12話「灰刃、隻眼、空っぽの姫」
翌朝。
私は部屋にあった軽装の鎧を、見よう見まねで身に纏ってみた。
革の匂いと鉄の重みが、私の細い肩に食い込む。不格好なのは自覚していたが、これがあの理不尽な世界へ踏み込むための正装なのだ。
……というか、正直、あっちの普段着の方が、現代人の私は落ち着かない。
パンツスタイルのこちらの方が、動きやすいし、何かと都合がいいという判断だ。
「……とはいえ、やっぱり少し、重みはあるなあ」
鏡の前、私は独り言ちる。
ノクティアの身体は、私の元の身体よりも背が高く、手足も長い。有り体に言うと、スタイルがいい。
だから、様にはなっている。なっているのだが、中身が私だからか、どうにも締まらない。
……本当は、ジャージか何かがあれば、それが一番だ。しかし、流石に貴族令嬢の部屋にそんなものはないだろう。
諦めた私は、一度大きく手を打ち合わせた。そして、長く息を吐く。
「……気にしない、気にしない。……よし!」
覚悟を決め、部屋を出る。朝のグラスベル邸は、澄んだ空気と共に静まり返っていた。
お父様――グラスベル伯に見つかったら何と言おうか、なんてぼんやりと考えつつ、玄関ホールへ降りると、そこには先客がいた。
「あ、お嬢様! 準備できましたか?」
「あら、スピカ、おはよ……」
挨拶も半ば、私は驚きに目を見張った。
そこにいたのは、スピカだった。しかし、昨日のエプロンドレス姿ではない。
銀色の胸当てに、動きやすそうな革の装束。腰には細身の剣を帯びた、そう、まるで物語の中の"騎士"のような、そんな装いだった。
「えへへ、どうですか? 最近、前線には出てませんけど、ちゃーんと鎧は持ってるんですよ!」
「え、ええ、いいわね。似合ってるわ……」
いや、似合いすぎている。
昨日の一件でも、彼女が強いことはわかっていたが、こうしてしっかりと装いを整えれば、その佇まいは正しく、強者のそれだ。
そういえば――昨日、嘲笑った貴族の中に、私が"灰刃"なる人物を従えているとかなんとか、言っていた者がいた気がする。
グラスベル邸の使用人たちや、辺境伯の配下については、まだ今のところ把握できていないが、明確に私の配下と言えるのは、彼女だけだろう。
つまり、彼女が"灰刃"……? あどけない笑顔を見ていると、そんな大袈裟な異名を持っているとは、到底思えない。
「……? お嬢様、どうかしたんですか?」
不思議そうに小首を傾げるスピカ。その拍子に、彼女の腰に提げられた剣の鞘が、カチャリと硬質な音をたてた。
「い、いえ。何でもないわ、それよりも、もう出発の準備はできているの?」
「はい! 屋敷の前に馬車をつけると、旦那様に気付かれるかもしれませんから。少し離れたところに待たせてあります!」
「そう、なら、早く行きましょ。誰かに呼び止められたら、それこそ面倒に――」
私がそこまでを口にしたところで、不意に、玄関の扉が開かれた。
面倒になる、と言おうとした矢先のことだ、思わず顔が強張る。一体誰が、と目を見開いた私の前に――。
「――全く、無茶が過ぎますよ、ノクティア様」
――現れたのは、隻眼の青年。
グラスベル領、国境警備隊、第三小隊隊長。アルト・オレオーン。
「……あら、アルト小隊長、ごきげんよう。今日は随分と早いのね?」
「ええ、無鉄砲なお嬢様方が、後先考えずに突っ走ろうとしてるって聞きまして、少しばかり、心配になったもので」
「む、無鉄砲って……あなた、お嬢様に対して失礼じゃ……!」
食ってかかろうとするスピカを、私は片手で制する。
「ふうん、じゃあ、どうするの? 私のことを、ここで止めてみる?」
「私が止めておけと言ったら、止まってくれるんですか?」
「冗談。あなたを説得して、道を開けてもらうわ。それもダメなら……」
「押し通る、ですか。私が、あなたに負けるとでも?」
残った片目が、私をジロリと睨みつける。
私と同じくらいの若さなのに、その目には昏い輝きが宿っている。一体、どんな修羅場を潜ってくれば、こうなるのだろう。
ならば、今、ここで私にできるのは――この目に、負けないことだけだ。
「逆に聞くわ。あなた、勝ち目があると思っているの?」
私の背後で、スピカが剣の柄に手をかける。
"灰刃"か。なるほど、よく言ったものだ。彼女は単なる剣士ではなく、私の刃。斬るものを選ぶのは、私だ。
一瞬の緊張。背中を、汗が伝うのがわかった。
引き絞られた弓のような時間の中で、私たちは睨み合って――。
「――ふん、わかりました。俺……私の負けですよ、ノクティア様」
――先に折れたのは、アルトの方だった。
彼は降参、とばかりに両手を上げると、眉尻を下げながら、一つ息を吐いた。
「グラスベル伯の邸内で、御息女に手を上げられるわけがないでしょう。ズルいですよ、あなた」
「あら、そう? いいのよ、遠慮はしなくても」
「勘弁してください、それに、私は別にあなたを止めに来たわけじゃない」
そう口にしながら、彼は玄関を出ていく。
スピカを連れて、その後に続く。そうして、外に出てみれば――。
「……これは」
――そこに並んでいたのは、馬に乗った兵士の集団だった。
2、30人というところか。軽装ではあるが、しっかりと武装を整えた彼らは、アルトの姿を認めると、即座に敬礼を返してくる。
アルトの私兵、あるいは彼を慕う若い兵士たちなのだろう。皆、どこか"大人の軍議"から弾かれたような、けれど青い炎を瞳に宿した者たちだった。
そんな様を眺めながら、アルトは不敵な笑みを浮かべた。
「私の部隊の人間です。砦に向かうのに、お二人だけでは心許ないでしょう」
「……どうして? あなたは、私を止めようとしてるんじゃ」
「ええ、無謀な策ならね。ですが、昨日のあなたが話した警戒策は、それなりの妥当性がありましたし。それに――」
彼は、そこで、僅かに顔を綻ばせてから。
「昨夜、あなたが言った『死なせたくないだけ』という言葉。……それを確かめたくなった。ただ、それだけですよ」
そうとだけ、少しだけ恥ずかしそうに口にしてから、彼は先頭に待たせていた馬に飛び乗った。
「ここを出たら、しばらくは止まりません。レグルス砦までは全力で駆け抜ける。……いいですね?」
「ええ。お願い」
私はアルトの馬に歩み寄り、彼を見上げた。
隻眼に宿る意思の炎は、彼なりの"戦う理由"を思わせた。それが私と同じものなのかはわからない。
それでも私たちは、共に歩むことができそうだ。
「――行きましょう。……"ラプンツェルの塔"に、先客が着く前に」
「ふん。……全軍、出撃! 遅れるなよ!」
アルトの号令と共に、蹄の音が石畳を叩く。
朝の冷たい空気を切り裂き、私たちは走り出した。




