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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
10章「お菓子と瞳と棘無しの記憶」
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110話「立志の騎士」

◆◇◆


 父に対してどう思うか?


 そう問われれば、俺の正直な感想は、いつだって『わからない』だった。


 父――タラゼド・オレオーンは、俺にとってあまりにも遠く、巨大な存在だった。過去の大戦で武勲を挙げた、グラスベル領最強の"不落の獅子"。


 俺が物心ついた時から、目の前には常に父の背中があった。分厚い肩、無数の傷跡、そして誰もが跪くほどの威厳。


 俺はどこまで行っても"オレオーン隊長の息子"でしかなかった。


 周囲の期待も、落胆も、全ては父という鏡を通した俺への評価だ。それを悲しいとも思わなかったし、疎ましいとも思わなかった。ただ、その背中を追うことこそが正解だと信じ、疑う余地など微塵もなかったから。



 ――けれど、あの夜。



 不条理な熱に浮かされたレグルス砦で、最強を誇った父さえもが形を失い、溶け落ちてしまったあの瞬間に、俺は残酷な真実を突きつけられた。


 この世に絶対などない。

 変わらぬものも、折れぬ剣も、存在しない。

 

 父という絶対の指標を失った俺の足元は、あの日、確かに崩壊したのだ――。



◆◇◆


◆◇◆


 アークトゥルスの石畳が、夜風を切る音と共に後ろへと流れていく。


 夜風の冷たさも、混乱による耳障りな喧騒も、何もかもが遠い。自分とそれ以外の境界が、いやにはっきりとしていた。


 街の中央に鎮座するおぞましい"お菓子の家"からは、空気を震わせるような剣戟の音が響いていた。


 恐らく、囚われたヴェルギウス卿も、あの不可解な檻の中で戦っているのだろう。以前は危ないところを救ってもらったが、今回ばかりは、それも期待できない。


 俺は、道中の宿で回収した"包み"を、腕が痛くなるほど強く握り締めた。


(――怖いのか?)


 自問自答する声が脳裏に響く。


 ああ、怖い。足は震え、心臓は早鐘を打っている。今すぐ逃げ出して、安全な場所で耳を塞ぎたいという弱音が、胃の底からせり上がってくる。


 けれど、もうこれ以上負けるわけにはいかなかった。


 グラスベル領で、言い訳を重ねるだけの日々。

 レグルス砦で何もできずに立ち尽くした夜。

 フォーマルハウトで打ちのめされた屈辱。


 俺が選んだ"強さ"が正しいのか。その答え合わせをしなければならない時が、すぐそこまでやってきている。


(――理由は、いくらでもある)


 父の仇を討つため。

 アークトゥルスの街を守るため。


 そして何より、ノクティア様を、お嬢様を悲しませないため。


 けれど。それよりも大きな、俺自身の根源(ルーツ)に根ざした衝動が、足を動かしていた。


(……俺が、何のために戦うのか。それは――)


 思考の端が、正門に到着した瞬間に切り替わる。


 先ほどまで遠く響いていた爆音は止み、そこには異様なほどの静謐が立ち込めていた。


 視界に飛び込んできたのは、無惨な"死体たちの舞踏会場(ダンスホール)"だった。


 勇猛を誇ったガーランドの騎士たちが、原形を留めぬほど溶かされ、藻掻く姿。体の一部を奪われ、沈黙する者。頭の半分を抉り取られ、虚無を見つめる者。


 その地獄の中心に、一際鮮やかな"紅"が佇んでいた。



「……アタシさあ、思うんだわ。人にはそれぞれ、見合った舞台があるんじゃねえかってさ――」



 しゃがれた声で、真紅の影が呟く。


 隆々とした筋骨を剥き出しにし、だらりと脱力した両手に、それぞれ巨大な鋏と二連式のショットガン。


 そして、何よりも目を引く――不気味な獣の瞳が覗く"赤ずきん"。

 

 それは、父を殺し、俺の日常を焼き尽くした、不条理の化身。


 アンタレス・ヴォルフ=レッドキャップ。


「――なぁんで、あの巫山戯(ふざけ)た"シンデレラ"じゃなくて、アンタが来てんだっつーの!」


 アンタレスの咆哮が、衝撃波となって俺の全身を叩く。


 レグルス砦を一人で落とし、"不落の獅子"も、"灰刃"も、半固形の流体に変えてしまった、恐るべき敵。


 だが、不思議と恐怖は消えていた。俺は驚くほど静かな心境で、一歩前へと踏み出した。


「何でって、決まっているでしょう」


 悠々と、手にしていた包みを解く。


 現れたのは、獅子の意匠があしらわれた一振りの剣だった。


 伝説の宝剣のような輝きはない。長年の手入れによって黒ずみ、刃毀れを研ぎ直した跡が幾重にも重なる、無骨なまでの"兵士の剣"。

 

 かつて、"不落の獅子"と呼ばれた父が握っていた、そして、その刃に湛える輝きを恐れ、手放した業物。


 それを強く握り締め、言い放つ。


「お前の相手は、私で十分だからだ。そうだろう? 狂った"赤ずきん"」


 眼前のアンタレスから、僅かに憤りの気配がした。けれど、構わず、俺は剣を構えた。


 これまでのお嬢様の従者としての"私"ではない。自分自身の足で立ち、自分の意志で剣を振るう、一人の男として。


(――俺は、俺のために、今日ここでお前を斬る)



「ヴァルゴ王国グラスベル領、国境警備隊第三小隊隊長、アルト・オレオーン、参る!」



「なあに、一丁前に名乗ってんのさ! ――ドロドロに溶けて、後悔しなぁ!」



 赤い閃光が爆ぜた。


 圧倒的な質量と殺意。物語の暴力がアルトに襲いかかる。

 

 青年から騎士へ。

 硝子の瞳が見据えるのは、襲いかかる赤い不条理だった――。


◆◇◆




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