108話「開戦、ガーランド防衛戦」-後
アークトゥルスの街は、遠目に見てもわかるほどの混乱に包まれていた。
正門からは、帝国の兵器による爆音が鳴り響き、突如として現れた"お菓子の家"は、街並みを踏み潰している。
そして、応手となるはずの"到達点"も、そこに囚われてしまった。
唯一の救いは、フォーマルハウトの時とは違い、帝国の別働隊による破壊活動などは行われていないことだろうか。また、騎士たちの練度の高さもあり、既に現場では、迅速な避難活動が始まっているようだった。
――けれど、これも正門が保っている間の話だ。
門が陥落すれば、アークトゥルスの頑強な城壁は、そのまま人々を閉じ込める檻になる。
いつぞや、『三匹の子豚』のレンガの家をを例えに出したことがあるが――そういえば、あの時も、不快な赤色の影はチラついていた。
「……っ、とにかく今は、正門を守らなきゃ――!」
私は窓から飛び出そうとした。ヴェルギウスのように跳んで行くのは無理でも、魔法を使えば、私だって最短距離で向かうことができる。
そう、考え、踏み切ろうとした刹那――。
「――お嬢様、お待ちください」
その肩を強い力で掴まれ、引き止められた。
「アルト! なんで止めるの!? 早く行かなきゃ、ヴェルギウス卿が捕まって、アンタレスが街を焼き尽くしちゃうわ!」
「お嬢様、落ち着いて、周囲を見てください」
アルトの声は、驚くほど冷静だった。
彼は真っ直ぐに私を見つめ、諭すように言葉を繋ぐ。
「あいつらが本当に狙ってくるとすれば、どこだと思いますか?」
「……え?」
「正門で暴れ、あんなに目立つ"家"を街中に顕現し――あまりにも、動きが派手過ぎます」
「……そうね、それは、確かに」
「なら、考えましょう。ヴェルギウス殿を孤立させ、戦力を分断した今、奴らの"本命"は――」
アルトの視線の先。私はハッとして、自分の足元を見つめた。
今のアークトゥルス、そして、ガーランドに弱所と呼べる場所があるとすれば、もう、それは一つしかない。
「……ここ、黒薔薇宮、ってこと?」
「そうです。ここには、指揮官であるリゲル様も、病床の陛下も、そして抵抗できない"いばら姫"もいる。ここを落とされれば、ガーランドという国家は実質的に終わる」
それに、と。アルトは瞳に、鋭い熱を宿しつつ。
「ここには、傷ついた私たちの仲間……ギエナ隊長とシャウルもいます。……お嬢様。あなたは、ここを守ってください。宮殿の内側から、この国の"心臓"を」
「……っ。でも、それじゃあ正門のアンタレスはどうするの? ヴェルギウス卿がいない今、誰があの怪物を止めるっていうの――?」
いくらガーランドの騎士の練度が高かろうと、"溶解"の前には無意味だ。全員押し並べて、等しく一握の泥にされる。
脳裏に浮かぶのは、レグルス砦の惨状。そして、救うことができなかった、灰色の記憶だ。
また、多くのものが失われる。そして、私の手は、あと僅かのところで、また届かない――。
「……安心してください、お嬢様」
私の問いに、アルトは一歩、一歩と私から離れた。
そうして、私と向かい合う彼の表情は、今までに見たことがないものだった。
「……それは私、いや――」
その言葉と共に、彼の中から"従者"としての影が消える。
レグルス砦では、手が届かなかった。
フォーマルハウトでは、打ちのめされた。
幾多の敗北を重ね、挫折を経て、彼は立ち上がる。一人の騎士として、戦士として。全ての因縁を斬り払う、意志の剣と共に。
「――俺が、行きます。獅子の仇を、討たねばならないもので」
睨みつけるのは、未だ爆音が鳴り止まぬ正門。
そこから漂ってくる、邪悪で熱を帯びた、歪んだ物語の気配。
かつての彼なら、僅かながらも臆していたであろう、その光景を前に、今のアルトに微塵の揺らぎもなかった。
「アルト……」
「大丈夫です。……お嬢様。必ず、生きてまた会いましょう」
アルトはそう言い残すと、夜の闇へと身を躍らせた。
その背中に、私は、手を伸ばすことができなかった。ただ、小さくなっていくのを、拳を握りしめて見送った。
「……いいの? あの子、もしかしたら死ぬかもしれないわよ」
アルフェッカが、静かに問い掛ける。
いくら"種"の力を使えるようになったとしても、"姫"には及ばないだろう。命の獲り合いともなれば、無事では済むまい。
まして、相手はあの凶悪な"赤ずきん"だ。不安がないと言えば嘘になる。
けれど、今の彼の後ろ姿は……かつて私の前を歩いていた、どの騎士よりも頼もしく、眩しく見えた。
「……大丈夫。……行きましょう、アルフェッカ。そうしたらまずは、この場を立て直さなきゃ」
私の返答に、小さな小さな"髪長姫"はクスリと笑う。その目に映ったのは、絶望の未来か、それとも。
「ふふ、覚悟を決めたのね。……なら、ノクティア。ここからは本物の"不条理"のぶつかり合いよ」
アルフェッカの言葉に頷き、私は呆然と座り込むリゲルを睨みつけた。
ガーランド防衛戦。
その火蓋は今、確かに切られたのだった。




