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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
11章「騎士と青年と凍てつく茨」
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140話「暗い夜が明けて」


 地獄のような夜が明け、ガーランドに朝が訪れた。


 だが、その光は公国の民を祝福するものではなかった。厚く垂れ込めた灰色の雲から、死者の魂を弔うような、音のない雪がしんしんと降り積もる。


 "雪の女王"アダーラが残した傷跡は、一夜明けてもなお、アークトゥルスの街を深く侵食していた。


 街のあちこちには、溶け残った不条理な氷柱や、お菓子の家の破片が墓標のように突き立っている。魔力によって凍てつかされた建物は、気温の上昇とともに亀裂を入れ、断末魔のような音を立てて崩落しつつあった。


 宮殿の一室、重苦しい沈黙の中で仲間たちはそれぞれの限界を迎えていた。


 アンタレスとの死闘を制したアルトは、全身の骨が数箇所砕け、聖剣を握った右腕は感覚を失ったまま包帯に巻かれている。隣の寝台では、ギエナが青白い顔で眠りについていた。アルフェッカの懸命な処置によって一命を取り留めたものの、彼女が再び戦場に立つまでには暫くの時間を要するだろう。


 "人類到達点"たるヴェルギウス・クラインもまた、動けないわけではなかったが、その鎧の隙間からは絶えず痛々しい呻きが漏れていた。


 心臓を止め、生物としての枠を超えて戦った代償は、彼の屈強な精神さえも磨り減らしている。彼は椅子に深く腰掛け、無言で自らの剣を見つめていた。



(――あまりにも、今回の戦いでは、多くのものが失われすぎた)



 そう考えつつ、ノクティアは溜息を吐いた。彼女自身も、傷が浅かったわけではない。"姫"でなければ、動くこともできていなかっただろう。


 そんな彼女の眼前、宮殿の中庭では、第十四代大公ディバルド・ボルト=ガーランドの国葬が、しめやかに、そして余りにも冷ややかに執り行われていた。


 ノクティアとシャウルは、黒い喪服に身を包み、参列者の列に加わっていた。周囲から聞こえてくるのは、押し殺したような嗚咽と、降り続く雪が衣服に触れるわずかな音だけだ。


「……お嬢様」


 シャウルが、震える声で隣のノクティアに問いかけた。いつもなら、供え物の菓子をくすねる隙を伺ったり、腹を空かせて愚痴をこぼしたりする彼女だが、今はその余裕すらなさそうだった。


「これから、ガーランドはどうなっちゃうんすかね……。大公様はいなくなり、街はこんなボロボロで……。あたしたち、本当に帝国をを追い返しただけで"勝った"って言えるんすか?」


 ノクティアは答えることができなかった。


 アダーラは敗走した。帝国を一時的には退けた。


 だが、それを"勝利"と呼ぶには、支払った代価があまりにも大きすぎたのだ。むしろ、偶然に見逃してもらえた、という方が近い――。


「……あたし、お腹空いてるはずなのに、全然喉を通らないっすよ。お嬢様までそんなに凍りついちゃったら、あたし、誰の背中を追いかければいいか分かんないっす……」


 シャウルの語尾はどこか自嘲気味で、空元気さえも出せないほどに弱々しかった。


 足元で、アルフェッカが小波のような優しい声でささやく。銀色の髪を揺らす小人の精霊もまた、魔力の枯渇でその身体は透き通るように薄くなっていた。


「……ノクティア、シャウル。あまり自分を責めないで。あなたたちは、最善を尽くしたわ。……今はただ、この街と一緒に、少しだけ休むべきだわ」


「分かってるっすよ。でも、休み方も忘れちまったみたいっす……」


 シャウルはうつむき、雪に沈む石畳を見つめた。手元に残ったのは、不完全な勝利と、ボロボロになった仲間たちの絆だけだ。


 葬儀が終わり、民たちが力なく家路につこうとしていた頃。


 ノクティアたちの元に、一人の公国騎士が足早に近づいてきた。その騎士の鎧には、昨夜の激戦の傷が今なお生々しく残っている。


「ノクティア・グラスベル殿とお見受けする。……これを」


 騎士は恭しく頭を下げると、一通の封書を差し出した。


 厳重に封蝋が施された、重厚な羊皮紙。そこには、公国の皇家の紋章――棘無き薔薇の印が押されていた。


「……リゲル殿下からっすか?」


 シャウルが訝しげに眉をひそめ、無意識に手癖で封筒の感触を確かめるような動きをしたが、すぐに思い止まってノクティアに差し出した。


「殿下は現在、宮殿の執務室にて、公国の政務のすべてを独りで背負っておられます。……『必ず、ノクティア殿の手に渡せ。他者に中身を見せてはならぬ』との命にございます」


 騎士はそれだけを告げると、再び吹雪の中に消えていった。


 ノクティアは、手に残された封書の重みをじっと噛み締めた。


「お嬢様、その手紙……。リゲル様のやつなら、あたしたちをこき使うようなロクなこと書いてなさそうっすけど……でも、読まないわけにはいかないっすよね」


「……ええ。仲間たちのところへ戻ってから、みんなで読みましょう。それに――」


 ノクティアは、昨日のことを思い出す。


 リゲルはあの地下で、過去に折り合いをつけたはずだ。少なくとも、前に見たときと同じ、自己中心的で唯我独尊な彼ではない。


「――そんなに、悪い話じゃないかもしれないわよ」


 降り積もる雪の中、ノクティアは封書を胸に抱き、歩き出した。


 その胸の奥では、絶望の冷気をわずかに融かす、新たな火が灯り始めていた。


 傷は深い。喪失は大きい。


 けれど、物語はまだ、終焉の句点を打たせてはくれないようだった。


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