10話「作戦会議とラプンツェル」
グラスベル邸の図書室には、カビと古紙の匂いが沈殿していた。
窓の外はすっかり暗くなり、新品を用意したはずの燭台の蝋燭も、もう随分と短くなってしまっていた。
そんな中、机の上に積まれた書物の山。砦の設計図や、過去の戦術記録――その中に埋もれつつ、私たちはうめき声を上げていた。
「……はあ。これで説明は十度目ですよ、ノクティア様」
正面に座るアルトが、深い溜息をついて天井を仰ぐ。
無理やり連れてこられた彼は、最初は不満を露わにしていたが、数時間も拘束された今では、すっかり呆れと疲労の色を滲ませていた。
「いい加減、理解してください。父上――オレオーン隊長の布陣に、隙などないということを」
彼はペンを執り、羊皮紙の上の"レグルス砦"をトントンと叩く。
「レグルス砦は、三方を断崖に囲まれた天然の要害です。唯一の侵入経路である正門には、重厚な多重城壁と、我が軍の精鋭部隊が配置されています」
「それはわかってるわ。でも、敵は"炉"を持つ帝国よ? 正面から大砲で撃ち抜かれたら……」
「無論、耐えられます」
即答だった。
「帝国の兵装は強力ですが、彼らには致命的な弱点がある。……"兵力不足"です。先の大戦での敗北が尾を引いており、彼らの人的資源は枯渇している」
「だから、機械に頼っていると?」
「ええ。父上の狙いはそこです。堅牢な砦で敵の攻撃を受け止め、弾薬と燃料を浪費させる。そして相手が息切れしたところを、温存していたこちらの数で押し潰す。……極めて合理的で、盤石な作戦だ」
ぐうの音も出ない正論だった。
近代兵器が絡まなければ、オレオーン隊長の策は王道にして最強だ。
相手がただの軍隊なら、間違いなくこれで勝てるだろう。そして、これだけ完璧な策を考えるのであれば、相手の兵器の破壊力も織り込み済みに違いない。
私は唇を噛む。
反論できない。具体的な"穴"が見つからない限り、彼らの自信を崩すことは不可能なのだ。
(……ダメなの? やっぱり、素人の私が口を出せる余地なんて……)
諦めの色が、心に滲み始めた時だった。
「へえ……。この地図のここ、なんだかシワシワで、お婆さんの首筋みたいですねぇ」
それまで黙って横から地図を眺めていたスピカが、間の抜けた感想を漏らした。
彼女が指差しているのは、砦の裏手――等高線が密に描かれた、断崖絶壁のエリアだ。
「そこは裏手の崖ですよ。馬も人も通れない、垂直に近い岩肌です」
アルトが冷淡に答える。
「ふうん。じゃあ、ここには兵隊さんはいないんですか?」
「置く必要がありませんからね。鳥か、猿でもない限り、ここを登り切ることなど不可能です」
「そうですかぁ。なんだか、入り口のない高い塔みたいで、寂しい場所ですね」
――入り口のない、高い塔。
スピカのその言葉が、私の脳内でカチリと音を立てて噛み合った。
入り口のない塔。
誰も入れないと過信し、魔女が油断していた場所。
けれど、そこには侵入者が現れた。どうやって?
「――『ラプンツェル』」
髪を垂らせば、人は登れる。
髪がなくとも――ロープや、杭を使えば?
私は慌てて、気象情報の書類と、砦周辺の植生記録を引っ張り出す。
この崖の上には、頑丈な古木が自生している。そして今夜は、新月で闇が深い。
「……ここよ」
私は地図上の、裏手の崖を指差した。
「敵は、ここから来るわ」
「は?」
アルトが素っ頓狂な声を上げる。
「何を言い出すかと思えば……言ったでしょう、そこは断崖絶壁だと。重装備の帝国兵が登れるわけがない」
「ええ、"普通の"兵士ならね。でも、身軽な特殊工作員ならどう? ロープを掛けて、夜闇に乗じて登ってきたら?」
「あり得ません」
アルトは鼻で笑い、首を横に振った。
「帝国の戦術は、常に"面制圧"です。最新兵器の火力に物を言わせ、正面から堂々と焼き払うのが彼らのやり方だ。コソコソと裏口から入るような、小細工を使ったという記録は過去に一度もない」
「過去にないから、今回もないと言い切れるの?」
「言い切れます。奴らは自らの技術力に絶対の自信を持っている。わざわざ危険な崖を選ぶメリットがない」
私はそこで、実感した。これが、経験の弊害というやつだ。
長く戦ってきたからこそ、彼らは敵の行動パターンを"常識"として固定化してしまっている。
狼はいつも正面から来る。だから裏口の鍵はかけなくていい。
そんな思い込みが、致命的な死角を生むのだ。
私はアルトを真っ直ぐに見据えた。
「……アルト。貴方たちが戦っているのは、教科書通りの相手じゃないわ」
「ノクティア様、ですが……」
「童話はね、IFの連続なのよ」
もし、狼が煙突から入ってきたら?
もし、毒りんごが効かなかったら?
もし、断崖絶壁を登る手段を、敵が開発していたら?
「『あり得ない』で思考を止めた時点で、貴方たちの負けよ。……賭けてもいい。今夜、この"ラプンツェルの塔"に、招かれざる王子様が登ってくるわ」
「……それは」
アルトは少しの間、考え込むようにして羊皮紙に目を落とした。
彼も、捨てきれていないのだろう。難攻不落の"レグルス砦"に、相手が何の策もなく突っ込んでくるはずはないと、総理解しているのだ。
だから、私の言葉を、否定しきれない。
そうして思案する彼が答えを出すのに、おおよそ数分を要した。短くなりきった蝋燭が、怪しく揺れ始めた頃、彼はどこか、諦めるように。
「……まあ、オレオーン隊長に進言する価値は、ありそうですね」
私は心中でガッツポーズをした。
これならば、私の有用性を示すことができる。あの、怠慢貴族どもに一泡吹かせてやれそうだ。
「お嬢様、やりましたね!」
嬉しそうに声をかけてくるスピカに、私は不敵な笑みを返した。このくらいが、威厳が保てて丁度いい。
後は、これをオレオーン隊長に伝えに行くだけだ――。




