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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
11章「騎士と青年と凍てつく茨」
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124話「歪み、狂気、ベルセルク」

 鈍い衝撃と共に、アルトの身体が石畳の上を無様に転がった。


 アンタレスの放った蹴撃。肺の空気が強制的に押し出され、視界がチカチカと明滅する。勝機を確信したアンタレスが、どろりとした優越感を瞳に湛え、巨大な鋏を高く振り上げた。


「これで終わりだ、雑魚が――!」


 勝利を謳歌する絶叫。死の刃が、無防備なアルトの頸めがけて振り下ろされる――。


 その刹那だった。



「――今だッ!」



 アルトの右目、硝子の瞳がかつてないほどの銀光を放った。


 同時に、これまで刀身をなぞる程度の淡い輝きしか見せていなかった聖剣"アルシャイン"が、爆発的な純白の閃光を噴き上げる。



 ――閃光が、奔った。



「――あ?」


 アンタレスが間抜けな声を漏らした。


 視界の中、何かが宙を舞っている。それは見覚えのある、赤ずきんの袖。



 そして、まだ巨大な鋏を握りしめたままの――自分自身の、右腕。



 断面から鮮血が噴き出すより早く、起き上がりざまのアルトの脚が、アンタレスの顔面を真っ向から捉える。


「ぐ、ふっ……!?」


 今度はアンタレスが仰向けに叩きつけられる番だった。


 転がる右腕。噴き出す血。


 呻き声を上げながら体勢を立て直そうとする"姫"を見下ろし、アルトは氷のように冷徹な声で言い放った。


「……よかったよ。お前が、救いようのない単細胞で」


「……っ、が……あ、アンタ。……何を、言って……」


 アンタレスは困惑していた。


 アルシャインの光。先ほどまでは、自分の魔力をわずかに中和する程度の"拒絶"でしかなかったはずだ。腕を切り飛ばすほどの出力など、なかったはずだと。


「お前は"狩人"である自分に酔っていた。自分は頂点捕食者で、他はすべて獲物だと。だからこそ、最後にはその肉体こそが頼みだと信じ込み、獲物の断末魔を味わえる距離での"肉弾戦"を選んだ」


 アルトは聖剣を強く握り直す。


 彼はあえて、()()()()()()()()()()()。刀身を伸ばす程度の"光の刃"として見せることで、アンタレスにアルシャインを過小評価させたのだ。


 それに気が付いたアンタレスの表情が、怒りと屈辱に歪んでいく。


「――テメェ、巫山戯んなよ……! アタシを、図りやがったのか……!?」


「賭けだった。お前がもし、その猟銃で遠距離から引き撃ちに徹していれば、俺の目は限界を迎え、詰んでいただろう。……だが、お前は馬鹿だった。その傲慢さが、お前を俺の間合いに引き寄せたんだ」



『馬鹿で助かった』



 その一言は、アンタレスの根源を支えていたプライドを、無残なまでになぶり殺した。


 自分は最強の"姫"だ。どろけてしまった、凶悪な赤ずきんだ。誰からも奪われない、奪う側の頂点だ。


 その自負を、"ただの人間"に、それも"馬鹿"という言葉一つで一蹴された。


 

 ――プチリ、と。


 

 彼女の中で、何かが完全に壊れる音がした。



「……ふ、ざ、けんなって言ってんだよおおおおおッ! ケツの青いクソガキがぁああああああああああッ!」



 絶叫と共に、アンタレスの残された左腕が、ミシミシと異音を立てて膨張し始めた。


 アルトが直感的な危機感に肌を粟立てたのと、彼女が弾丸のごとき速度で動き出したのは、ほぼ同時だった。


 ――ドォォォォォンッ!!


「が……はっ……!」


 回避が間に合わない。


 硝子の瞳で軌道は視えていた。だが、身体が追いつかない。


 アルトは咄嗟にアルシャインを盾に防御したが、受け止めきれなかった衝撃が肋骨を容赦なく叩き折る。バキバキと嫌な音が、自身の肺の内側から響いた。


 吹き飛ばされ、どうにか受け身を取って立ち上がったアルトの前に、"それ"はいた。


 もはや、少女の面影などどこにもない。


 不均衡に膨れ上がった肉体。左腕は人ならざる狼の鉤爪へと変じ、斬り落とされた右腕の断面からは夥しい血が流れ続けている。だが、彼女は痛みを感じている様子さえなかった。


 そして、赤い頭巾の下。


 彼女の皮膚はドロドロと溶け出し、煮えたぎるシロップのような、あるいは腐った肉のような異形を露わにしていた。


 ――歪み(ディストーション)は、狂気(バーサーク)に堕ちる。


「――グオオオオオオオオ! 死ね、死ね、死ねッ!!」


 獣の咆哮。


 正気を失い、ただ"殺意"という熱量だけで駆動するアンタレスの猛攻。それは、アルトの硝子の瞳が持つ処理限界を、暴力的なスペックの差で塗り潰していく。


(……っ、見えていても、体が追いつかない……!)


 銀の視界の中で、世界が細切れに、けれど残酷な速度で流れていく。


 アルシャインの光でどうにか直撃を逸らしてはいるものの、衝撃波だけで全身に打撲と擦過傷が刻まれていく。

 

 限界だった。


 一分という猶予は、とうに過ぎ去ろうとしている。


 身体は悲鳴を上げ、視界は激痛で白濁し始めている。

 

 それでも、アルトは剣を離さなかった。


 眼前で輝く、網膜を焼くほどの。そして、その強さを加速度的に増していく聖剣の光を、握り締める。


 そして、何より、父から受け継ぎ、自分の意志で研ぎ澄ませた"騎士"としての誇りを、その胸に強く、強く感じながら。


 "人間"の意地と、"怪物"の狂気。


 アークトゥルスの夜を焦がす激闘は、いよいよ終焉の刻を迎えようとしていた。


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