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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
10章「お菓子と瞳と棘無しの記憶」
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108話「開戦、ガーランド防衛戦」-前

 ――ズ、ズゥゥゥゥン!!


 空気を震わせ、内臓にまで響くような重低音。


 執務室の窓ガラスは粉々に砕け、その向こう側、正門の方角から巨大な火柱が夜空を焦がしているのが見えた。


「な、何だ……。何が起こったというのだ……!」


 リゲルが、呆然と机に手をつきながら呟く。


 先ほどまでの傲慢さはどこへやら、彼の顔は雪のように白く、唇が小刻みに震えていた。


「リゲル様! リゲル様はおられるか!」


 扉を蹴破らんばかりの勢いで、別の伝令が飛び込んできた。全身煤まみれで、鎧のあちこちが熱で歪んでいる。


「正門に……"赤ずきん"率いる、帝国の侵攻部隊が……! 奴ら、再び攻めてきました!」


「馬鹿な……っ。日に二度も攻めてくるなど、前例がない! まだ、あの野良犬(ギエナ)と打ち合ってから、数刻と経っていないぞ!?」


 リゲルが絶叫するように問い返す。


 その隣で、私の肩に乗ったアルフェッカが、冷ややかに、けれど鋭い眼光を火柱へと向けた。


「……なるほどね。わざと時間を空けず、撤退と再襲撃を繰り返す。そうすることで『日に二度は来ない』という勝手な慢心を植え付け、思考を停止させたかったんでしょうね。狡猾だわ……。本当の狙いは、正門の破壊そのものではない」


「……それ、どういうこと?」


「……陽動よ。敵の真打は、もう別の場所から牙を剥いているわ」


 アルフェッカの警告。しかし、動揺の極致にあるリゲルには、その言葉は届いていなかった。彼は狂乱気味に、部屋の隅に控えていたヴェルギウスを指差した。


「ええい、構わぬ! ヴェルギウス、行け! ガーランドの誇りを見せてやれ! あの野蛮な小娘を、今度こそ完全に排除するのだ!」


「……御意」


 ヴェルギウスが静かに頷き、一歩前へ踏み出す。


「待って! ここから正門までは、走っても相当な距離があるわよ!? それまで門の兵たちが持ちこたえられるかどうかも……!」


 私が慌てて止めようとすると、ヴェルギウスは粉々になった窓枠に足をかけ、静かに私を振り返った。


「――問題ない。"直線"なら、すぐだ」


 言うが早いか、彼の足元で、空気が爆ぜる。


 次の瞬間、彼は窓から体を投げ出し、アークトゥルス上空に跳び上がっていた。そのまま、黒薔薇宮を囲む外壁を足場に、更に加速する。


 それは魔術による飛行ではない。純粋な脚力と、空間の極致を捉える武の理。


 彼は屋根から屋根へ、あるいは中空を蹴るようにして、凄まじい速度で戦場へと突き進んでいく。


「何よあれ……。人間じゃないわね」


 アルフェッカが呆れたように舌を巻く。


 人類到達点、ヴェルギウス・クライン。彼がいれば、あるいは……そんな一筋の希望が、私たちの脳裏をよぎった、その時だった。


 中空を駆け抜けていたヴェルギウスの目の前で、不意に空間が"歪んだ"。


 ――ドォォォン!!


 大気を震わせる轟音と共に、空中に巨大な"壁"が出現した。


 それは石でも鉄でもない。こんがりと焼き上げられたビスケット、色鮮やかなアイシング、そして粘りつくようなキャラメルで装飾された……巨大な焼き菓子の壁。


「……ッ、何、あれ。急に、壁――!?」


 執務室からその光景を眺めていた私は、思わず叫んだ。


 漂ってくるのは、先ほどから鼻先を掠めていた、あの狂おしいほどに甘い、死の匂い。


「……仔細ない」


 ヴェルギウスの声が、遠くから響く。


 彼は空中で身を翻し、腰の剣を抜き放った。一閃。空間を断ち切るほどの鋭い一撃。


 だが、その刃は焼き菓子の壁に食い込み、粘つく飴細工に絡め取られるようにして……停止した。


「な……っ!?」


 初めて、ヴェルギウスの瞳に驚愕の色が走る。


 その直後、上空から鈴を転がすような、無邪気で残酷な声が降ってきた。



「あらあらあらあら、そんなもので斬れるわけないじゃない。ねえ、お兄ちゃん」



「そうだネ、ポルカ。"お菓子の家"は脱出不可能なんダ。怖ぁい怖ぁい、森の奥でサ」



 焼き菓子の壁の頂上に、一人の少女が座っていた。


 彼女は自分と瓜二つの姿をした、等身大の人形を愛おしそうに抱き上げ、人形の声を腹話術のように操りながら、一人二役で会話を繰り広げている。


 その気配は、隠しようもない。


 "姫"、理を歪める、異世界の怪物だ。


「……っ、よりによって、アンタレス以外の"姫"が潜んでたの……!?」


 私の戦慄に応えるように、ヴェルギウスの周囲に四方からお菓子の壁がせり上がり、彼を完全に囲い込んだ。


 それはまさしく、迷い込んだ子供を二度と逃さない"お菓子の檻"。


「――小癪!」


 ヴェルギウスは壁を蹴るようにして跳び上がり、踏み越えんとする。しかし、それを嘲笑うように、虚空から出現した屋根が、彼を覆い隠した。


 数秒と経たぬうちに、この国最強の剣士は――その内側に囚われ、姿を消してしまった。


「な、なんだと……!? ヴェルギウスが、捕まったというのか……!?」


 リゲルが膝から崩れ落ちる。


 "いばら姫"に頼らずとも、この国を守る。その要としていた、最強の盾にして、最強の剣。


 人類の到達点は、あまりにも呆気なく、その身を封じられてしまったのだった。





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