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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
10章「お菓子と瞳と棘無しの記憶」
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120話「最硬硬度」

 白銀の死神、アダーラ・シリュウ=ギルダリアは、音もなく廊下を滑っていた。


 彼女が通り過ぎた跡には、まるで時間が止まったかのように美しく、そして残酷に凍りついた騎士たちの成れの果てが、点々とオブジェのように並んでいる。


 廊下の壁には、彼らの最期の吐息が白く結晶化したまま貼り付き、アークトゥルスの心臓部は一瞬にして巨大な冷凍室へと変貌を遂げていた。


 ふと、アダーラは立ち止まり、不思議そうに首を傾げた。明らかに、先程までよりも接敵する回数が減っていたからだ。


(……にげられちゃったかな。やっぱりあそこで、ねむらせなきゃだめだった)


 その幼い仕草や、純粋で無垢な情緒とは裏腹に、彼女は帝国フォルナクスにおいても有数の戦闘経験を持つ。具体的には、あの"マッチ売りの少女"に次ぐ実戦の場を潜り抜けてきた、生粋の"兵器"としての側面を持っていた。


 彼女にとって、殺戮は"おしごと"であり、効率こそが正義だ。そこには敵への憎しみも、奪う命への慈悲も存在しない。ただ、命じられた盤面を白く塗り潰すという純粋な機能だけが、彼女を突き動かしている。


 故に、彼女は宮殿内の魔力の密度から、現状を正確に把握していた。もはやこの宮殿に、まともに動ける人間はほとんど残っていない。騎士たちはリゲルの指示に従って組織的に撤退を開始しており、残っているのは抵抗の意志を捨てきれない"詰み"の駒だけ。 


(おいしゃさんのへやも、からっぽ。"たいこう"っていうひとは、もうねむらせた。あとは――)


 彼女の透明な瞳が、足元……床のさらに下、深く冷たい暗渠を射抜く。


 宮殿地下に眠る、巨大で不気味な魔力の脈動。今はリゲルたちの手によって深い休眠状態にあるが、それが目覚めれば、決して小さくはない脅威となるはずだ。


 "いばら姫"。それは、彼女がこの任務に駆り出された理由の一つでもある。圧倒的な魔力を持つ"いばら姫"だが、魔法の性質上、彼女が操る"絶対停止"の冷気には抗えない。今のうちにその根源を凍結し、再起不能に陥れるのが帝国の戦略だ。


(――つぎは、あのいばらの、ねっこかな)


 優先順位を書き換える。そうして地下へ向かおうとした、その時。


 彼女の鋭敏な感覚が、一箇所だけ不自然に膨れ上がった"熱源"を捉えた。


(……ごはんつくるところだ。だれかが、ひをたいてる。……むだなのに。ごくろうさま)


 それは憐憫ですらなかった。


 雪の女王の冷気は、生半可な炎など意にも介さず、立ち昇る煙さえ瞬時に氷塊へと変える。


 脅威にすらならないが――とはいえ、そこに火を扱う何者かが潜んでいることは明らかだ。逃げ遅れた料理人か、あるいは悪足掻きを企むネズミか。


 彼女は迷うことなく、ある種機械的な足取りで、その"熱"の発生源へと歩を進めた。


 厨房の重厚な扉を、アダーラは一切の躊躇なく明け放った。


 室内に満ちていた、焦げ付くような熱気が一気に冷気と混ざり合い、真っ白な霧が発生する。その視界不良の向こう側、最初に目に飛び込んできたのは、煌々と燃える暖炉の脇に立ち、不敵にこちらを睨みつけるリゲルの姿だった。


「……おい。無作法だな。帝国では、扉のノックの仕方も教えてくれんのか?」


 リゲルは凍りついた顔半分をそのままに、冷徹な君主としての威厳を保ったまま言い放った。その肌は熱に煽られ、赤く火照っている。極低温に晒された直後の熱。それは肉体を内側から破壊するほどの負荷を彼に強いているはずだが、リゲルの瞳にあるのは、ただ真っ直ぐな挑発だけだった。


「……そんなの、いらないでしょ。だってあなた、ここで、ずっとねむるんだから」


 アダーラが掌を向けた。


 絶対零度の魔力が指先に凝縮され、リゲルの心臓を一瞬で停止させる死の予兆が、ダイヤモンドダストとなって室内を舞う。


 だが、その瞬間。

 アダーラの中に、微かな違和感が走る。


 リゲルと共に逃げていたはずの、あの「硝子の少女(ノクティア)」の姿が、どこにもない。


(……どこに、いったの? おねえちゃん――)


 思考がわずかに逸れた、その刹那。



「――隙を見せたわね、アダーラ!!」



 厨房の隅、厚手の遮光カーテンを力任せに撥ね除けて、ノクティアが躍り出た。


 その手には、暖炉の業火によって限界まで加熱され、内側に凄まじい"圧"を秘めて虹色めいた輝きを放つ結晶が握られていた。


「なっ……!?」


 不意を突かれたアダーラは、反射的に防御姿勢を取る。


 しかし、ノクティアの唇は、勝利を確信したように歪んでいた。


「――"雪の女王"に凍てつかされた少年の心を溶かしたのは、魔法の道具でも、便利な呪文でもなかった。……それは、一人の少女が流した熱い"涙"だったのよ!」


 ノクティアが掲げた指先に、一滴の、尾を引いた雫型の硝子が輝く。


 それこそが、彼女がリゲルに暖炉の火を最大まで煽らせ、自らの硝子を溶融させ、極寒の冷水へと投じることで作り上げた、対・女王用の決戦兵器。



「喰らいなさい! カイの心を溶かしたゲルダの涙――"オランダ(プリンス・ルパート)の涙(・ティアーズ)"よ!」



 ノクティアが全魔力を籠めて、デコピンの要領でその雫を弾き飛ばした。

 

 瞬間、空気が爆ぜた。


 雫は容易く音速の壁を突破し、衝撃波を撒き散らしながら一直線にアダーラへと肉薄する。


 オランダの涙。


 それは、溶融したガラスを冷水に落として急速冷却することで、表面に凄まじい圧縮応力が生じた強化ガラスの雫だ。


 その外殻の強度は、数トンのプレス機による圧力にさえ耐え、ハンマーの打撃や至近距離からの銃弾さえも無傷で跳ね返す"物理的な不条理"。


 アダーラが咄嗟に展開した、幾重にも重なる最高硬度の氷壁。女王の魔力が生み出す、並の魔法では傷一つつけられない絶対の盾――それすら、この弾丸にとってはただの紙細工に過ぎない。


 ――ズ、ドォォォォォォン!!


 厨房全体を揺らす凄まじい破裂音が響き渡る。


 一点に全運動エネルギーを集中させた"オランダの涙"の圧倒的な貫通力は、アダーラの氷壁を真っ向から粉砕し、その破片をキラキラとした塵に変えながら突き進んだ。


 砕け散る氷の嵐の中で、虹色の輝きを纏った銀色の閃光が、真っ直ぐにアダーラの胸元へと突き刺さる――。


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