118話「本当の強さ」
執務室を埋め尽くす、白銀の軍勢。
アダーラが指先一つで生み出した氷の兵士たちは、感情を持たぬ機械のような正確さで、一斉に槍を突き出してきた。
「させない……っ!」
私は咄嗟に、これまでの戦いでも最大の出力を込めて"硝子の盾"を幾重にも展開する。透明な障壁が、リゲルと私を囲むように城壁を成した。
だが、その防壁は、強靭な兵士たちの槍先が触れた瞬間――。
――パリン、と。
まるで、張ったばかりの薄氷のように、あっけなく粉砕された。
「……っ! なら、今度は……これならどうよ!」
盾が通じないのならと、今度は攻撃に転じる。無数の"硝子の槍"を空間に生成し、弾丸のような速度で氷の兵士たちへ射出した。命中すれば、鉄の鎧さえ貫くはずの鋭利な突起。
しかし。
「うそ……っ」
氷の兵士たちは、盾を構えることさえしなかった。飛来した硝子の槍を、剥き出しの腕や胸で受け止め、文字通り"弾き飛ばして"しまったのだ。
私の魔法は、彼女が作り出した"不条理"に傷一つつけることができない。
「なに、ぼーっとしてるの、おねえちゃん。あきらめちゃった?」
アダーラのあどけない声。
一際強い冷気が彼女の掌から溢れ出し、室内の酸素さえもが凍りつきそうな圧力が私たちを襲おうとした、その時だった。
「……っ、おい! ぼさっとするな!」
激しい衝撃と共に、私の手首が強い力で掴まれた。
反射的に魔法を練ろうとした私の手を強引に引き寄せたのは、顔の半分を凍らせたはずのリゲルだった。
「ちょっと、何するのよ! まだ戦える、私は……!」
「たわけめ! わからんか、今の貴様では、奴には逆立ちしても及ばんわ!」
「そっちのひとはわかってるね。……おとなしく、ねむって」
アダーラがふわりと宙に浮き、凍てつく死の抱擁を広げる。
その寸前、リゲルは私の手を引いて、粉砕された執務室の扉から廊下へと飛び出した。
「なっ……どこに行くのよ! あいつを食い止めなきゃ、街が、宮殿が……!」
「見下げた阿呆だな! 今の貴様に、奴を止められるものか! ガーランドの騎士は、勝てぬ戦で無駄に命は散らさん。立て直すぞ!」
リゲルの怒声に、私は返す言葉を失った。
悔しさと無力感が胸を締め付ける。けれど、彼の言う通りだ。今の私の"硝子"では、アダーラの"氷"に対して、砂の城を差し出しているのと変わらない。
暗い廊下を走りながら、焦りが渦巻く。
このままでは、アダーラはリゲルを追って宮殿中を凍らせていく。医務室にいるギエナや、彼に付き添っているシャウルにまで、あの無慈悲な冷気が及んでしまうかもしれない。
(……どうすればいい。どうすれば、あんな化け物に打ち勝てるのよ……!)
思考の泥沼に沈みかけていた私の髪を、グイ、と引っ張る小さな感覚があった。
「駄目よ、ノクティア。……忘れてない? あなたの武器が、一体何なのか」
肩の上で、賢者アルフェッカが凛とした声で私を叱咤した。
「――私の、武器?」
「そう。あなたの本領は、その稚拙な"硝子の魔法"そのものじゃないでしょ?」
アルフェッカの言葉が、霧の中の灯台のように私の意識を射抜いた。
魔法の出力。物理的な破壊力。それでは、私は彼女に及ばない。
そもそも、私の魔法の力は、そこまで強くはないのだ。アンタレスには、スピカやオレオーンたちの最期の力を借りて、ギリギリ相性勝ち。アルゴラは、ミラクと共闘しなければ倒せなかった。
真っ向からの力押しは、私の得意とするところではない。ならば――。
「――私の武器は、"童話"を読み解く力……!」
そう、それだけは、誰にも負けるつもりがない。
魔法の力比べで、戦ってはいけないのだ。対"姫"戦闘は、如何にこちらの法則に引き込むかが肝要なのだろう。
「ようやく気付いたのね。魔法の力は、"物語"から逸脱し、歪むほどに強くなる。……けれど、その歪みに飲まれず、攻略の糸口を見つけるためには、力以外の"強さ"が必要なのよ」
アルフェッカの声は、走り続ける私の耳元で冷徹に、けれど確かな信頼を込めて続けられた。
「ギエナやシャウルのことは安心なさい。二人とも無事だし、今は隠れさせているわ。ギエナを治療する際に流した、私の"髪"の一部――その存在を辿れば、いつでも位置はわかる。アダーラの探知からも外れているはずよ」
「アルフェッカ……助かるわ」
「礼は後。今は、あの"雪の女王"の正体を解剖なさい。あなたは、気兼ねなく思い切りやりなさいな」
冷たい廊下を走り抜けながら、私の視界は急速に"物語の構造"を捉え始めていた。
アダーラ。
凍てつく魂を上書きされた少女。
(氷、雪、冷気。それを操るとなると、対象の童話は限られてくる……)
リゲルの手に引かれながら、私は呼吸を整え、思考を研ぎ澄ませた。
(……もし、彼女の、あの起伏に乏しい表情が、何か別の要因によるものだとしたら……?)
アークトゥルスの夜に舞う死の結晶を、今度は"魔法"としてではなく、"記号"として読み解いていく。
果たして、私の硝子で、あの絶対零度の絶望に打ち勝つことができるのか――。




