144話「"灰"と"壊"」
ギエナから教えられたその場所は、私の想像を裏切るような、静まり返った一角にあった。
グラスベル領の北西、人の往来が途絶えた深い森の境界に、その施設は佇んでいた。
王都騎士団直轄・特務駐屯所。
それは、この領地を実質的に守護するアルトやギエナたちの国境警備隊とは、完全に系統を異にする組織の出張支部だ。ヴァルゴ王の身辺を警護する近衛騎士団の看板を掲げてはいるものの、実態は王都の華やかさから切り離された、いわば"掃き溜め"のような場所だった。
「……本当に、ここなの?」
周囲の木々は冬の寒さを引きずり、黒々とした枝を空へ向かって伸ばしている。
一般的に、近衛騎士団といえば王国のエリートとされるが、王都から遠く離れたこの地方支部に送られてくる連中は、悪く言えば左遷組だ。
政治抗争に敗れた者、あるいは性格に難がありすぎて集団行動を乱す者。練度も期待できず、ただ日々を無為に過ごすだけの、活気のない空間――それが私の抱いた第一印象だった。
重い石造りの門を潜り、受付の騎士に声をかける。
騎士は不審げに私を見つめたが、グラスベル家の紋章を目にすると、慌てて背筋を伸ばした。
「……ギエナから聞いて来たわ。"ザラ"という騎士を探しているのだけれど、どこにいるかしら」
「ザ、ザラ……ですか。彼女なら、裏の訓練所にいるはずです。あそこには誰も近づかないので、すぐに分かると……」
騎士の言葉の端々に、微かな忌避の感情が混じっているのを私は感じ取った。
まるで、触れてはいけない腫れ物に触れるような、薄気味悪いものを遠ざけるような態度。
私は、冷え冷えとした空気の漂う廊下を抜け、建物の裏手に位置する訓練所へと足を進めた。
「――ここね、間違いはない、はずだけど……」
訓練所。そこは、手入れの行き届いていない荒れた広場だった。
他の騎士たちの姿はどこにもなく、ただ一人の人物が、中央に据えられた頑強な鍛錬用の人形に向き合っていた。
小柄な、けれど引き締まった背中。
短く切り揃えられた、くすんだ灰色の髪。
ドォォォォンッ!!
大気を震わせるような衝撃音が響く。
その少女が手にした重厚な剣が、鍛錬用の人形を容赦なく撃ち抜いていた。
洗練された剣技ではない。それはむしろ、対象を物理的に"破壊"し、粉砕することに特化した、暴力的なまでの質量を持った一撃。
その髪の揺れ、その肩の震え。
私は、自分の呼吸が止まるのを感じた。
脳裏に、あのレグルス砦の、血の匂いが混じった夜の記憶が鮮明に蘇る。
"赤ずきん"の牙にかけられ、私の目の前で、私を守るために命を散らした、初めての友であり、初めての侍女。
「――スピカ?」
震える声で、その名を呟いていた。
叶うはずのない再会。あり得ないはずの奇跡。
だが、その言葉に反応するように、少女は凄まじい速度で振り返った。
「――っ!」
刹那。視界が銀色の閃光に塗り潰される。
気がついた時には、私の喉元に、冷たく研ぎ澄まされた鋼の刃が突きつけられていた。
速い。
この駐屯所の"左遷組"などという評価を嘲笑うような、文字通り一撃必殺の神速。
そして何より、私を射抜くその瞳に宿る、底知れぬほど深く、凍りついたような殺気。
「……おや」
少女は、私の貌を確認すると、感情を一切排した無機質な声を出した。
「ノクティアお嬢様でしたか。……あまりに無防備に後ろに立たれたので、つい、獣でも紛れ込んだのかと警戒してしまいました」
首元をわずかに掠める剣先。
彼女はゆっくりとそれを引き、鞘へと納めた。
スピカとは、真逆だった。
スピカの声は、いつも日だまりのように柔らかく、おっとりとしていて、私を包み込んでくれる温かさがあった。
けれど、目の前の彼女の声には、体温が感じられない。まるで深海に沈んだ石のように冷たく、重苦しい響き。
「……え、ええ。ごめんなさい、突然声をかけて。……あなたは?」
動悸を抑えながら、私は問いかける。
スピカと同じ顔、スピカと同じ髪の色。けれど、纏うオーラは光と闇ほどにかけ離れている。
少女は、一歩後ろに下がると、淀みのない動きで恭しく一礼した。
それは、完璧なまでの作法。王都の近衛騎士として徹底的に叩き込まれたであろう、けれど心の一片もこもっていない、事務的な礼。
「失礼いたしました、お嬢様」
顔を上げた彼女の瞳は、やはり妹のそれとは違い、刺すような鋭利さを保ったままだった。
「私は、王都近衛騎士団所属、ザラ・シューエ。……亡き妹スピカが、生前は多大なるお世話になりました」
シューエ。
その姓を聞いた瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。
スピカ・シューエ。
私がこの世界で、最初に死という不条理を突きつけられた、代えがたい犠牲。
彼女には家族がいることは知っていた。だが、その姉が、この領地に、これほど近くにいたなんて。
ザラと名乗った彼女は、感情を押し殺した静かな口調を崩さない。
だが、その納められた剣の柄を握る指先には、言葉とは裏腹な、痛々しいほどの力が込められているように見えた。
(……あたしのせい、だわ)
ギエナが「オススメしない」と言った理由。それが、痛いほどにわかった。
彼女が向けてきた、あの死の気配。
あれは不審者に対する警戒などではない。
妹を死なせた"主君"に対する、抑えきれぬ憎悪と、騎士としての忠誠心が、彼女の内で激しくぶつかり合っている証左に他ならなかった。




