9話「嘲笑との対峙」-前
屋敷の廊下を、私はカツカツとヒールを鳴らして歩いていた。
背後には、心配そうな顔をしたスピカがついてきている。時折、弱々しく私の名を呼ぶその声には、先ほどの一件で見せた鋭さも、勇ましさも感じられなかった。
それでも、私の足取りに迷いはない。
目指すのは、父と、そして国境警備隊長、オレオーンがいるはずの応接室――いや、今は臨時の"作戦指令室"となっている部屋だ。
重厚な扉の前まで来ると、そこには一人の衛兵が立ちはだかっていた。
いや、ただの衛兵ではない。身につけている軍服の仕立ては、明確に周囲の兵士とは違っていた。恐らく、この青年もそれなりの地位の人間なのだろう。
燃えるような赤い髪をオールバックになでつけ、背筋を槍のように伸ばした彼は、整った顔立ちをしているものの、その右目は黒い眼帯で覆われており、眼帯の隙間からは、ただれたような酷い火傷の痕が覗いていた。
「――お待ちください、ノクティア様」
私が声をかけるよりも早く、青年が腕を伸ばして道を塞ぐ。
その声は、年齢に似合わず落ち着いていたが、どこか硬質で、人を寄せ付けない響きがあった。
「ここから先は、軍議の場です。ご婦人や子供が立ち入ってよい場所ではありません」
「……貴方は?」
「アルト・オレオーン。国境警備隊の小隊長を務めております」
オレオーン。
その姓を聞いて、私は彼の顔をまじまじと見上げた。隊長の親族――おそらくは息子か。
右目の火傷。剣や矢による傷ではない。あれは、もっと高熱で、じっくりと焼かれたような……。
ふと、背筋に冷たいものが走る。
向こうの世界では、めったに見ることがないような傷痕だ。しかしそれは、私に燃えゆく生家を思い出させるのに十分だった。
「……アルト小隊長。私は父様に、そしてオレオーン隊長に、ご挨拶をさせていただきたいの。通して頂戴」
「なりません。中では、グラスベル領の有力者たちが集まり、対帝国防衛戦の最終確認を行っております。貴女様の遊びに付き合っている時間はない」
「遊びじゃないわ!」
私が声を張り上げると同時に、部屋の中から「なんだ、騒がしいな」という父の声が聞こえた。
アルトが一瞬、扉の方へ気を取られる。
その隙を見逃さず、私は彼の脇をすり抜け、重い扉を押し開けた。
「失礼いたします、お父様! それに、オレオーン隊長!」
部屋の中には、タバコの煙と、重苦しい空気が充満していた。
部屋の中央にある大きな卓を囲んでいるのは、グラスベル伯と、数名の着飾った男たち。
そして上座に、一際巨大な影が鎮座していた。
岩のような巨躯。短く刈り込んだ白髪。
きっと彼がそうなのだろう。国境警備隊長、タラゼド・オレオーン。その佇まいだけで、ただ者ではないことが伝わってくる。
「……の、ノクティア……!? どうした、いまは会議中で――」
グラスベル伯の眉が、僅かだが、驚いたように持ち上げられた。
役立たずの"姫"が、いきなり重要な軍議の場に乗り込んできたら、それもそうなるだろう。
けれど、私は怯まずに、卓の上に広げられた地図に目を向けた。どうやら、国境にある砦――"レグルス砦"と呼ばれる場所の図面らしい。
「ええ、存じておりますわ、お父様。ですから、私も混ぜていただこうかと思いまして」
「き……お前を、会議に加えろということか?」
「そうですわ。私の蓄えた知識は、皆様とは少し違った毛色のものですので、きっと、異なった視点からの意見をお出しできると思います」
口にしながら、心臓がバクンバクンと高鳴るのがわかった。
ああ、もう。自分が場違いなことは、よく分かっている。
これは、あれだ。大人たちが結論ありきで話しているところに、空気の読めない子供が、声を張っているような、そんな白け方。
私の言葉に、部屋の空気が凍りついていく。
しかし、それは緊張によるものではない。
数秒の沈黙の後、ドッと沸き起こったのは、嘲笑だった。
「異なった視点、とは大きく出ましたな、お嬢様」
恰幅のいい貴族の一人が、手にしたグラスを揺らしながら鼻を鳴らす。
「随分と自信がお有りのようですが、あなたが献策しようとしているのは、この地を長く守ってきた、歴戦の武人オレオーン殿ですぞ? 戦場を知らぬ少女が、いささか分が悪いのでは?」
「それに、レグルス砦は、断崖と堅牢な城壁に守られた不落の要塞。グラスベルに連なる者の誇りです」
口々に上がる楽観的な意見。
彼らの目は笑っていた。深窓の令嬢が、ままごとの延長で口を出してきたと思っているのだ。
「ち、違います! ただ、私は、自分が何か役に立てるんじゃないかって」
私は必死に食い下がる。
「私は、誰よりも童話に詳しい。童話は、ただの物語じゃなくて――」
「……童話?」




