第九話 海蜘蛛
「よし、到着〜!」
「結構歩きましたけど⋯⋯」
遂に目的地に到着したらしい。
来たことこそないが、ここは『スラム街』の最深部と言ってもいい場所で、言うまでもなく危険である。
促すように鵺の方を見ると、彼女は自分たちの前方をちょいちょいと指さしながら器用にウインクをしてきた。
「実は、軽く実技試験を行っておきたかったんだ。ヒビキちゃんと違って二人の戦ってるところは見た事ないから」
鵺の言葉を聞きながらも前方に目を凝らす。
──視線の先にいるのは生物だった。
身体の構造はそのままに、人と同じくらいの大きさにまで巨大化したような蜘蛛型の生き物。
つまりは──
「⋯⋯もしかして『海蜘蛛』と⋯⋯?」
「うん!とりあえず、あれで試してみよっか」
「⋯⋯ッ」
⋯⋯途端に、緊張が全身を覆う。
⋯⋯落ち着け、大丈夫だ⋯⋯この程度、乗り越えられなければ先輩の役に立つことなど到底できない⋯⋯!
「──ウミ、グモ?なんだそれ?」
「「「⋯⋯え?」」」
⋯⋯ヴィクトリアの疑問符にその場にいる全員が絶句してしまう。
「⋯⋯⋯⋯ヴィクトリア『海蜘蛛』知らないの⋯⋯?」
恐る恐るといった様子で鵺が聞く。
「あ、あぁ。でもこれは多分──」
「え、ヴィクトリアって古代人だったんですか⋯⋯?」
「待って待ってヴィクトリア!ってことは『統一王』も知らないの!?そ、そのレベル!?」
「いや、だから⋯⋯」
「ごめんねヴィクトリア⋯⋯私がもっとちゃんと聞いておけば──」
「──だああァァッ!!!」
パニックを起こし出す現代人に、推定古代人が怒号を叫ぶ。
「古代人じゃねぇよ!!オレサマが生きてた時代は多分そんな昔でもない!多分⋯⋯!」
「⋯⋯いや、でも『海蜘蛛』を知らないのは⋯⋯」
『海蜘蛛』という生物の歴史は古いと授業で習った記憶があるのだが⋯⋯
⋯⋯い、いやっ『海蜘蛛』という呼称が使われだしたのがいつかは分からない⋯⋯!
『春夏秋冬』という名称のように、ヴィクトリアの時代には別の呼び方を用いていただけかも⋯⋯!
「ヴィクトリア!あれ見てっ!生きてた頃にあれ見た事ない!?」
「⋯⋯⋯⋯蜘蛛、みたいだな⋯⋯」
「おおっ!そうそう、その調子──」
「──でもあんなデカイのは見た事ねえな」
「──古代人じゃあぁぁんっっ!!」
鵺はころころと表情を変化させながら、最終的に膝から崩れ落ちる。
見ていて楽しい少女だった。
「いやだから!違うんだよ!!」
「違くないでしょ!これからはオーパーツって呼ぶからね!!」
「なんだそれ!?」
ヴィクトリアは鵺と一通りわーぎゃー言い合った後、恥ずかしそうに頭を掻きながら弁解を始める。
「⋯⋯いやだから、な?⋯⋯オレサマは、その⋯⋯」
「⋯⋯古代魔神オーパーツ、アニメ大好評配信中⋯⋯」
「〜〜〜ッ!オレサマは山育ちなんだよ!!」
鵺の執拗な煽りに耐えきれなかったのか、ヴィクトリアは一息に叫んだ。
「⋯⋯山⋯⋯?」
「⋯⋯あぁ、人生のほとんどは山に引きこもってた⋯⋯」
不思議そうに呟く橘さんにヴィクトリアはそっぽを向きながらも続ける。
「⋯⋯だから、当時の常識についてもオレサマはほとんど知らないんだ⋯⋯」
「なるほど、生きてた頃からヴィクトリアは世間知らずだったんだね」
「やめろその言い方!」
「⋯⋯え?一切山から出なかったんですか?」
「あぁ、山で生活すると決めてからは一生出なかったな」
「妖怪じゃん」
「なんか仙人みたいだね」
「何かの刑罰だったとかですか⋯⋯?」
「全部ちげーよ」
ヴィクトリアは溜息をつきながら再度前方にいる『海蜘蛛』を眺める。
「とにかく、オレサマはあんな生物見たことないが、だからってオレサマが生きてた時代にいなかったとは言いきれないんだよ」
「⋯⋯うーん、そうなると生きてた時代を特定するのは難しそうだね⋯⋯」
「⋯⋯直感的には、そこまで昔じゃないと思うんだけどなぁ⋯⋯」
難しい顔で考え込んでしまうヴィクトリアに対して、鵺は身体を目一杯に伸ばして励ますように肩を叩く。
「ま、考えすぎても仕方ないよ。ちなみになんだけどさ──」
「ん?」
「──あれ、倒せそう?」
「それは余裕」
⋯⋯余裕なんだ⋯⋯
「そっかそっか⋯⋯ナギサちゃんはどう?」
「えっ?わ、私一人では無理だと思います。海蜘蛛と戦うなんて、考えたことも無くて⋯⋯」
「まあだよね。ナギサちゃんは契約するまで普通の女の子だった訳だし、まだ契約も馴染んでないだろうしさ」
「フンッ、嬢ちゃんが戦う必要なんて無いさ。あの程度なら、複数いてもオレサマ一人で片がつくからな」
「うんうん、なんだかんだ二人は戦闘能力が対照的で分かりやすいね〜」
鵺は納得したように頷くと、こちらに視線を向ける。
「アカネ君はどう?」
瞬間、緊張が全身を包む。
悟られないように手をぎゅっと握り、不安を打ち消そうと試みる。
「雫と会ってから、個人的に『能力』の訓練はしてたって聞いてるけど⋯⋯」
「は、はい。でも実際に海蜘蛛と戦うのは初めてです⋯⋯」
⋯⋯声が震えていたかもしれない。
「えっ!?高槻君って『能力者』だったんですか?」
「マジかよ!?お前『能力者』だったのか!?」
「⋯⋯はは」
⋯⋯橘さんとヴィクトリアが仲良く驚いた声を上げるが、緊張で愛想笑いしかできなかった。
「⋯⋯大丈夫、アカネ君?無理そうなら⋯⋯」
「いっ、いえ!大丈夫です⋯⋯!」
⋯⋯こんなところで躓くようじゃ、先輩の役に立つなんて夢のまた夢だ⋯⋯
海蜘蛛はこちらに気づくと、身体を広げるようにして威嚇をしてきた。
身が竦みそうになるが、己を奮い立たせてなんとか歩を進める。
「──絶対に、勝利してみせます⋯⋯!」
──────────────────
「──はぁッ⋯⋯!はぁッ⋯⋯!よしっ!ははは!!勝った!勝ったぞッ!!うぐっ⋯⋯うあァッ⋯⋯!?何だこの傷ッ!?死ぬほど痛いッ!?ぎゃああぁァッ!?死ぬ死ぬ死ぬッ!!」
「⋯⋯⋯⋯ぐ、グロい⋯⋯」
「⋯⋯なんか、色々おかしくない⋯⋯?」
「⋯⋯全部おかしいだろ⋯⋯」
⋯⋯なんとか、なんとか勝利はもぎ取った。
⋯⋯しかし、海蜘蛛の血と自分の血が混ざりあった『水溜まり』でのたうち回る自分には、ドン引きする周りに意識を向けることなどできるはずがなかった。