104話「棘無き想い」
「ほっほっほ。ノクティア・グラスベルよ。君は今、こう思っているね? 『その話が、一体リゲルになんの関係があるのか』と」
図星を指され、私は思わず肩を揺らした。ディバルド公の瞳は、病で曇っているようでいて、私の心中を驚くほど鮮明に見透かしている。
「あ、いえ……そんなことは。……ただ、あまりにも壮絶な背景だったので、少し整理が追いついていないだけで……」
「よい、よい。君は嘘が吐けぬ良い子のようだ。最も、外交官にはあまり向いておらぬがね」
ディバルド公は茶目っ気たっぷりに笑うと、再び視線を遠くへ……記憶の深層へと向けた。
「――リゲルとタニアが出会ったのは、あの子が六歳の時じゃ。当時のリゲルは、この鉄の都を一人で走り回る、好奇心旺盛な子供じゃったな」
「……皇太子にも、そんな頃が」
「あったとも。儂らはその頃、あの子を"姫"に会わせないようにしていた」
「"姫"が危険な存在だから、ですか?」
「……遠からず、じゃな。いくら可憐な少女の姿をしていようと、タニアは国家を守るための兵器じゃった。年老いてようやく授かった唯一の跡継ぎであるリゲルを、彼女に会わせるのは気が退けた」
"姫"は兵器、確かにそうだ。
その言葉を否定することはできない。アンタレスやアルゴラ――危険な"姫"たちを、私は沢山目にしてきた。
「しかし、禁じられれば見たくなるのが子供というもの。ある時、警護の目を盗んで宮殿を駆け回っていたリゲルは、地下にある禁忌の部屋――街の城壁に茨を張り巡らせるために作られた、"薔薇の根"へと踏み入ってしまった」
「……私たちが忍び込んだ、あそこですね」
私が呟くと、ディバルド公は静かに頷いた。
「そう。タニアはかつて、あそこから城壁の"茨"を操っておった」
「……そこに、リゲル皇太子が?」
「ああ……それに、タニアは美しい娘じゃった。幼いながら、あの子は一目でタニアに惹かれたのじゃろう。それからというもの、大人の目を盗んで、毎日のように地下へ通い詰めるようになった」
「……誰も、気が付かなかったんですか?」
アルトが不思議そうに尋ねる。これほど厳重な警備を誇る宮殿で、子供が毎日忍び込むなど不可能なはずだ。
「気が付いていたとも。……だが、儂も、そしてそこのヴェルギウスも、止めることができなかった。……タニアにとっても、リゲルとの交流は乾ききった心への唯一の潤いだったのじゃ。……幼くして異界の力を流し込まれ、その細い肩に国を背負わされた。そんな少女のひと時の慰めを、誰が奪えるものか」
ディバルド公の言葉に、私はあの地下の静寂を思い出した。
冷たい石壁の中で、少年と少女は、何を語り合ったのだろうか。
外の世界のこと。将来のこと。あるいは、何の変哲もない日常のこと。
それは、物語という不条理に食われかけていたタニアにとって、自分が人間であることを繋ぎ止める、唯一の錨だったに違いない。
けれど、そんな淡い日向のような日々は、長くは続かなかった。
「……タニアが起きていられる時間は、日に日に短くなっていった。初めはうたた寝程度じゃったものが、やがては半日になり、一日になり……ついには、眠ったまま二度と起きなくなってしまった」
「……魔力枯渇の典型的な症状ね。軽度のうちに対処していれば、こんなに深く眠ることもなかったんでしょうけど」
私の肩の上で、アルフェッカが私にだけ聞こえるような小声で囁いた。
「……リゲルは、絶望した。目の前で、唯一の友人が、想い人が、物言わぬ"装置"へと変わっていく様を見せつけられたのじゃからな。……あ奴が、他国に対してあれほど攻撃的になり、自国の力を誇示しようとするのは、裏を返せば臆病さの現れなのじゃ」
「臆病……? リゲル皇太子が?」
「そうじゃ。リゲルは、タニアが愛したこの国を守るため、躍起になっている。……あ奴の真の目的は、領土拡大ではない。"姫"の力に依存しない国家の形成……それこそが、あ奴の悲願なのじゃよ」
「――ッ!?」
私は、雷に打たれたような衝撃を受けた。
"姫"に依存しない国家。
それは、タニアを兵器としての役割から解き放つということだ。
「……なんて、荒唐無稽な。……他国が姫の不条理な力を利用してくる以上、そこから脱却しようとすれば、待っているのは軍事的な破滅よ」
アルフェッカが呆れたように、しかしどこか感心したように呟く。
リゲルは、タニアという少女を、一人の人間に戻したがっていた。
彼女が目覚めた時、もう彼女が戦わなくてもいいように。
縛り付ける"いばら姫"という名前を、この国から消し去るために。
「だから――彼は私たちの提案を、詭弁と切り捨てたのですか……?」
「そうとも、言い切れんじゃろうな。最終的にタニアを目覚めさせたいのは、あ奴とて同じじゃろう。しかし、今ではない」
今、帝国が"姫"の力を振りかざすこの状況でタニアが目覚めれば、戦力として扱われることは避けられない。
きっと彼は、それが耐えられないのだ。
陥った、実利と感情の相反緊張。それが、彼の奇妙な強硬姿勢の正体か――!
「……儂が君に頼みたいのは、そこじゃ、ノクティア・グラスベル」
ディバルド公は、ベッドの上で震える上体をさらに前へと傾けた。
かつての英雄。北方最強の騎士と呼ばれた男が、弱々しい動作で、しかし確かな意志を込めて。
「タニアを目覚めさせ、リゲルを説得してくれ。……あの子の愛ゆえの曇った判断が、この国を滅ぼし、タニアの守ったものを奪ってしまう……そんな結末は、あってはならんのじゃ」
「……陛下」
「頼む。不甲斐ない父の、そして老い先短い一人の老人の、最期の願いじゃ」
ディバルド公は、私に向かって深く、深く頭を下げた。
暖炉の火が、小さく爆ぜる。
横に立つヴェルギウスもまた、何も言わず、静かに拳を握りしめていた。




