表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
11章「騎士と青年と凍てつく茨」
152/173

141話「傷だらけで結んだ手」

 

 ディバルド大公の国葬が終わり、アークトゥルスの街を覆っていた弔いの鐘の音が止んだ。


 降り積もる雪は依然として止む気配を見せなかったが、その白さは、公国が受けた深い傷を一時的に覆い隠す、静かな包帯のようにさえ感じられた。


 私はシャウルを廊下に待たせ、宮殿の最奥にある執務室の扉を叩いた。


 そこには、以前と変わらぬ姿で――否、以前よりも膨大な書類の山と格闘しているリゲル・ヴァント=ガーランドの姿があった。


「……来たか。葬儀は退屈だったろう、ノクティア・グラスベル」


 リゲルは顔を上げることなく、ペンを走らせる。その傍らには、守護者たるヴェルギウス・クラインが、深い影を落とした彫刻のように控えていた。彼もまた満身創痍のはずだが、その眼光は鋭く、主君を護るという一念だけでその肉体を支えているようだった。


 私がここへ来たのは、葬儀の最中に手渡された一通の封書が理由だ。


 そこには、簡潔にこう記されていた。


『今すぐ我が執務室へ来い。……王国側が提案していた"共同戦線"の条件、すべてを呑んでやる』


 あれほどまでに頑なに共同戦線を拒み、公国の自律と"いばら姫"の秘匿に固執していた彼が、あまりにも急な心変わりだった。


「手紙、読ませてもらったわ。……ずいぶんと聞き分けが良くなったのね。あのアダーラの冷気が、あなたの頑固な頭まで冷やしてくれたのかしら?」


 私の皮肉に、リゲルはようやく顔を上げ、自嘲気味に口元を歪めた。


「ふん。我の頭は、冷やされるまでもなく氷点下だ。……急な心変わり、か。理由が気になるのなら、貴様のお付きの騎士にでも聞いてみるがいい」


「アルトに?」


「ああ。……貴様らは、前大公と約束していたのだろう? ……ヴェルギウスという、人類の極北に一太刀を浴びせるという、無謀極まりない条件でな」


 背後に立つヴェルギウスが、僅かに頬の傷に指を這わせたのを私は見逃さなかった。


 そうか。アルトは、意識を失う直前まで戦っていたのだ。私たちの知らないところで、この意固地な皇太子の心を動かすために。


 リゲルは持っていたペンを置き、背もたれに深く身体を預けた。


 その瞳には、かつての傲岸不遜な光よりも、どこか澄み渡った、それでいて重い責任を背負った男の覚悟が宿っていた。


「……認めざるを得ん。我の考えは、あまりに甘すぎた。この公国の騎士団があれば、"いばら姫"の茨があれば、不条理の王女など容易く退けられると……そう、高を括っていたのだ。……不条理な"姫"という存在への、理解があまりにも浅すぎた」


 彼は自らの手のひらを見つめる。そこには、覚醒したばかりの"棘無き茨"の魔力残滓が、消えぬ痣のように刻まれている。


「父を奪われ、民を凍えさせ、ようやく目が覚めたよ。……もはや、この国だけでは、あの異形(バケモノ)どもの行進は止められん。ノクティア、我は約束しよう。貴様らが帝国へと刃を向けるその時、ガーランドは必ず、貴様らの背を守るために駆けつけると」


 それは、初めてリゲルという個人が、私という個人に向けた、嘘偽りのない"言葉"だった。


 騎士の国としてではなく、システムの一部としてでもなく。


 ただ、愛する者を守るために強くなろうとする、一人の男としての誓い。


「……わかったわ。その言葉、信じさせてもらうわよ」


 私は頷き、懐から小さな硝子の小瓶を取り出した。その中には、アルフェッカの分身である銀色の光が、静かに揺蕩っている。


 もう、彼女は小人の形すらも保てていなかった。しかし、それでも"星の塔"とこの場を繋ぐくらいの力は残っている。


「これを、地下の"薔薇の根"へ置いておいて。アルフェッカが、この宮殿を流れる龍脈とタニアの接続を調整してくれるわ。これで魔力の供給効率は格段に上がるはずよ」


「……感謝する。だが、それでも……」


「ええ。アルフェッカの見立てだと、タニアが目を覚ますのに必要な魔力が溜まるのは、早くても数ヶ月後。……帝国との決戦に間に合うかは、微妙なところね」


 それが、現時点での残酷な結論だった。


 不条理を打ち倒すための切り札。その目覚めを待つには、半年という時間はあまりに短く、そして、平和を維持するにはあまりに長すぎる。


 だが、その不確かな見通しを聞いても、リゲルの表情には微塵の動揺もなかった。


 彼はむしろ、楽しげですらある顔で私を見据えた。


「なに、気にするな。……ノクティア・グラスベルよ。たとえタニアが目覚めなくとも、貴様ならば……どうあれ、帝国に対抗する方法など、いくらでも思いつくだろうよ」


「……随分な買い被りね。あたしは、ただの物語の書き換え手よ?」


「いいや、違うな。……貴様は、絶望の結末を強要する奴らの鼻面を、自分勝手な幸福(ハッピーエンド)で殴りつける、最悪で最高な"不条理"だ。……期待しているぞ。我らがタニアを目覚めさせる頃、すでに戦争は終わっていた……などという展開をな」


 そう言って笑うリゲルの表情には、かつて私を"利用すべき駒"として、あるいは"下に見るべき者"として扱っていたような色は、もう欠片も残っていなかった。


「……言われなくても、そうしてやるわよ。あたしの物語に、バッドエンドは似合わないもの」


「フ、それでこそだ」


 執務室を去り際、私はヴェルギウスに視線を向けた。彼は私に一瞥をくれると、深く、短く頭を下げた。


 それは、誇り高き"到達点"が、一人の異邦人を認めた証。


「お嬢様! 終わったんすか!? もうあたし、お腹空きすぎて宮殿の壁を齧りそうだったっすよ!」


 廊下へ出ると、シャウルが飛んできて私の袖を引っ張った。


 その能天気な声に、私は自分が知らないうちに溜め込んでいた緊張が、少しだけ解けるのを感じた。


「ええ、終わったわよ、シャウル。……行きましょう。私たちが、次の一ページを書き記すべき場所へ」


「そうっす! まずはお肉のページっすね! 公国の厚切りベーコンを堪能してからじゃないと、あたしの物語は始まらないっす!」


 相変わらずの食いしん坊な侍女を連れて、私は雪の降り頻る中庭へと足を踏み出した。

 

 傷だらけの公国。

 眠り続けるいばら姫。

 そして、半年後に迫る世界の終焉。

 

 課題は山積み。けれど、その足取りは昨夜よりもずっと、確かなものへと変わっていた。


(待っていなさい、アダーラ。……半年後、最高の物語で、あなたの冷気を融かしてあげるわ)


 私は懐のリゲルから預かった新しい手紙――今度は、"次に向かうべき場所"が示唆された密書を、そっと指先でなぞった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ