8話「リボンの約束と私の強さ」
帰りの馬車の中、夕暮れの街並みが窓の外を流れていく。
元の世界よりも、この世界の空は広い。人生で見たどの夕焼けよりも、綺麗な茜色が、窓の向こうに広がっている。
けれど、私の心は少しも晴れなかった。
「……ごめんね、スピカ」
沈黙に耐えきれず、ポツリと漏らす。
「結局、私は助けられてばかりで。あんな危険な目に遭わせて……私に力がないばかりに」
「お嬢様?」
対面に座るスピカが、不思議そうに首を傾げた。
「何を言ってるんですか。今日、あの子を救ったのはお嬢様ですよ」
「違うわ。倒したのは貴方よ。私はただ……」
「いいえ」
スピカは私の言葉を遮り、真剣な瞳で私を見つめた。
「私がいくら腕に自信があっても、犯人が誰か分からなければ、意味がありませんでした。あの荷車の男を見抜いたのは、お嬢様の"知恵"です」
「……"知恵"? でも、あれはただ、知っていただけで」
「学んだことを、適切な時に取り出して使うことができる。それが"知恵"であり、私の力とは違う、強さだと思いますよ」
彼女は、私の震える手に、そっと自分の手を重ねた。
「剣を振るうだけが戦いじゃありません。どこへ振るえばいいのか、それを教えてくれる"目"がなければ、剣は何ひとつ守れないんです」
――剣と、目。
その言葉が、霧を晴らすように心に染み渡った。
そうだ。
私は、スピカにはなれない。他の"姫"のように、戦術レベルの魔法も使えない。
けれど――私の持つ、この知識なら。童話という名の、先人が積み重ねた、残酷な運命の脚本を読み解いたこれならば、皆を守ることができるのではないだろうか?
誰も気づかない危機――例えるのなら、童話の中の狼を見つけ出し、スピカという剣をそこへ導くこと。
それなら、私にもできるかもしれない。
「……ありがとう、スピカ」
私は顔を上げる。手の震えは、もう止まっていた。
「私、わかった気がする。私がどうやって戦えばいいのか」
「えっ、そうなんですか? もしかして、スピカ、何かお役に立てましたか?」
「ええ、全部、あなたのおかげ。あなたは本当に、いい子ね」
そう、本当に。
きっと、元のノクティアも彼女には救われていたのだろう。自らの命を投げ出すほどに苛烈な世界の中でも、彼女は煌々と光を放っている。
彼女のためならば、私は少しだけ、頑張れそうだ。
「あ、でも……」
そこで、スピカの顔が少し曇った。
「結局、リボン買いに行けませんでしたね。お揃いのやつ、選ぼうと思ってたのに……」
しゅん、と俯く顔が、再び妹に重なった。そう、あの子もよく、こんな風にしょぼくれたものだ。
そんな時には決まって――私は、頭を撫でてやっていた。
「いいのよ、そんなこと。また一緒に行きましょ」
「え? い、いいんですか?」
「ええ、勿論。おすすめのお店、今度こそ紹介してね」
やったー! と彼女が歓声を上げるのと同時に、馬車が屋敷の正門をくぐった。
微笑ましい光景に、温かいものを覚えつつ、ふと、視線は窓の外に向けられる。
と、そこで、私の目に映ったのは、出発前には無かったものだった。
「ん……? あれは……」
車窓から見えるエントランスには、見慣れない軍馬と、物々しい装備の騎士たちが整列していた。
父の私兵ではない。もっと実戦的な、正規軍の空気。
「オレオーン隊長の部隊ですね。出陣前の挨拶にいらしたんでしょう」
「オレ、オーン……? それって、偉い人なの?」
聞き覚えのない名前だった。隊長、というからには、衛兵たちのまとめ役か何かだろうか。
しかし、スピカは意外そうに目を剥く。
「えっ、ノクティア様、オレオーン様のことまで忘れちゃったんですか? 忘れようとしても、忘れられない人だと思いますけど……」
私は肩をすくめた。彼女がこんな反応をするなんて、オレオーンというのは、一体どんな奴なのだろうか。
「……ごめんなさいね、まだ、何にも思い出せてなくて。それで、オレオーン隊長っていうのは、どんな人なの?」
「あ、そうですね……なんていうか、一言で言うと……"頑固おやじ"って感じですかね?」
「なに、それ。恐い人ってことなの?」
「まあ、国境警備隊の隊長さんですから。このグラスベル領に詰めてる兵士さんの中だと、いっちばん偉い人ではありますよ。お話は……あんまり聞いてくれないですけど」
「……兵士の中で、一番、偉い――」
昨日までの私なら、怖気づいて部屋に逃げ込んでいただろう。
けれど。
「……なら、ちょうどいいわ」
私は拳を強く握りしめた。
今日、私は狼を見つけた。
私の武器は、知識。それを利用すれば、私にも"姫"としての責務が果たせるかもしれない。
この子を守って――そして、この体をくれた持ち主にも、報いることができるかもしれない。
「行きましょう、スピカ。……折角だから、挨拶しなきゃ失礼だものね」
「えっ、ちょ、ちょっと、お嬢様ーっ!?」
焦った様子で、スピカが追いかけてくる。
それにかまわずに、馬車を降りる私の足取りは、行くときよりもずっと、力強いものになっていた。




