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92話「暫し、笑顔で」

 王国が誇る、都の中央市場は、眩暈がするほどの活気を取り戻していた。


 "大星潮条約"緩和の影響は既に出始めているようであり、石畳の両脇を埋め尽くす色とりどりの屋台。山積みにされた真っ赤なリンゴ、香ばしい匂いを漂わせる焼き立てのパンが、私たちを誘う。


 ――束の間の休息。グラスベル領へ帰還する準備が整うまで、私たちは王都に滞在していた。


 たまには、息を抜いてこい、というのはお父様の言葉だ。こんなことをしている場合ではない――とは、思うのだが。


「……お嬢様。……あっち、いい匂いがするっす」


 私の袖をグイと引っ張ったのは、護衛として同行しているシャウルだ。


 彼女は周囲を警戒するような鋭い視線を投げているかと思いきや、その鼻先が捉えていたのは、数メートル先の屋台から漂う"甘い匂い"だった。


「ふふ、そうね。……行ってみましょうか」


 たどり着いたのは、大きな鉄板で木の実と蜂蜜をキャラメリゼしている屋台だった。


 香ばしく焼けたクルミとアーモンドに、黄金色の蜂蜜が絡まり、宝石のような光沢を放っている。立ち上る甘い湯気に、私の足は自然と止まった。


(……ああ。本当なら)


 ふいに、胸の奥を小さな針で刺されたような痛みが走った。


 ポケットの中に入っている、硝子の欠片。


 これを遺して消えた少女と、私は約束していた。また、一緒に市を訪れようと。


 結局、その約束が果たされることはなかった。


 彼女はもう、この世界のどこにもいない。私が笑うことも、一緒に甘いものを頬張ることも、二度と叶わない。


「……」


「……お嬢様。また、そのツラっすか」


 無意識に俯いていた私の視界に、シャウルの無愛想な顔が割り込んできた。


 彼女は屋台の主人から手渡されたばかりの、熱々の包みを掲げ、ジロリと私を睨んでいる。

「……ごめんなさい。少し、昔のことを思い出してしまって」


「あの子……スピカ、っすよね。……あたしも、あいつのことは嫌いじゃなかったっす」


 シャウルは、包みの中から一番大きな実をひょいとつまみ上げると、それを迷いなく自分の口へ放り込んだ。


「――っ! ……っす! ……あま、い。……脳みそが痺れるっす……」


 不器用なほど大きな口で咀嚼しながら、シャウルは涙目になりつつも言葉を継いだ。


「あの子が食べられなかった分は、あたしが代わりに全部食べてやるっす。……お嬢様が、誰かを思い出して泣きそうになるたびに、あたしがその隙間をお腹いっぱいの食べ物で埋めてやるっす」


 言いつつ、彼女は口いっぱいの実を咀嚼する。そうして、私のことを真っ直ぐ見つめながら。


「……だから、お嬢様はもう、そんな、"何もかも手遅れ"みたいな顔をしちゃダメっすよ」


「……シャウル」


「ほら、次行くっす。……あそこの肉串も、あたしに早く食えって言ってるっす」


 シャウルは私の手を強引に引き、次の屋台へと向かって歩き出した。


 不器用で、暴力的なまでに真っ直ぐな、彼女なりの優しさなのだろう。それが今は、純粋に嬉しかった――。


 ――と、思っていたのだが。


「シャウル……? あなた、まだ食べるの?」


 それからの数時間は、まさに嵐のような食べ歩きだった。


 私のための毒味という名目はどこへやら。シャウルの底なしの食欲は、王都の誇る名物料理を次々と平らげていった。


 ――猪肉の串焼き。


「見てください、お嬢様! この肉汁!」


「いいから、一本ずつにしときなさい」


 ――山羊乳の冷たいチーズ。


「口の中で溶けるっす……これはびっくりっすね」


「店主さんもびっくりしてたわよ、その食べっぷり」


 ――揚げたての白身魚の包み。


「熱いっす! 熱いっす! 口の中が焼けるようっす!」


「お馬鹿! 誰がいっぺんに口の中に入れろって言って……無理やり飲み込もうとしてる……!?」


 凄まじい執念と食欲だった。


 そうして、ノンストップで食べ続ける彼女にどうにかついていきつつ、私は溜め息を吐く。


「シャウル……。あなた、そんなに食べて大丈夫なの?」


「大丈夫っす、まだ、腹八分目っすよ」


 これ以上、その体のどこに入るんだよ、と突っ込みたくなる。


 しかし、有言実行とばかりに、彼女の手にはいつの間にか、巨大な砂糖菓子が握られていた。


 ふわふわとした白い塊を、無表情で、しかしどこか必死に食らいつく姿は、まるで小動物のようだ。


(――なんだか、懐かしいわね)


 思い出すのは、家族みんなで縁日に行った時のことだ。パタパタと駆け出しては、目につくもの全てを欲しがった(ちはる)に、よく振り回されたものである。


 いつの間にか、この暮らしにも慣れてしまい、そんな気持ちも忘れようとしてしまっていた。それでも、まだ私の中に、彼女が生きていることが、たまらなく嬉しい。



 ――そうしているうちに、時間は過ぎていく。



 陽が傾き、市場にオレンジ色の光が斜めに差し込み始めた。


 並んだ屋台も少しずつ、その表情を変える。夜の帳が下りれば、この市もまた、別の賑わいを見せるのだろう。


 私たちは、王都を一望できる噴水広場の縁に腰を下ろしていた。


 私の膝の上には、結局食べきれずに持ち帰ることにした、果実のタルトの包みが置かれている。


「……ふぅ。……お嬢様。あたし、もう一生分の自由を満喫したっす」


 シャウルは、最後に残っていたドライフルーツを口に放り込み、満足そうにため息をついた。


 彼女の頬には、先ほど齧っていたの揚げ菓子の粉が僅かに白く残っている。


 いつしか、彼女が常に湛えていた警戒心――値踏みするような視線は、ナリを潜めていた。今はまるで、無警戒に私に寄り添っている。


 懐かれた、ということなのだろうか?


「……シャウル。……美味しかった?」


「……っす。……最高だったっす。……特に、あの蜂蜜の実」


 シャウルは噴水から上がる水飛沫をぼんやりと見つめながら、ぽつりと呟いた。


「……あの子。……スピカにも、一口食べさせてやりたかったっすね。……きっと、『お行儀が悪いですっ!』って怒りながら、あたしより先に完食したはずっす」


「……ええ。……きっと、そうね」


 私は、隣で誇らしげに、パンパンに膨れた胃袋を叩くシャウルを、そっと見つめた。

 

 スピカが守りたかったもの。


 そして、今、私の隣でこうして美味しそうに食事を頬張る、新しい仲間との時間。

 

 シャウルは次に狙う獲物――残されたタルトの一切れ――を見定めると、それを大事そうに手に取り、再び幸せそうに頬を膨らませた。


 まだ、戦いは続いている。

 けれど、今だけは。


 もぐもぐと口を動かし続ける彼女の横顔を、ただ静かに、微笑みながら見守り続けた。

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