140話「暗い夜が明けて」
地獄のような夜が明け、ガーランドに朝が訪れた。
だが、その光は公国の民を祝福するものではなかった。厚く垂れ込めた灰色の雲から、死者の魂を弔うような、音のない雪がしんしんと降り積もる。
"雪の女王"アダーラが残した傷跡は、一夜明けてもなお、アークトゥルスの街を深く侵食していた。
街のあちこちには、溶け残った不条理な氷柱や、お菓子の家の破片が墓標のように突き立っている。魔力によって凍てつかされた建物は、気温の上昇とともに亀裂を入れ、断末魔のような音を立てて崩落しつつあった。
宮殿の一室、重苦しい沈黙の中で仲間たちはそれぞれの限界を迎えていた。
アンタレスとの死闘を制したアルトは、全身の骨が数箇所砕け、聖剣を握った右腕は感覚を失ったまま包帯に巻かれている。隣の寝台では、ギエナが青白い顔で眠りについていた。アルフェッカの懸命な処置によって一命を取り留めたものの、彼女が再び戦場に立つまでには暫くの時間を要するだろう。
"人類到達点"たるヴェルギウス・クラインもまた、動けないわけではなかったが、その鎧の隙間からは絶えず痛々しい呻きが漏れていた。
心臓を止め、生物としての枠を超えて戦った代償は、彼の屈強な精神さえも磨り減らしている。彼は椅子に深く腰掛け、無言で自らの剣を見つめていた。
(――あまりにも、今回の戦いでは、多くのものが失われすぎた)
そう考えつつ、ノクティアは溜息を吐いた。彼女自身も、傷が浅かったわけではない。"姫"でなければ、動くこともできていなかっただろう。
そんな彼女の眼前、宮殿の中庭では、第十四代大公ディバルド・ボルト=ガーランドの国葬が、しめやかに、そして余りにも冷ややかに執り行われていた。
ノクティアとシャウルは、黒い喪服に身を包み、参列者の列に加わっていた。周囲から聞こえてくるのは、押し殺したような嗚咽と、降り続く雪が衣服に触れるわずかな音だけだ。
「……お嬢様」
シャウルが、震える声で隣のノクティアに問いかけた。いつもなら、供え物の菓子をくすねる隙を伺ったり、腹を空かせて愚痴をこぼしたりする彼女だが、今はその余裕すらなさそうだった。
「これから、ガーランドはどうなっちゃうんすかね……。大公様はいなくなり、街はこんなボロボロで……。あたしたち、本当に帝国をを追い返しただけで"勝った"って言えるんすか?」
ノクティアは答えることができなかった。
アダーラは敗走した。帝国を一時的には退けた。
だが、それを"勝利"と呼ぶには、支払った代価があまりにも大きすぎたのだ。むしろ、偶然に見逃してもらえた、という方が近い――。
「……あたし、お腹空いてるはずなのに、全然喉を通らないっすよ。お嬢様までそんなに凍りついちゃったら、あたし、誰の背中を追いかければいいか分かんないっす……」
シャウルの語尾はどこか自嘲気味で、空元気さえも出せないほどに弱々しかった。
足元で、アルフェッカが小波のような優しい声でささやく。銀色の髪を揺らす小人の精霊もまた、魔力の枯渇でその身体は透き通るように薄くなっていた。
「……ノクティア、シャウル。あまり自分を責めないで。あなたたちは、最善を尽くしたわ。……今はただ、この街と一緒に、少しだけ休むべきだわ」
「分かってるっすよ。でも、休み方も忘れちまったみたいっす……」
シャウルはうつむき、雪に沈む石畳を見つめた。手元に残ったのは、不完全な勝利と、ボロボロになった仲間たちの絆だけだ。
葬儀が終わり、民たちが力なく家路につこうとしていた頃。
ノクティアたちの元に、一人の公国騎士が足早に近づいてきた。その騎士の鎧には、昨夜の激戦の傷が今なお生々しく残っている。
「ノクティア・グラスベル殿とお見受けする。……これを」
騎士は恭しく頭を下げると、一通の封書を差し出した。
厳重に封蝋が施された、重厚な羊皮紙。そこには、公国の皇家の紋章――棘無き薔薇の印が押されていた。
「……リゲル殿下からっすか?」
シャウルが訝しげに眉をひそめ、無意識に手癖で封筒の感触を確かめるような動きをしたが、すぐに思い止まってノクティアに差し出した。
「殿下は現在、宮殿の執務室にて、公国の政務のすべてを独りで背負っておられます。……『必ず、ノクティア殿の手に渡せ。他者に中身を見せてはならぬ』との命にございます」
騎士はそれだけを告げると、再び吹雪の中に消えていった。
ノクティアは、手に残された封書の重みをじっと噛み締めた。
「お嬢様、その手紙……。リゲル様のやつなら、あたしたちをこき使うようなロクなこと書いてなさそうっすけど……でも、読まないわけにはいかないっすよね」
「……ええ。仲間たちのところへ戻ってから、みんなで読みましょう。それに――」
ノクティアは、昨日のことを思い出す。
リゲルはあの地下で、過去に折り合いをつけたはずだ。少なくとも、前に見たときと同じ、自己中心的で唯我独尊な彼ではない。
「――そんなに、悪い話じゃないかもしれないわよ」
降り積もる雪の中、ノクティアは封書を胸に抱き、歩き出した。
その胸の奥では、絶望の冷気をわずかに融かす、新たな火が灯り始めていた。
傷は深い。喪失は大きい。
けれど、物語はまだ、終焉の句点を打たせてはくれないようだった。




