91話「星見と昔話」
王都の中央に毅然とそびえ立つ"星の塔"。
広大な都市の全てを見渡せる、その塔の最上階は、王国の守護を司る、"姫"の聖域と化している。
重厚な石の扉を押し開けた瞬間、視界を埋め尽くしたのは、溢れんばかりの"銀色"だった。
賢者アルフェッカ。
彼女の膨大な魔力の余剰が、髪となって際限なく伸び続け、部屋の隅々までを埋め尽くしているのだ。床を這い、壁を伝い、天井から滴るように垂れ下がる無数の銀糸。それはまるで、主を外界から遮断し、守るための巨大な繭のようにも見えた。
「……また、厄介な相談を持ち込みに来たみたいね」
部屋の奥、銀の髪に埋もれるようにして座るアルフェッカが、冗談めかして言いつつ、瞳を僅かに開いた。
彼女の周囲では、植物の如く芽吹いた細い髪の一本一本が空中の魔力に反応し、生き物のように微かに蠢いている。
この髪こそが、王都――ひいては王国全土に張り巡らされた彼女の"触覚"であり、異変を察知する感覚器そのものなのだ。
私がここを訪れた理由は、ふたつある。
ひとつは、晶潮館で、私たちが用いた秘策――リゲル皇太子が抱える"いばら姫"の呪いの解呪法について。
極度の魔力枯渇による永い眠りを救う鍵は、この星の塔で世界を監視するアルフェッカの術理にこそあるのではないか、と考えていたが、あの場では答えが出せなかった。
そして、もう一つは――。
「ええ。……でもその前に、アルフェッカ。フォーマルハウトに現れた、あの恐ろしい"姫"――"マッチ売りの少女"について、何か知らないかしら?」
私がそう切り出した瞬間、部屋を満たしていた銀の髪が一斉にざわついた。
「……あの"火"の記憶を、掘り返せと言うのね」
アルフェッカの声が、かつてないほどに沈み、重くなった。
「火の、記憶……?」
「……彼女が歴史の表舞台に現れたのは、大戦の後。瓦礫の山と化した世界に、彼女は一本のマッチを持って現れたわ。……"すべてを燃やし、灰の中から新世界を再建する"。世界を滅ぼさんとする狂信的な思想。私たちは彼女を、世界に対する明白な敵だと見なした」
アルフェッカの瞳に、古の戦火が映り込んだかのような光が宿る。
「かつて、私を含む四人の"姫"が集まり、彼女と戦ったわ。私たちは死闘の末、一度は彼女を敗北させ、その業炎を封じた。……はずだったの」
彼女は、部屋の隅で揺れる髪をそっと撫でた。
「けれど、彼女は消えてはいなかった。敗戦国となり、どん底にあった帝国に入り込み、その得体の知れない魔法の力を使って、国を瞬く間に技術大国へと成長させた。……帝国にとって、彼女はもはや救国の女神なのね」
かつて四人の"姫"がかりでようやく退けた怪物が、今は国家という鎧を纏い、再び牙を剥こうとしている。
半年。アケルナルが目を覚ます時、私たちはその怪物と真っ向から殺し合わなければならないのだ。
「だからこそ、ガーランドの武力が必要なの。……アルフェッカ、本題に入るわよ」
私は彼女の銀の髪を掻き分け、その至近距離まで踏み込んだ。
「以前、リゲル皇太子に協力を仰ぐために、ガーランドに眠る"いばら姫"の呪いを解く方法を手土産にしようと思っているの」
「……呪い?」
「……ええ、その正体は恐らく、絶大な魔力の出力に対して、供給が全く追いついていないことによる重度の魔力枯渇。……彼女を救うには、外部から膨大な魔力を永続的に供給する仕組みが必要なのよ」
「……読めたわ。私の魔法を、応用しろと言うのね?」
「ええ。王国全土に触覚を伸ばすあなたの術式を、ガーランドの龍脈と接続する形に書き換えたい。……大地の底を流れる魔力の奔流を彼女に繋げば、彼女は眠りから覚め、自らの意志を取り戻せるんじゃないかって」
アルフェッカはしばらくの間、沈黙した。
部屋を埋め尽くす銀の髪が、私の覚悟を計るように不気味にうねる。
「……龍脈との接続。それなら、魔力不足は解消されるでしょうね。けれど、それは荒れ狂う奔流の中に裸で飛び込むようなものよ。成功しても、彼女の精神が龍脈の圧力に焼かれ、戻ってこれなくなるリスクが極めて高い。……それでも、やるつもり?」
「ガーランドを味方につけるには、彼らが守り続けてきた"物語"を直接揺り動かすしかないわ。……リスクは、承知の上よ」
私がそう告げると、アルフェッカは深いため息をつき、自らの髪の中から一つの蒼く輝く結晶を取り出した。
「……これを持ちなさい。私の魔法を封じ込めた"導きの結晶"よ。龍脈の激流の中で、意識を繋ぎ止める"錨"になるわ」
彼女はそこで言葉を切った。そして、試すように私に視線を送る。
「……これを龍脈の|核《コアで運び、接続を完了させるのは、とても危険なことよ。失敗すれば、あなたもまた、体内の魔力を食い尽くされて、"終わらない眠り"に落ちることになるけれど」
「構わないわ。……ありがとう、アルフェッカ」
結晶を手に取ると、凍てつくような冷たさが掌を刺した。
これで、ガーランドと交渉するための唯一の、そして最大の手札が揃った。
「……礼を言うわ。近いうちに、ガーランドに向けて発つ予定だから、その前にまた――」
私が立ち去ろうとしたその時、アルフェッカがぽつりと、独り言のような声を漏らした。
「……それにしても、解せないわね」
「……何がですか?」
「……どうして、リゲル皇太子は、そんなに"いばら姫"の呪いを解きたいのかしら?」
賢者の瞳が、窓の外、遥か北方へと向けられる。
「今、彼女はガーランドの首都を囲む巨大な茨として、外敵を自動的に排除する"最強の迎撃兵器"と化している。……彼ほどの冷徹な傑物なら、呪いにかかったまま、意志なき兵器として彼女を君臨させておく方が、戦略上も統治上も、遥かに効率的でしょうに。……わざわざ不安定な自我を取り戻させて、彼女を"自由"にする理由がないわ」
「……」
「……合理性を極めるリゲルという男が、なぜそこまでして"結末"を求めているのか。……そこに、あなたが入り込む隙があるのかもしれないわね」
その答えが出ることは、ついになかった。
私は結晶を握りしめ、銀の繭を後にした。
リゲル。
あなたが守ろうとしているのは、兵器としての価値なのか。
それとも、かつてあなたが彼女と交わした、名もなき約束なのか。
王都を吹き抜ける夜風が、旅立ちの冷たさを帯び始めていた。




