥き出しにされた殺意さえも、今の彼女は鋼の意志で内側に押し殺していた。


「……父上が、手配したというのは……」


「はい。グラスベル伯様より、直々の命を授かりました。『どうか、娘を頼む』と。……お嬢様を心底から嫌悪していようとも、拝命した以上、私の命はお嬢様の盾にございます」


 頭を下げたまま、ザラは淡々と告げた。


 その言葉に含まれた『心底から嫌悪していようとも』という一節が、今の彼女の嘘偽らざる本音なのだろう。


 彼女は私を許したわけではない。


 ただ、領主の命により、そして彼女自身の騎士としての矜持により、憎い相手を守るという皮肉な運命を受け入れたのだ。


 朝日を浴びて、ザラの灰色の髪が僅かに銀色に透ける。

 

 静寂を支配する緊張感。

 これから始まる王都への旅路。


 かつての侍女の姉であり、私を最も憎む騎士を護衛に従えて。


 ポーラが言った不吉な星の意味を、私は肌を刺すようなザラの殺気と共に、改めて実感していた。


「……よろしく頼むわ、ザラ」


 私がそう応えると、ザラは無言のまま立ち上がり、馬車の扉を静かに開いた。


 銀髪祭へと続く道。


 それは、失われた過去と、新たな不条理が交差する、波乱の幕開けに他ならなかった。


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