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101話「祝福、あるいは呪い」

 重厚な黒鋼の扉を押し開けた先に待っていたのは、静寂と、淡く発光する魔力の粒子が漂う幻想的な空間だった。


 部屋の中央、天井まで届くほどに絡み合った茨の根。その中心に、まるでゆりかごに揺られているかのように、一人の少女が横たわっていた。


「……え?」


 私は思わず息を呑んだ。


 この国を数十年にわたって護り続けてきたという"いばら姫"。


 どんな女傑なのだろうと考えていた私だったが――そこにいたのは、現世であればまだ中学生に差し掛かったばかりのような、あまりにも年若い少女だった。


 白磁のような肌。解かれた銀髪が茨の黒と対比をなし、その幼さをより一層際立たせている。


「お嬢様、これは……。ずいぶん、幼いようですが」


 アルトが困惑したように声を漏らした。肩の上のアルフェッカは、タニアをじっと見つめ、静かに答える。


「驚くのも無理はないわね。……けれど、これが"姫"という存在の性質よ。一度物語の核となってしまえば、その者の肉体は時を刻むのをやめる。不老……というよりは、停滞に近いわね」


 アルフェッカの言葉に、私はかつて出会ったアケルナルの姿を思い出した。彼女もまた、百年以上の歳月を生きていると言いながら、その容姿は瑞々しい若さを保ったままだった。


 美しくも、ひどく歪な光景。


「タニア・カリスト・ブライアローズ。彼女がこの姿で止まった時から、ガーランドの時間は凍りついたままなのよ」


 それは、私にとっても他人事ではない。


 私たちは、"老い"では死ねない――普通の人間にあるべき"おしまい"が、私たちには存在しないのだ。


(……それは、祝福なの? それとも……)


 そんな思考は、頭頂を叩く小さな手のひらで打ち切られた。


「与太話はそのくらいにしましょう。……ノクティア、結晶を彼女の胸元に。私が接続を試みるわ」


 アルフェッカに促され、私は震える指先で銀色の結晶をタニアに近づけた。


 結晶から溢れ出した銀色の光が、タニアを包む茨の隙間を縫って、彼女の心臓部――魔力の炉心へと伸びていく。


 それは、アルフェッカの髪によって、地面と繋がるように結ばれた。そこから、濃密な魔力の塊が、徐々にせり上がってくる。


「――見つけた、これがこの土地の"龍脈"ね。あとは、これをこの子の体に、行き渡らせてあげれば……」 


 アルフェッカの髪がタニアの内に流れ込んだ魔力を誘導し、停滞した魔力の回路を再起動させようとする。


 眠る"いばら姫"、タニアの表皮を、淡く光る魔力が走っていった――。



 ――だが。



「……おかしいわね」


 数分が経過した頃、アルフェッカの眉が険しく寄せられた。


「……どうしたの?」


「おかしいわ。確かに、私の髪は魔力を通しているはずなのに――何故か、彼女の体の中に、すんなりと通っていかないの」


 私は、"いばら姫"を観察してみたが、端から見ている分には全く分からなかった。そもそも、私は魔法を戦闘以外で使ったことがない。こんな、治療めいたことは完全に門外漢だ。


 もし、彼女にも手に負えないような事態が起こってしまっていれば――それこそお手上げである。


「魔力の流路は確保できている。龍脈との接続もできた――その証拠に、微かながら脈動しているわ。……なのに、どうして」


 アルフェッカが、不意に身を震わせた。


 地下空洞特有の湿り気を帯びた冷気。しかし、今彼女が感じたのは、そんな物理的なものではなかった。

 

「……そんな、まさか、これは――!」


「アルフェッカ様、どうされたのですか!?」


 アルトが問いかけ、私も彼女の異変を問い質そうとした、その瞬間。




「――無断での侵入は、感心せんな」




 背後から響いた、重厚で、一切の感情を排した声。


「――ッ!!」


 誰よりも早く反応したのは、アルトだった。


 彼は振り向きざま、先ほど騎士を無力化した時と同じ鋭さで地面を蹴り、影のようにその"声の主"へと肉薄した。

 

 魔法を使わない、純粋な武による急襲。


 だが、扉の前に立っていたヴェルギウスは、避けようとする素振りさえ見せなかった。


 アルトの渾身の手刀が、ヴェルギウスの首筋を的確に捉える。


 はずだった。


「なっ……!?」


 衝撃。


 だが、それはヴェルギウスが受けたものではなかった。


 まるで、巨大な鉄柱を素手で殴りつけたかのような反動がアルトを襲う。アルトの手が弾き飛ばされ、彼の姿勢が大きく崩れた。

 

 ヴェルギウスは微動だにしていない。


 彼はアルトの攻撃を"防いだ"のではない。ただそこに"存在していた"だけで、アルトの技量は一切通じなかったのだ。

 

「……見事な身のこなしだ。だが、基礎筋力が足りん。魔法に頼らぬのなら、肉体そのものを"不条理"の域まで練り上げろ」


 ヴェルギウスは地面に転がったアルトを一瞥することもなく、まっすぐに私を射抜いた。


 その瞳には怒りも敵意もなく、ただ深淵のような静寂だけが宿っている。


「アルト……!」


 駆け寄ろうとした私を、ヴェルギウスが制した。


「……"姫"を救おうとするその執念、リゲル様も評価されるだろう。だが、手順は踏むべきだったな」


 彼の鋭い視線に射竦められながら、私は思考する。


 相手は、"人類到達点"。実際にその戦いぶりを見たことはないが、既に複数回、"赤ずきん"の襲来を凌いでいるということだ。


 ここで、戦闘になった場合。私たちは勝てるだろうか? 場合によっては、騒ぎを聞きつけた騎士たちが集ってきて、乱戦になる可能性もある。


「ヴェルギウス……。私たちは、ただ彼女を……」


 可能なら、戦いは避けたい。


 私は縋るような思いで、彼に対話を申し込もうとした――。


「……来い、王国の特使よ」


 ――しかし、そんな私の思いとは裏腹に、彼は腰にした剣に手をかけることすらしなかった。


 代わりに、重厚な扉を開け放ち、廊下を指し示した。


「リゲル様を、そしてこの国の痛みを最もよく知る御方に会わせてやろう。……お前たちが真にこの国を動かしたいのであれば、語るべき相手はその御方だ」


 ヴェルギウスの言葉に、私はアルトの手を握りしめたまま立ち上がった。


 アルフェッカもまた、私の肩の上で険しい表情を崩さない。


 罠か、あるいは、そうでなくとも別の困難が待つに違いない。


 けれど、ここで斬り結ぶよりもずっと、上手くいく確率は高い――。


「――ええ、わかったわ。行きましょう、アルト」

 

 人類到達点が見守る中、私たちはタニアの部屋を後にし、再び暗い廊下へと歩み出すのだった。


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