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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
11章「騎士と青年と凍てつく茨」
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135話「忍び寄る微睡みの影」

◆◇◆


 異変は、真綿で首を絞めるような、緩やかで残酷な速度で訪れた。


 我があの地下室へ忍び込むたび、タニアが微睡(まどろみ)の中に沈んでいることが目に見えて増えていったのだ。


 かつては我の足音を聞いただけで「あ、リゲル」と顔を上げた彼女が、今では幾度も名を呼び、その冷たい肩を揺らさねば目を覚まさなくなっていた。


 そして、今日も、その細い肩を静かに揺らす。


「……ん、……リゲル? ごめんね、また寝ちゃってたかな」


「……大丈夫だよ。でも、タニア……最近、ずっと眠そうじゃないか。身体がどこか悪いんじゃ……」


 我の不安を打ち消すように、彼女は細い指で自身の瞼を擦り、いつもの儚げな笑みを浮かべた。だが、その瞳に宿る輝きは、日に日に淡く、透き通っていくように見えた。


「……ごめんね。今は、力をたくさん使っているから。帝国が徐々に力をつけている今、アークトゥルスを守る茨の壁を、早く作らなくちゃ……と思うの。たぶんだけどね」


 彼女の視線の先には、地下室の壁を突き破り、地上の空へと向かって伸びていく漆黒の茨があった。


 我らの住むアークトゥルスの街をぐるりと囲み、外敵を拒絶する不条理の防壁。その巨大な防衛機構を維持し、成長させているのは、他でもない彼女の生命力そのものだった。


「……そんなの、やめちゃえよ。タニアが死んじゃったら、僕はどうすればいいんだよ。僕には、君しかいないのに!」


「大丈夫だよ。死んじゃうことはない……と、思うよ。ただ、少しだけ深く、長く眠るだけ」


「でも、眠って起きなくなったら、それは死んじゃったのと一緒だろ!? 僕は、君と……もっと話をしたいんだ。異世界の話も、あの"リクジョウ"の話も……まだ、聞き足りないことばかりなんだ!」


 必死に訴える僕の言葉を、タニアは柔らかな沈黙で包み込んだ。


 茨の成長に合わせるように、彼女の肌は青白さを増していく。それはまさしく、自らの魂を削って街に捧げる、献身という名の自殺に等しかった。



 時は無情に過ぎ去り、我は十五の春を迎えた。



 身体の弱さは相変わらずであったが、地下室に通い続けることだけが我の生命維持の術となっていた。


 そんなある日の夕暮れ。我は父、大公ディバルドに執務室へと呼び出された。


 窓の外には、タニアの努力の結晶である、街を覆い尽くさんばかりの巨大な茨の防壁が、夕日に照らされて黒い影を落としていた。


「……リゲルよ。もう、あの娘の下へ行くのは止めなさい」


 父の第一声は、我の心臓を直接握り潰すような冷徹さを伴っていた。


 秘密にしていたはずの地下の密会。それが既に父に露見していたことに、我は言葉を失った。


「……何故ですか、父上。私は、彼女に……」


「惹かれておるのじゃろう。わかっておるわい。我が子ながら、隠し事が下手くそな奴じゃ」


 父上は窓の外を見つめたまま、しみじみと呟いた。その背中は、かつて"獅子"と恐れられた勇猛さを残しながらも、拭いきれない疲労と苦悩に満ちていた。


「……ワシはのう、リゲル。この道が間違いであったことは、最初からわかっていたはずなのじゃ。わかっていて、それでも歩むと決めた。この公国を、民を、そしてお前を守るためにな」


「……何だ、何を言っている、父上」


「"姫"のことじゃよ。一人の娘に国を背負わせ、その犠牲の上に安寧を築く。酷いとは思う。……しかし、帝国という名の嵐からこの小さな灯火を活かすためには、これ以外に不可欠な手立てがなかったのじゃ」


「――っ! はっきりと言ってくれ! 僕は、僕は……っ!」


 我の叫びに、父はゆっくりと振り返った。その瞳には、かつて見たこともないような深い悲しみと、冷酷な現実を直視する君主の覚悟が混ざり合っていた。



「……アークトゥルスを囲む茨の防壁が、間もなく完成する。……それと同時、恐らくあの子の意識は、二度と目覚めることはなくなるじゃろう」



 目の前が、真っ白に染まった。

 



「……目覚め、ない……?」


「力の使い過ぎでな。聖教国の使徒曰く、魂から湧き出る力が、防壁の維持で精一杯になってしまうそうじゃ。……こうなることがわかっていればどうにかしたものの、"姫"というのはあまりに未知の存在でな。ワシらも、代償がこれほどまでに速いとは……」


 父の言葉が紡ぎ終わられるよりも早く、我の足は動いていた。


「リゲル! 待て、どこへ行く!」


 背後で父が叫ぶ声も、衛兵たちが狼狽える気配も、今の僕には何の意味も持たなかった。


 

(嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! そんなの、聞いていない! 僕に何も言わずに、勝手に消えるなんて許さない!)



 廊下を駆け抜け、重い扉を蹴破り、暗い地下階段を転がるようにして下りていく。

 

(まだ間に合え! まだ、彼女の瞳に僕の姿が映るうちに……!)


 肺が焼けるように痛み、足が(もつ)れる。


 "不必要(ニードレス)"と呼ばれ、何一つ守れなかった僕の人生。何もできなかった、無能の生涯。


 だが、今この瞬間だけは。


 この世界の誰よりも大切な少女を、永遠の孤独から連れ戻さなければならない。


 暗闇を裂いて、我は叫びながら"薔薇の根"へと向かって走り続けた――。


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