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90話「謁見、そして」

 荘厳に輝く、玉座の前。赤い絨毯の上で、私は、父と対峙していた。


 グラスベル伯爵。王国の重鎮として、そして私の父として、彼は玉座の傍らで私の姿を凝視していた。


「……ノクティア。本当にお前なのか?」


 父の声は僅かに震えていた。


 彼はゆっくりと玉座の階段を降り、私の目の前で足を止めた。王の御前であることも忘れ、父は私の肩に手を置く。硝子の破片で切れた頬の傷、そして幾多の死線を潜り抜けたことで鋭さを増した私の瞳。それらを視界に収めた父の顔に、言葉にならない感情が溢れ出す。


「お父様、いらしていたんですね。……ただいま戻りました」


「ああ……よく無事で。だが、その傷は……。お前をこれほどまでに追い詰めてしまったのか、私は……」


 父の指先が、私の頬の薄い傷跡に触れようとして止まる。娘の成長を誇らしく思いながらも、その代償として刻まれた過酷な経験に、親としての心が悲鳴を上げているのがわかった。


 私は父の手に自分の手を重ね、静かに首を振る。


「悲しまないでください。この傷は、私が戦い抜いた証です。……守りたいもののために、私は自分の意志でここに立っています」


 私の言葉に、父はハッとしたように目を見開いた。以前の私なら、この温もりに縋って泣きじゃくっていただろう。けれど今の私は、父の懸念を受け止めた上で、凛として前を見据えていた。


「……強くなったな。眩しいほどだ、ノクティア」


 父は一度だけ強く私の肩を抱き、それから王としての顔を崩さないヴァルゴ国王陛下へと向き直った。


「陛下。……人払いを。公にすべきではない、真実の報告がございます」


 父の言葉に、国王は重々しく頷いた。


「よかろう。……退け。この場には、ノクティア・グラスベルとその供、そして伯爵のみを残せ」


 王の命により、不服そうな顔を隠せない側近たちが次々と退場していく。巨大な扉が閉まり、謁見の間が静寂に包まれると、そこには張り詰めた"戦場"の空気が戻ってきた。


 私は国王陛下を真っ直ぐに見据え、フォーマルハウトで起きた最後の一部始終を話し始めた。


 帝国の"マッチ売りの少女"による急襲。最強の"姫"アケルナルの拉致。


 そして、何よりも重要な"期限"について。


「……半年、か」


 陛下が、沈痛な声を漏らした。


「アケルナルが自我を封じ、帝国の支配に抗える期限。……それが半年。つまり、我が国に残された猶予は、それだけだということだな」


「はい。彼女の自我が崩壊し、帝国の手に堕ちれば、アケルナルの強大な魔力はそのまま"最強の矛"として私たちに向けられます。帝国は今、半年後の"収穫"に向けて準備を進めているはずです」


 陛下が拳を肘掛けに叩きつける。


「半年か。……戦備を整えるには、あまりに短い。連邦との条約緩和で物資は手に入るだろうが、兵を鍛え、対"姫"の兵団を再編するには時間が足りぬ。……ノクティア、お前はどう考える」


「……困難でしょうね。そもそも、対"姫"の技術の多くは、帝国が握っているでしょう。半年やそこらで、我々の技術力や兵力が追いつくとは思えません」


「……なら、どうする。座して死を待つのか?」


 私は迷いなく、地図の北方を指差した。


「陛下。……ガーランド大公国を、味方に引き込むべきです」


 王の目が、驚愕に見開かれた。


「ガーランドだと? あの武勇のみを尊ぶ偏屈な連中か。……あそこは建国以来、他国との同盟を拒み続けてきた。今回のフォーマルハウトでも、彼らは我らを見捨てて早々に撤退したのだぞ。交渉の余地などあるものか」


 王の言葉は、国際社会における常識だ。だが、私は知っている。あの議場で、円卓を挟んで戦ったからこそ見えた真実を。


「必要です。……リゲル皇太子の圧倒的な統率力、そして伝説の剣聖ヴェルギウス。……帝国を、そして"マッチ売りの少女"の業炎を止めるためには、彼らの"剣"が不可欠なのです。……あの日、ヴェルギウスの一閃を目撃したアルトが、そして、舌戦を交わした私が、何よりその身で理解しています」


 私の背後で、アルトが静かに眼帯に手を触れた。ヴェルギウスの剣技をその目に焼き付けた彼もまた、その"力"の必要性を痛感しているはずだ。


「陛下。ガーランドは確かに傲慢ですが、彼らは化物には化物で対抗すべきだということを知っている数少ない勢力です。彼らを引き込むことができれば、我が国の防御力は数倍に跳ね上がります」


 父が心配そうに口を挟む。


「ノクティア、ガーランドは実力主義の極みだ。弱りきった王国の特使が、どのような甘言を弄したところで、彼らが首を縦に振るとは思えん。リゲル皇太子を説得できる材料など、あるのか?」


「……ございます」


 私は、脳裏に刻まれたある"確信"を想起した。


 ガーランド大公国。一見、武力による完璧な秩序が保たれているように見えるあの国には、今も"呪い"に苛まれている。


 リゲル皇太子――"棘無し"が、唯一見せた隙。私はそれを、忘れていなかった。


「彼らが喉から手が出るほど求めていながら、決して手に入らなかった"結末"を、私は提示してみせます。……私を、ガーランドへの特使に任命してください」


 陛下の鋭い視線が私を射抜く。沈黙が支配する謁見の間で、王はやがてふっと、口角を上げた。


「……なるほど。エリダヌスを事実上の保護国としたその手腕、今度はガーランドの堅物どもに向けるというわけか」


「手腕だなんて。……私はただ、物語の続きを見せたいだけですわ」


「よかろう。……ノクティア・グラスベル。ヴァルゴ王国特使として、ガーランド大公国への派遣を命ずる。……半年後、アケルナルが目を覚ます時、我が国の傍らにガーランドの騎士団が並んでいることを期待しているぞ」


「――御意」


 私は深く、膝をついて応えた。


 父が後ろで、諦めたように、けれど誇らしげに溜息をつくのが聞こえた。


 遥か北方。茨に囲まれた、誇り高き騎士たちの国。


 リゲル、あなたに会わなきゃいけない理由がある。

 

 私の物語は、一息つく間もなく、凍てつく北の戦場へと加速し始めた。

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