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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
11章「騎士と青年と凍てつく茨」
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134話「氷瀑が開くモノ」



 ――そう、我が、胸の奥に澱のように溜まった過去を語り出そうとした、その瞬間だった。


 

 石造りの壁に設えられた松明の炎が、何かに怯えるように怪しく揺らぎ、次の瞬間には、生命の輝きを失ったかのように青白く縮こまった。


 我とノクティアが構えるのは、ほぼ同時だった。感じ取ったのは、全身を痺れさせるほどの殺気。


 そして、廊下の向こうから、肺を直接握り潰されるような、刺すような冷気が津波となって押し寄せてくる。



「みーつけた。こんなところにいたんだね、ふたりとも」



 闇の奥から現れたのは、無垢な微笑みを湛えた絶望の象徴。


 白銀の髪を揺らし、吐息さえも氷点下の結晶に変える少女――アダーラが、悠然と歩み寄ってくる。


「……やれやれ。我らには、思い出話をする暇も与えてくれんのか」


「……そうみたいね。全く、空気の読めない子。嫌になるわ」


 我は痛む胸を強引に無視し、壁に手を突いて立ち上がった。隣ではノクティアが、震える指先で硝子の粒子を練り上げている。


 だが、彼女の肩は激しく上下し、その足取りは危うい。アルフェッカによる応急処置を受けたとはいえ、彼女もまた限界をとうに超えているのだ。


 もう、我々に、ここより後ろは存在しない――物理的にも、体力的にもそうだ。


 そんな、危機的状況の中で、ノクティアは、傷付いた我を背に庇うようにして、一歩前へ歩み出た。


「行かせないわよ、アダーラ。あなたの相手は、この私なんだから!」


 彼女の叫びと共に、数多の硝子の破片が螺旋を描いて射出される。


 対するアダーラは、指先を軽く振るうだけだった。


 ドォォォォォンッ!!


 瞬時に形成された巨大な氷塊が、硝子の散弾を正面から粉砕し、轟音と共に通路を埋め尽くす。


 ノクティアは必死に手をかざし、砕け散る氷の礫をさらなる硝子の防壁で弾き返すが、その防御はあまりに薄氷の如き危うさだった。


 防壁は、まるで砂糖細工のように砕かれる。キラキラと光る破片は全て硝子で、氷は一つとして砕けていなかった。


 分が悪いと悟ったのだろう、周囲に硝子の剣を幾本も展開したノクティアは、一気に距離を詰めようとする。


 しかし、その動きを読んでいたかのように、死角から伸びてきた氷柱が、彼女の手足を貫いた。石畳の上にポタポタと落ちた血痕が即座に凍り、歪な雫となって転がっていく。


 そんな、命がけのやりとりを――我は、見ていることしかできなかった。


(――ああ、何故だ。何故、我はこんなにも無力なのだ)


 目の前で、傷だらけの少女が我を守るために命を削っている。


 それに、何の力を貸すこともできず、ただ、守られているしかない。戦う力を持たぬ我が身を、心の底から呪った。


 公国ガーランドの数千年の歴史において、ただ一人。


 剣を振るえず、魔を払えず、ただ石壁の冷たさに背を預けることしかできぬ、不出来な皇太子。


 "棘を無くして生まれた薔薇"。


 大切な者を守るための手が、我には備わっていなかったのだ。


 ノクティアが命懸けで維持していた均衡は、残酷なほどあっけなく、音を立てて崩壊した。


「――もう、おねえちゃん、しつこいよ。そろそろ、ねむってよ」


 アダーラの瞳が、感情を欠いたサファイアのような冷徹な光を放つ。


 彼女が掌を地面へ叩きつけた瞬間、床から巨大な氷の柱が奔流となって噴き上がった。


「っ、きゃあぁぁぁぁ!!」


 ノクティアの身体が紙屑のように吹き飛ばされ、石壁へと叩きつけられる。


 逃げる隙も与えず、追加の氷柱が彼女の両手足を、そして腹部を避けるようにして壁へと固定した。


 磔のように自由を奪われ、呻き声を漏らすノクティア。


「――っ、グラスベル!!」


 我は叫び、彼女のもとへ駆け寄ろうとした。

 だが、その足は一歩も前に進まなかった。


「おにいちゃん、よそみしてるばあいじゃないよ」


 耳元で、少女の甘い囁きが聞こえた。


 

 刹那。



 接近してきたアダーラの小さな、けれど鉄のように冷たく固い手が、我の首筋を正面から掴んだ。


「が……はっ……!!」


 首から全身へと、血流を止めるほどの冷気が伝播していく。


 喉の奥が凍りつき、悲鳴を上げることさえ許されない。


 指先から感覚が消え、視界が白く、白く濁っていく。


 迫り来る、絶対的な末期の気配。

 

 薄れゆく意識の中で、我の記憶は再び、あの地下室の闇へと吸い込まれていった。


 首を絞めるアダーラの冷たさが、皮肉にも、あの頃のタニアとの日々を鮮明に呼び覚ます。


(ああ……そういえば、あの日も、こうして冷たい空気に包まれていたな)


 タニアとの幸せな、微睡みのような日々。


 それが、不条理という名の冬の嵐に飲み込まれ、粉々に砕け散った"あの日"の情景。


 我の物語は、あそこで一度、死んでいたのだ。


 我の身体が氷の彫像へと変じようとする直前。

 記憶の扉が、音を立てて開いた。


 ――そこは、雪が全てを塗り潰そうとしていた、十年前の祭壇。


 我の目の前で、最愛の彼女を永遠の眠りへと落ちていった――最悪の景色が、フラッシュバックする。



◆◇◆

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